2005年9月1日(木) 晴れ
ぷろふぇっしおん
カリオストロのクラリスは、風の谷のナウシカだったんですね。ん?常識か?そうか。
だが、英国グラナダTV版シャーロックホームズの『ボスコム渓谷の惨劇』に出てくるアリス・ターナーも、やっぱり風の谷のナウシカだということはこれはなかなか知るまい。
衝動買いをしたホームズ実写版でしたが、後悔なし。おもれーおもれー言いながら見ていた所、突然画面の中からナウシカの声が。
しゃべっているのは、恋人に殺人の疑いをかけられた妙齢の婦人。依頼人であります。「はい、私は彼を愛しております」なんて台詞がポンポン出てくるんですが、始めはどうしたってナウシカイメージで聞いちまうわけで「おいおい、あんた。そんなこと言ったって、お前さんが装甲兵を殴り殺したりしてるじゃん」ってツッコんでたわけですがあら不思議。最後の方では、すっかりヴィクトリア朝英国婦人の声に脳内変換されておりました。
いや、何事も職人はすごいと。
2005年9月4日(日) 晴れ/雨
「ネガティブサンダースクリプト!!」
野郎5人呑みで、一人が何気なくやっていたポーズが大フィーバーになってしまった。
それは野球の素振りとも違い、テニスでも、もちろんゴルフでもなかった。鐘を突いている風にも見えるがそれにしては大振り過ぎる。かつて誰も見たことのない動き。そうとしか形容しようがない運動だ。当人に聞いても「無意識にやっていた」の一点張りで埒が明かない。いつの間にか「トムキャット」と名付けられたそれは、何かとんでもない秘密があるらしいということになり、今日そいつが遅刻したのも夜中の3時までそれをやっていたからだという話しで落ち着き、皆で大笑いしていた。ああ馬鹿共さ。
しかし場は、私が「まぁ、一人で部屋にいる時は、変なポーズ取ってるよな」と発言したことで「?」な空気に包まれることになる。
ちょっと待ってよ。だって皆、片足上げて手はスペシウム光線とかやったりするだろ、普通。オリジナルコマネチとか・・・ええ!?
2005年9月5日(月) くもり/雨
夜と霧、「うあー」って言いながら読みましたよ・・・
つまらない話しをしよう。本当につまらない話しだ。
今日、歩道橋に登った。ごくありふれた歩道橋だ。特に登る必要はなかった。少し歩けば横断歩道に行き着ける。目的地はそちらの方向だし、そんなに待たされる信号でもない。
雨も降っていた。7月にやったフルコートのサッカーで、できもしないくせに無理してロングキックを蹴って以来右膝に違和感もある。わざわざそんな所に登る必要はないのだ。
しかし、私の足は階段へと向かっていた。
何かを期待していなかったと言ったら嘘になる。考えてみれば歩道橋に登るのは久しぶりだ。具体的にいつ登ったかも思い出せない。その位前だ。夜だった。夜の景色が見たかったのかもしれない。だが、やはりそこには何もなかった。ライトを点けたたくさんの車が、単に走っているだけだった。
それでも、やはり、登らずにいられなかったわけなのだ。
2005年9月6日(火) 雨/くもり
もう好き勝手に・・・
会津若松の『若松』が怪しい。
「会津盆地の東、旧黒川地方を、戦国武将蒲生氏郷が、故郷の若松の森にちなんで名付けた」なんて言うが、知れたものではない。
だって、会津若松だぜ。会津でも若松でもなくて会津若松。例えば東京だ。東京単独ならなんてことはないただの東京だが、これが東京砂漠になったとしたら、これは大変なことだろう。都会人の乾き切った心なんていう言葉も浮かんでくる。流れ流れてどこへ行く、いいの私に故郷はないわ、それでも生きてく東京砂漠。なんていう言葉も浮かんでくる。やはり「もう一つ言葉をくっつける」というのは、ただごとではない。
しかし、それを言ったら尾張小牧なんてどうだろうか?尾張なのか小牧なのか。あるいは常陸大田は?はたまた武蔵村山は?天津小湊、富士吉田、市川大門、木曽福島、後、美濃加茂なんてもっと自信を・・・あぁ、そら豆のお化けが、そら豆のお化けがぁ・・・!
