2005年7月3日(日) くもり
Dramatic give it all !!
 遺伝子の突然変異により表現形質が変化し、それが淘汰されることで進化は完成します。しかし、これを逆に考えれば、『生存に関係のない遺伝子の表現形質は、どのような形でも構わない』ということになるそうです。
 じゃぁ、睫毛自動排出機能はどうなんだと。
 抜けた睫毛(でも眉毛でもどっちでも構いませんが)が目に一本入るじゃないですか。でも、パシパシ瞬きをしているうちに、その睫毛は段々瞳の下の淵に収まります。異物感もなくなる。んで、さらにパシパシ瞬きをしていると、右往左往しながらも睫毛君は瞳の内側、いわゆる目やにができる所に自然と集まっていくのですね。そして翌朝、目やにと一緒に排出完了。なんだこりゃと。
 先日発見した新機能なのですが、自分の身体のことなのに相当ビックリしまして。感じとしては、小枝そっくりな昆虫をテレビで見た時の驚きに似る。生存に関係あるのかないのか分かりませんが、進化ってすげー。

2005年7月4日(月)
ぅおー、おセンチ仮面見参!!
 夜、コンビニの帰り道、夏祭りに行き当たった。
 普段は何もない住宅街の道が、突如として夜店が立ち並ぶ祭りの風景へと変わっていた。
 途切れない人いきれ。浴衣の女の子。発電機の低いモーター音。白熱電球の白い光は何であんなに風景を浮かび上がらせるのだろう。
 四百円で焼きそばを買う。
 大盛り。お世辞にもうまそうには見えないが、量だけはあふれる程ある。一口食べると、小エビの味と安物の油の臭いが鼻につく。腹、こわさねーかなと一瞬心配になりながらも、勢いをつけて四分の一程を食べて、やっと蓋が閉まる。
 残りは、家に帰ってコンビニで買ったビールのつまみにした。
 外では小雨が降り出している。網戸越しに静かに降る、小さな水滴を見ながら、雨の祭りの熱気を思う。

2005年7月5日(火) くもり
猪突猛進、文庫もよろしくぅ!
 『がんばっていきまっしょい』がドラマ化されるそうですね。今回は恋愛話なども絡む模様。映画はボートの話し以外何も無い、その何も無さが良かった映画なので、変なテレビ的演出がされたりしそうでちょっと心配ですが、しかし、めでたい。まぁ、テレビ持ってない身では、何も見られないんですが・・・。
 もう、7年前ですか、映画公開。田中麗奈は可愛かったし、音楽のリーチェ「オギヨディオラ」は西のエンヤ「エニーウェァイズ」と並んで今でもマイベストソングの1、2を争ってるし、サイン入りの台本目当てに深夜上映にも行ったし、勢い余って一人でザック担いで18きっぷで愛媛まで行って、雨風の中、ロケ地ってだけでなんもない海岸でテント張ったり、1シーンだけ出てくるうどん屋でうどん食って喜んだり(ことり、うまいぜ)、すでに廃業してたこれもロケ地の旅館に押しかけたり・・・、いー映画だったなぁ。
 ん?全て実話ですが、何か?

2005年7月6日(水) くもり
しかし本屋も気を付けてくれぃ。いー本だったから良かったけどね
 どうも今晩は。中村一義『<DAS>out』を、一人、部屋の中、ヘッドフォンで聞いていて、冒頭のドアを開ける音に本気でびびって振り向いたdai(あふぉ)です。みなさん、燃えてますか?
 なんだか久しぶりに椎名誠の本(風のかなたのひみつ島)を読んでます。一時期の新宿赤マントシリーズがあまりに正しい日本の親父の怒りに満ち溢れていて、体が受け付けずに控えていたシイナさんですが、やっぱりこの人の旅物エッセイはいい。文章とそして思考法の一部を、俺はこの人からもらっておるのだなぁと、ふと分かってしまった次第です。
 しかし、何故彼の本を読んでいるのかと言えば、実は相当失礼な話しでして、隣に平積みされていた野田友佑の文庫を買うつもりで、上から二冊目の本を取ってレジで金を払い、家に帰ってページを開いたら椎名誠だったという・・・。気付けよ、せめて開く前に・・・。
 オレ、あふぉの上にばかだったんだ・・・。

2005年7月9日(土) くもり
間をおいて、冷ましてからさぁ、書く
 カレーを食って帰り、家に入ってラジオをつけると、イギリスでテロが起こっていた。
 気持ちが暗澹とする。
 また、『イギリスで』テロが起こった時にだけ暗澹としたことにも、暗澹とする。イラクで連日自爆テロが起こっていることには頓着していなかったというのに。
 所詮己は、あってしまう「気持ち」や「意思」に付き従うしかない受動の身で、「気持ち」は知識ではなく、知識も含めた経験でしか形作られない。環境破壊の警告に百万語を費やすなら、一回カヌーで川を下ればいいとは、これまでの己の信条であるが、ならば、世界中の具体を地道に体験し続けるしかない。
 イラク人やイギリス人、テロ組織やアメリカ人、日本人や中国人や韓国人と一まとまりにした時点で、概念が一人歩きを始める。言葉は本来、それが指し示す具体と密接に関わっているというのに。
 カレーはうまかったというのに。

2005年7月10日(日) くもり晴れ
硬い話し続きですまんですが、愛国心ってなんじゃ!?と
 そういえば。この国では、愛を教えるそうですね。サリバン先生も真っ青。
 『オレを愛せ。オレを愛せよぉ。よし、愛さないなら、子供のころからそう教育してやる。へへへ』というわけですね。さすが源氏兄やんと紫の上を産んだお国柄です。
 きも過ぎる。オタクがきもいとか言いますが、そんなの目じゃねー。幼児誘拐は卑劣極まる犯罪ですが、幼児調教ってなんだそりゃ。
 男っぷりをまず上げて下さい。頼むから。そしたらそこに愛が生まれるでしょ。愛ってそういうもんでないの。んで、少なくともおいらが愛すのは、友人家族(悲しきかな未来の)恋人だったり、昼過ぎて手繰る蕎麦だったり、『素晴らしい乳房だ。蚊がいる』なんていう自由律の俳句だったりする具体であって、『国』なんていう抽象ではないのです。
 ですがそのキモイ国を形作ってんのは、おいら。ほんの一部だけど。とりあえず選挙行く決心と、政治話を全面解禁にしてみます。

2005年7月11日(月) くもり
おお!?書いてみると、ちょっとあぶねーやつだな・・・
 枕元の電気スタンドをつけ、寝転がって昨年急逝した鷺沢萠のエッセイを読む。何故か急に「たま」が聞きたくなり、「たまベスト(自作)」を久しぶりにひっぱり出して、聞き流しながらページを繰る。
 『オリオンビールの唄』がいい。『翼よごらん、あれがパリの灯だ。夜空と間違えた』の辺りで理由不明のままじんとなる。
 生まれて二枚目に買ったCDは、「たま」の「ひるね」であった。全曲そらで歌える程聞き込んでいた。音楽の原体験といえば、間違いなくこの辺りになる。
 教育ママのぼっちゃん家庭に育てられていたので、中学校は地元とは別の場所に行くことになった。それがたまらなく嫌で、部屋にこもって「月夜の病院」を絶叫するという暴挙に出たこともある。
 「頭が割れて、月が出た。黄色い地面に血がたれた」という出だしの歌だった。
 このころから、あふぉであった・・・。

2005年7月12日(火) くもり小雨
じゃあんた、おっぱい嫌いなのかよ!! by しあわせももりんご
 巨乳の女の子を、キャニオニングに誘うという邪悪な計画を発動中であります。
 キャニオニングとは、シャワークライミング。さらに言うなら沢登り。川の源流部を遡っていくというアウトドアスポーツなわけですが、なんかいい誘い文句ないかね。
 清流を浴びつつ、軽い岩登り。最後は山の頂上から下界を一望、温泉入って帰ってくる。暑い夏には最適なスポーツですぜ、ってなことを相棒と二人、お酒の席で左右から重ね重ね申し上げていたわけですが、やっぱりというか当然というか、反応は芳しくない。
 ま、眺めがいいのは別の山だけどな!
 さ。はったおして下さい、はったおして下さい。何のことやら分からんという純真なあなた。水には粘度というものがありまして、水を吸ったTシャツは張り付くわけですよ、胸に。はい殴って下さい殴って下さい・・・。
 いや、ほんと、純粋におもしろいんだけどね、キャニオニング。って説得力ねー・・・。