2005年9月7日(水) くもり/雨/晴れ
怪談?夏も終わりです
コインランドリーは歩いて5分程の所にあって、週に一度の洗濯物が終わると、ドラムバックに詰め込んだそれをかつぎ、ひたひたとそこに向かう。
途中の自動販売機でコーヒーを買う。小銭がなかったら、ここで崩そうという魂胆だ。夏は冷々、冬は熱々の缶コーヒーは、ドラムバック片手だといつも扱いに困る。
割と小奇麗なそのランドリーは、やはり結構賑わっているようだ。並んだ洗濯機も乾燥機も、大抵一つは動いている。でも何故だか、人がいるのはあまり見たことがない。
空いているのを確認して、乾燥機に洗濯物を放り込む。コインを入れてボタンを押すと、ごうんごうんいい音を立てて、乾燥機は回り始める。後は20分の空白時間。どでんと真ん中に置かれたアウトドア用のウッドチェアに腰掛け、コーヒーを呑みつつ本を読む。
取り出した暖かい衣類達の中に、見たこともないトランクスを発見して、驚く。
2005年9月8日(木) 晴れ
台風一過
渋谷駅改札出口にて、「渋谷、どっち?」と聞く人を発見。駅員さんも一瞬詰まった後、どう答えたのかは雑踏に混じって聞こえずじまいでしたが・・・。
久しぶりに出てきた田舎者にとっちゃ、都会の駅ってのはワンダーランドですな。人人人、人の川。「ごめん、今電車乗ってるとこ」って携帯でしゃべってる娘がいたり(叫びてー。まだ駅ですから!って叫びてー)、二人でドアを譲り合って、結局二人とも電車に乗らないおっさん達がいたり(酔?)。
げにおもしろきは、人の心。
最近姪が生まれまして、自分でも面白いくらいに嬉しくなってる己を省みるに、十人十色に持っている心ってやつが、やっぱり興味ぶかぁいのです。踊らされたり、立ち向かったり、だいたい同じと思いきや、個々人全く違ったり。それを面白がるのも心だったり。
ちょっとここらでテーマを変えて、じっくりやってみようかと。
2005年9月12日(月) 晴れ
Tシャツ?そりゃ、ちゃんとセパレートのウェットスーツ着ますがな・・・。(TvT
たかが河川上流部、山間渓谷を遡っていくというだけの話しなのにこの違いは何なのか。
あらゆる状況においても個人的目標を立て、そいつを追及していく楽しみ上手なNは、「土産の石をGETする」と宣言。ひたすらに川底を洗う。一方、おいしい所は味わい尽くすぜという気概に満ちて、水が多く、登る醍醐味満載な本流を行くのはOだ。私はといえば、いかに他人が通らないルートを行くかをひたすら狙う偏屈野郎と成り果てている。
だがやはり異彩を放っていたのはIだった。
小柄な体躯な彼女は「楽しい楽しい」言いながら、ものすごいスピードで登っていく。今巷で大流行な言葉を借りて言えば、アムラーならぬマシラーと言ったところか。・・・。
それで上にいる彼女に追いついてみれば、水の中にどっぷりつかりながら、あらぬ方を見てぱしゃぱしゃやってるんだから、岩の陰にそれを見つけてびくっとするという寸法だ。
夏も終わりぬ、山行の記。
2005年9月14日(水) 晴れ
怪しさ極まれり
不満を言う女の子の横顔を、よく見る機会があった。もう、書き出しからして怪しさ万点だけど、いいの。今日はこんな感じよ。
別に適当に流していたわけではない。ちゃんと彼女の言い分も聞いていた。しかし他の聞き手がいたことをいいことに、私の注意はそのよく動く唇の、横からのシルエットに向いていたのだった。
私がそれなりに「いいことだ」と思っていたことに対する不満だったので、多少びっくりした。だが、そのよく曲がる唇の動きを見ているうちに、なんだか、これは『そのこと自体』に対する不満よりも、『そのことの周辺にあるもの』への不満なのだな、と分かった。理由はない。理由はないが、すとんと何かが落ち着いて、直感的にそれが分かった。う〜む、人間というのは人間というだけで共通の、よく分からない暗号鍵を持っているようなのと、やはりポイントは横顔の唇なのではないかと、私は思っていた。