2005年7月13日(水) くもり
「冷静」と「情熱」の「間」、ではなくて冷静かつ情熱的、ということが、どうやら言いたいらしいです、ハイ。
 フットサルなどをしていると、一瞬の判断に迷うことがある。パスか、ドリブルか。勢いで持っていくのか、冷静に対処するのか。
 しかし最近気付いたのは、そのどちらも必要なのだということだ。勢いだけでは、大局が見られない。冷静に対処しようとすれば、時間がかかってしまう。冷静に対処しつつ、勢いは殺さない。それを同時にやるのが、上手というものなのだろう。
 何事によらず、どちらかに偏るのは案外簡単なのかもしれない。相反する二つに同時に偏っている状態。理論的には矛盾しているが、そういうことがしかし実際には必要になる。
 「埼玉の名産って、実は豚なんだぜ、ステーキとか」
 「ステキ☆」
 「へーそうなんだ・・・。」
 この「ステキ」と「そうなんだ」の間、約0.2秒。そこにツッコミを捻じ込めなかった未熟な自分を、ただただ悔やむ今日の記録。

2005年7月14日(木) くもり小雨
明日が今日よりいい日であるためには、昨日は今日より悪い日でなければならないわけですか。キビシー
 野田友佑著「なつかしい川、ふるさとの流れ」を読んでおります。例の本です。
 実際的な考え方で最も影響を受けた人物を挙げるとするならば、この野田友佑兄貴をいの一番にあげねばなりませぬ。持ち物なんて、全て折りたたんで背負って歩けるくらいでいいんだと。女だってそうだと。かっこ良過ぎです。また、天下国家と向き合う時の姿勢も、相当見習っておるわけです。「一つの国を滅ぼすのに最も効果的なことは、その国の青年達に『危険なことはするな』と教え込むことだ」なんて、言ってみてー。男っぷりってのはこういうことさ!という気分を味わいたい方は是非お勧め。川を旅しつつ、日本の河川行政を告発するさすらいのカヌーイスト。まずは『日本の川を旅する』あたりから。
 しかし、気分が下降気味のときに読む、野田兄貴の文章はキク!
 よーし、もう、全ておっぽり出して、川旅行くか!って・・・。あれ?一周回ってる?

2005年7月15日(金) 晴れ
そのうち、その場でCGの髪型シュミレーションとかしてくれる美容院なんて、流行りそうですね。2年後とみた。
 髪を切る時の、注文。困りませんか?
 「じゃぁ、後ろ髪はクロスシャギーのトリプルアクセルカット(?)で5センチ、で前髪は目にかからない程度で、っつっても眉毛よりちょっとでも短かったらぶっ飛ばします。まぶたのちょうど真ん中、そうその辺。もみ上げは全て取って下さい。横はトップからアンダーまで、3ミリ四方に一個の割合でドレッドをお願いします。あ、で、最後に後頭部に『鬼』ってバリカンで入れてもらえます?』なんて、テキパキ言ってるやつとかいるんでしょうか?俺なんか、鏡の前に座るまで「短くしよう」しか思ってねぇ。挙句の果てに「中田みたいにして下さい」とか言ってみたり・・・。今、中田かよ・・・。
 自分の中にある固有の視覚概念を、言葉という共有概念に置き換える超高等脳作業。でも、結構みんな平然とやっているようで、人間ってすごいですね(単に俺、あふぉ)。
 でもなんか、『鬼』カットいいかも・・・。

2005年7月16日(土) くもり晴れ
食って動き回って寝て
 泊りにきた友人が、よく寝るやつでした。
 酔っ払ってバタンキューが夜2時。それから寝ること10時間。起床は12時です。
 おいらといえば、9時には起き出してまして、PC開いてパタパタキーボードを叩きつつ、差し込む朝日に照らされる友人の顔を時々振り返って「ふふ、よく寝るのね」なんて思っている男が二匹と、あまりぞっとしない光景が繰り広げられておりました。
 12時過ぎてもえんえんと寝そうなので、さすがに蹴り起こしたわけですが、こいつが遅刻ばかりする理由がなるほど分かった次第。
 んで、ちょっと思ったのは、俺も寝ようと。
 いや、ちゃんと書くと、寝ることの重要性を再認識したということです。最近寝不足が続いたんですが、気分が下がる下がる。ところが、一日にして、住んでるおいらより近所のおばちゃんと仲良くなってる友人のバイタリティに感服。よく寝るよく食うは、全ての基本と、あらためて感じた梅雨の一日でした。

2005年7月17日(日) くもり晴れ
興奮さめやらぬまま
 疾走疾駆駆け抜けろ!深夜絶叫暴走自転車ここに見参!!
 パンクを直しついでにタイヤを交換、リニューアルした愛車『ジョン(2号)』。試運転に行ったですよ。
 近所に大きな川があることは知ってたんですが、行ったことがない。んじゃ行ってみるベーかと家を出たのが夜10時。
 いやー、これが気持てぃー、気持てぃー。
 こうそよそよ、風なんかがふいちゃってね。対岸にはマンションの明かりかなんかが、結構ろまんてぃっくでね。
 んで、誰もいねーの。土手独占ですよ。そりゃもう絶叫ですよ。
 土手を絶叫しつつかっ飛ばすこと約2キロ。恍惚、爽快、リフレッシュ。ドーパミン激噴出。
 というわけで、深夜の川っぺりにはごちゅぅーい!どこからともなく長渕剛『巡恋歌』が聞こえてきたら、それがオレだ!

2005年7月18日(月) 晴れ
熊倉隆敏著「もっけ」(講談社コミック)なんぞを、読んだ後なのも効きました
 「あらあら皆様、高い所がお好きですわねぇ」てぇ思わず呟いちまった次第であります。
 巨人ヤクルト神宮ナイター。野間口好投の裏で石川が捕まり、我らがヤクルトは6対1で轟沈。さすがの古田意地の一発位しか見所も無く、腐って帰ってきたその帰り道でした。
 細道へ折れた住宅街の薄暗い電柱の下、何やら蠢く影が一匹。よくよく見ると、貫禄たっぷりの三毛の猫であります。
 普段も猫はよく見かけますが、今日に限ってちっとも逃げようとしない。どっしり腰を据えたまま、あらぬ方を見上げております。
 不思議に思いながらも歩みを進めると、出るわ出るわ。トラ、ぶち、三毛、トラの猫が家の壁の上に思い思い寝そべり、微かな夜風にふかれる様子。いずれも逃げ出すそぶりすら見せない様は、まるで普段の義務をその日に限って放棄したかのようであります。
 猫をかぶるとはこういうことか?不思議不思議の帰り道でありました。

2005年7月19日(火) 晴れ
お・お・お、はーれー。はっれっるーや(from KazuyoshiNkamura「ハレルヤ」)
 特に野球が好きという訳ではないんです。
 当OSKKでは、「われらが西部」だとか、「われらがヤクルト」という表現が散見されるかと思われますが、決して変節漢なわけではございませぬ。
 行った球場の地元チームを応援しているだけという・・・。野球好きの方には言語道断の、不届き野郎なわけです(一応西部ファン。かつアンチ巨人を標榜しておりましたが、最近はそういう感じでもないしねぇ・・・)。
 ただ、球場で野球を見るのは好きなんです。
 ぬるめのビール。暮れていく夕日。俄かに騒がしくなる応援団と、するりと始まる試合。目を丸くする子供。名物の応援。なんとはなしに見ていると、しみじみと和みます。
 野球好きの人と一緒だとなおいい。
 同じ光景なはずなのに、明らかに見ているものが違う。そのギャップには、毎度の事ながら感心してしまうわけです。
 試合、ほとんど見てないね・・・。

2005年7月20日(水) 晴れ
バイリンガル
 哲学の話しをしよう。
 『つまり君は彼女の優しさを好きなのだね?』『ええ』『しかし、どう考えてもU子の方が優しいと思うが』『でも彼女は可愛いし・・・』『しかし可愛さならY美の方勝っている』『いえそういうことではなく、僕は彼女を全体として愛しているんです!』『なるほど。しかし君に悲しい知らせがある。彼女は先ほど交通事故にあった。命に別状はないが、頭を強く打ってね、まるで別人のように冷たい性格になってしまったのだよ。それでも君は全体としての彼女を愛せる・・・』駄目だ!こんな話しじゃ、全然伝わらないよ!
 よし。巨乳語で考えてみよう。
 『・・・なるほど、君は質感や形などという個別のものではなく、全体として巨乳が好きなのだね。ならば、どうだろう。ここに、素晴らしい形の乳房が一対ある。しかし大きくはな・・・けりゃ巨乳じゃねぇよ!!』
 俺は・・・なーにを書いているんだぁ!?