2005年9月16日(金) 晴れ
すとれいんじ・ぐるーぶ感覚
携帯電話を失くしてしまって、村上春樹好きな女の子からの村上春樹の新刊を取り置いておくかというメールの返事を打てなかったのに気が付いたのは、彼女からその新刊本を受け取った後のことだったが、それでも彼女がその本を取り置いていてくれたのは、彼女天然の親切心と育ちの良さを表していて、とてもありがたい。
「取っといたよ〜」そう言ってなははと笑いその本を渡された時、こちらとしては突然のことでびっくりもしたが、負けない位嬉しくもあった。
下手をすれば一週間に一度も働かないような携帯電話でも失くすと妙な寂しさがあり自分の感覚としては不本意だったが、そんな中での彼女の行為はこちらの気持ちを汲んでくれた無償のものだったわけで、メールの返事があろうがなかろうが関係がない。なんだか80年代みたいだった。
一朝一夕にゃ積み上がらないもんだと思う。
2005年9月20日(火) くもり/雨
這えば立て、立てば歩めの
「いいなぁ、私こんなことされたことないよ」と、アルバムを開いてのたまっているのは、友人のIだが、安心しろ、俺もない。
見ていた写真はお食い初め。
赤ちゃんが初めて、母乳以外の食べ物を食べる時に行う儀式のことをそういうらしいというのは、今日知った新事実である。人生まだまだ知らないことは多い。
しかしまぁ、端的に言えば、物食ってるだけじゃねーか。
確かに『初めて』という要素は重要かと思う。食べるという事も、人生の基本だと思う。しかしそれを言ったら、赤子にとっては何から何まで初めてだ。立ったらお立ち初めかと。持ったらお持ち初めかと。まぁ、別の意味で姫(わけあって削除)。
「私、小さい時の写真ってないなぁ」と、Iが呟いているのは、共通友人宅初子披露の小宴会にてだが、まぁ、その可愛いことと言ったら、『お食い』も許す午後7時。
2005年9月21日(水) くもり
始めに謝ります。ごめん。
自炊を始めて1ヶ月程になりますが、始めはきっちりレシピを見て作っていた料理も、だんだんと形が崩れ出し、オリジナルな物が幅を利かすようになってきています。
今日作ったのは、コロッケ煮。
カツ丼のカツの代わりに、昨日の残りのコロッケをぶち込んだという、まぁありがちな料理でありますが、しかし、作っている最中下らないシュミレーションが止まらなくなりまして。頼む、聞いてくれ。
弁当にコロッケ煮。
「お、今日はカツ丼?ん、ちょっと違う?へー、何それ」
「コロニー、デス」
「え?」
「『連邦の犬どもめ、覚悟するがいい』コロニーデス」
うわー。もー、なんか、止まんないんだよー。すまん。でもいーてー、宇宙人口調でいーてー!実物見たことないくせして・・・。
2005年9月25日(日) 雨/晴れ
ディス・コミュニケーション
いい身体の男のケツを私は触ったのだった。
彼は後輩のさらに後輩だった。私が計画した川下りに、その伝手で参加してくれたのだ。
一緒に川下りを終えて、彼と私とはなかなかにコミュニケーションが取れていた。なるほど彼は黒い肌でアウトドアな遊びをバリバリこなすイケメン19歳。かたやこちらは脂肪も厚いヒゲ面野郎である。だが荒瀬を乗り切った連帯感は、彼が白波を前にしても動じない芯の通った男だということを、私に教えてくれていた。そんな男の尻を、私は触った。
無事川下りが終わり、テンションが上がり切っていたのだ。バンの荷台で片づけをしている彼の尻を、「べろん」とか言いながら私は撫でた。普段のアホ仲間のノリで。
返ってきたのは、無反応であった。