2005年7月21日(木) 晴れ
探してる本が見つからず・・・
 いとうせいこう・奥泉光+渡部直己『文芸漫談』の途中で中島義道『うるさい日本の私』を読みつつ、カレル・チャペック『こまった人たち』をつまみ、その間を縫うように『泣ける2ちゃんねる』を読んでおりますと、もう頭の中がぐわんぐわんしてきまして、明日『世界の中心で愛を叫ぶ』を買おうと心に決めてました。あーなんだこれはー。
 おそらく、読後の感想は予想ができるものかと思われます。はっきり言ってしまえば、あまり芳しいものではないでしょう。しかし、何かを期待している自分がいる。何をだ?
 多分今私は、『読書ハイ』に陥っております。優れた文章を読んだ後にくる、気分の高揚感。それはフットサルのそれとも、映画のそれとも、音楽でノリノリのそれとも、馬鹿話の後のそれとも違う、独特のものであります。かなり尾をひく。
 直接の原因は『文芸漫談』。こいつにやられて、明日は『純愛』に思い馳せ候。

2005年7月22日(金) 晴れくもり
何事も、やらんで否で通すのは、まずいよなぁ。すまん。失恋した時のこととか、ふつーに思い出したりしたよ。
 今日という日を記そうとして、何度か書いては消し、書いては消しを繰り返したが、どうもしっくりこない。しばらくして気が付いたのだが、私は重要なことを書き忘れていた。
 今日は朝から頭の中で、『君にけつかっちん』という言葉がリフレインしている。
 もちろん元ネタはネプチューンのアルバム『君とケツカッチン』。歌は聴いた事がないが、言葉のインパクトは強烈である。強烈なまま、微妙に間違えた形で覚え込んでしまった。間違えたまま頭の隅にこびりついてしまった。そして離れない。
 フットサルの試合は、どこかちぐはぐだった。頭で描く動きと実際が違う。だが何が違うのか、何故違うのか分からない。苛立つ頭に、『君にけつかっちん』。その後仲間と別れ一人ファミレスで『セカチュー』を読む。一気に読み通し一息つく拍子に『君にけつかっちん』。これが、今日、書きたかった。
 にしてもセカチュー、いい小説じゃねーか。

2005年7月23日(土) 晴れ
爆疲れ、サッカースパイラル
 空き家は魅力的だ。小説を読むかの如くである。
 近所に空き家がある。通りに面した10m程はトタンによって仕切られているが、所々低めの箇所があって、中が覗き込める。茫々と生い茂った、人の背丈ほどの草が見える。建物は庇から上しか見えないが、どうやら二棟あるようだ。どちらも和風の平屋である。お屋敷とまではいかないが、敷地にかなり奥行きがあるのが分かる。
 かつて庭があったであろうと思しき二つの建物の間には、巨大な木が生えている。
 明らかに、この空き家の中心はその木だ。住宅街のど真ん中に、ひょろりと伸びた木ははなはだ異質で、しかもその空き家の時間性をも、身にまとっている。
 一本の木がこれ程大きく成長する間、ここは空き家であり続けている。
 木の上に、一羽の烏が止まり、じっとこちらを見下ろしている。

2005年7月24日(日) くもり
おれ、石と間違えてよくけっちゃうんですよね。なんであいつらはあんなに反応鈍いんだ・・・?
 玄関先の道は、車が通れない幅3メートル程の細道なのですが、数日前、朝起きてみるときっちりアスファルトになっておりました。一夜にして変貌。ちょっとびっくり。
 前の家の子供が友達を連れて来た時に、「うちの前って、雨がふると川になるんだぜ」なんていう紹介をしているのを聞いて笑いましたが、それくらいの水捌けっぷりだったので、さすがに工事と相成ったのでしょう。
 一つ気がかりなのは、主です。ヌシ。
 雨の日の夜など、暗い中を帰ってくると動く石がある。じっととどまっていた塊が、突然ビョコっと動くので何事かと思ってよく見ると、それがヌシなのです。蛙。
 超然と雨に打たれているでかめのそいつは、生き物の気配少ない住宅街ではなかなか威厳がありまして、心中崇め奉っていたのですが、最近見ない。まぁ、雨が降ってないってのはありますが、ちょっと気にかかっております。ヌシ、カムバック。

2005年7月25日(月) くもり
発作的料理バラゴンシーナ風フューチャリング長葱mix
 まずは白い長葱を、さくさく切るところから始めよう。
 胡瓜。茄子。沢庵なんかもあればいい。大蒜一かけ。これはほんとにお好みで。忘れちゃならない油揚げ。さっと湯通し、油を切ったものが一枚。
 切り方は小さく細い短冊に。人差し指をぴんと伸ばして指先から第二間接、それくらいが縦の長さ。茄子も胡瓜も沢庵も、忘れちゃならない油揚げも、そしてもちろん長葱も、全ておんなじ短冊で。
 もしも大蒜を入れるなら、日ごろの鬱憤を包丁の腹に込め、叩き潰してしまうのです。後は微塵になる位、細かく細かく切るのです。
 ここまでできればもう簡単。ボウルを一つ用意して、今切ったもの、全てを入れます。味付けはドレッシングでもいいけれど、出汁と醤油と山葵がうまい。
 冷蔵庫できりりと冷やしたそいつには、やっぱりビールが一番なのです。

2005年7月26日(火) タイフォーン
『混浴水着温泉とプールの差は、ただ温度あるのみ』・・・俺は今まで一体何に興奮していたんでしょう。目、覚めましたageさん!ありがとうございます
 私は寝床に横たわり、静かに、静かに天井を見上げていた。
 深夜だというのに、部屋の電灯は煌々と灯っている。だが止むを得まい。この明かりは飛行船でいえばサーチライト。寄り来る敵機を照らすに必要不可欠な明かりなのだから。
 呼吸が肝心だ。よく、寝入り際にやつらが襲ってくるという話しを聞くが、それは偶然ではないと思う。人間は睡眠時と覚醒時の呼吸の方法が違う。やつらはそれを読むのだ。
 ゆっくり深く呼吸を繰り返す。寝ている時のそれである。やがてやつらは現れる。登場は驚く程大胆だ。まるで誘うが如く、耳、あるいは目の前を飛ぶ。だがここで慌ててはいけない。無反応を決め込むのだ。するとようやくのこと、やつらは身体の線に沿って着地点を探るべく飛び始める。狙うのはそこだ。
 本日はからくも、撃墜に成功す。
 蚊。
 今年も、戦いの季節が始まる。

2005年7月27日(水) はーれー!
「きょとん」って、いー表現ですなぁ
 チャリンコに乗っていて、スズメにぶつかられました。
 結構なスピードで飛ばしていた時のこと、道端で2、3羽のスズメがいたのは目の端に捕らえていたのですが、何の気なしに通り過ぎようとしたら、飛び立ったスズメがわき腹に突撃です。
 おそらく逃げようとしたのでありましょう。しかし、チャリンコのスピードってのは、元来自然界には存在しないもの。そりゃ、目測誤ったってしょうがねーわな。
 思いの外痛かったので、『だいじょぶか、スズメ!?』と思ってチャリンコを止めたのですが、スズメもスズメで、いー顔できょとんとしておりました。『あれ?なんで僕、地面にいるの?』的な顔で辺りを見回し、オレと目が合って、慌てて再び飛び立っていく。人間と変わらぬリアクションに可愛さ倍増。
 というわけで、野生の鳥類との生涯初接触は、自分、スズメであります。

2005年7月28日(木) はーれぇー!
 女の子が。
 薄着だぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!
 どうも、夏に対する思いの丈、全てをぶつけてみましたdaiです。どの季節にも、「俺の好きなのは、この季節だな」と言い続けている季節色情狂ですが、いや、一番好きな季節は夏ですよ、夏。間違いない。
 空は快晴。低気圧通過後の湿気を程よく含んだ風は気持ちよく吹き渡り、直したばかりの自転車は機嫌良くクルクル走る。欲を言えば切りはありませんが取りあえずの物欲は満たされているし、中村一義は相変わらず鳴り響いているし、最近は猪瀬直樹の本が当たりだし、洗い物はないし、掃除と洗濯は昨日済ませたと。後は愛だな・・・。
 よーし、じゃぁそろそろもてるかぁ!
 あまりの空の晴れっぷりに思わず近所の中華料屋の出前用の岡持に・・・、あ、あれ、なんで涙が・・・。

2005年7月31日(日)
Clammbon。惚れた・・・。
 ただの音なのに。ドラム、ベース、キーボード、声。たった四種類の音なのに、もう何だかわけのわからないことになっている自分がいるのだった。
 普段、我々が外に出て聞いている音の種類は十は下るまい。そう頭の片隅で思ったのは、ドラムが最初の一音を叩き出して、オープニングのソロを始めた時だった。やがてベースが絡む。何の曲かが分かる。聴衆が反応する。で、自分はと言えば、鳥肌が立つ瞬間のようなざわっとした感覚が腕から肩にかけて這い上がり、もうそんなことは考えなくなっている。ピアノが和音を連打する。歌がかぶさる。ライブが始まる。
 それまでの疲れが、薄皮をむくように一枚一枚はがれていくのが分かる。目を閉じると、まぶたの裏になんだか図形が見える。
 さんざん疲れてライブ会場に入り、がんがん動いて出てきたら元気になっている。こんな体験は初めてである。音楽は、すごい。




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