私は自分が、川下りの途中に彼の身体のことを、「世紀末救世主のようだ」などと褒めちぎっていたことを思い出していた。しかし時はすでに遅かったのだった。
2005年9月26日(月) 晴れ
続くということ
「パルプ・フィクション」のDVDが古本屋で売っていた。ビール片手に見ている。
小説、舞台、音楽などでは必要以上な反応を示すくせに、映画ではそれがほとんどない。そのほとんどないうちの一本がこれだった。
姉貴に、ほぼ無理矢理見させられたのがきっかけだった。ある日の夜、帰ってくると姉貴はV字にした指を横にして目の前を通過させるという、不思議な踊りを踊っていた。ああ、アホだ。そう思いながら横を通ろうとしたら捕まった。「あんたも見なさい」。姉貴の踊りが、映画の影響だったと知ったのはその後だ。しかし、ユマ・サーマンとはえらい違いだ。好きな映画を持ち寄って、一晩みんなで見続けるという仲間内映画祭では、友人が気に入ってくれたのは嬉しかった。
夜も寒くなった。出汁と漬物の茶漬けをかきこむ。画面ではトラボルタとサミュエル・L・ジャクソンが、奇跡の定義について話し合っている。
2005年9月27日(火) くもり/晴れ
広々
「苦手なんだよねー」
「いや、だって見えてるじゃん」
「あ、ほんとだ。見えてるね、あははは」
「頼むよ、ほんと」
「daiさん、覚えるよね」
「そりゃ、覚えますがな。帰れなくなったらどうするのよ」
「そうだよねー。帰れなくなっちゃうよね」
「そうです」
「・・・」
「道くらいはさ、覚えようよ。頭の中に地図作ってさ、だいたいこっちの方角ってのをイメージしておけばいいんだよ」
「私、ほんと駄目なんだよねー。ほとんど誰かに連れてってもらうの。後付いてくだけ」
「へー」
「人生も」
「・・・」
キャッチボールの途中で、ボーリングの玉を投げるのは、なしだと思う。
2005年9月29日(木) 晴れ
そろそろ日本酒ですか。んー、もうちょいか。
昔の人は十字路というものを、今以上に大事にしていたらしい。
道というものは、稀人や商人、時には侵略者といった外界の事物を運んでくるものであり、それが交わる場所では情報や交易品というような善いものが交換される一方、疫病なんていう厄介者も見えない間にうつされるわけで、これを神聖視したのも納得する。市が立ち、祭りが行われるハレの場だったわけだ。まぁ、こういう知識を得たのは菊池秀行氏著のハチャメチャぶっ飛びバイオレンス小説、『魔界医師メフィスト』シリーズなんですが、それが何か?
しかし、今だって十字路の意義は薄れてはいない。例えば、そこは別れの場である。
夕刻。チャリンコでよく通る十字路では、高校生のカップルが愛惜惜しんで抱擁接吻に励んでいる。いーねー青春だねー、そして人目もはばからずの破廉恥千万、呪われるがいーねー。すっかり疫病おじさんと化してその横をかっ飛ばす夕景宵闇暮秋の夜。
2005年9月30日(金) 晴れ
だーてぃー・はりー
見渡す限りの海原の中、その岩はわずかに突き出ている。気まぐれなマントルが、作ったはいいが飽きて見捨てた。そんな岩だ。海が穏やかな時は畳み二畳程が顔を出す。海流がゆっくりと、長い年月をかけて岩を削り取ってゆく。
女の子は二人で、喧々諤々、机とPCの配置について話し合っている。僕らはその指示待ちだ。机に腰掛け、雨の夜の富士五湖道路のようにいつ果てるとも知れない議論に、決着が付くのを待っている。普段は隠れて見えない机の裏のごちゃごちゃした配線が、今日は久しぶりに日の光を浴びている。配線には、年月分の埃がしっかりと降り積もっている。
女の子二人の話題の中心は、女の子らしい細やかな心遣いに満ちている。これから自分の使う机だ。要求は泉のように湧き出てくる。問題は、誰もそれを汲み取らないことだ。
僕は積もった埃をぼーっと見ながら、大海原の岩のことを考える。やがて消え行く岩。
|