2005年10月1日(土) 晴れ
リレーとアラビアータ
女性陣がタイムトライアルのためトラックの向こうに移動している間、男性陣は隅っこの木陰で思い思いに過ごしていた。
「天高いねぇ」
草の上に寝転んだ長身のNの呟きに僕は視線を上げ、晴れ渡った空を見上げた。ちぎれた雲がゆっくり流れているのを見つつ、「秋だからねぇ」とほんとにいい加減な返事をして、また女性陣に視線を戻す。
はるか彼方まで、女性陣は歩いていく。先頭は経験がある2人が、その後ろに新人の3人が続く。一番最後に、ダントツに足の速い小柄なHが、下を見て後ろに腕を組むといういつもの歩き方で一人ゆっくりと付いていく。寂しげにも、見える。
目の前のトラックでは、60も過ぎようかというおじさんが、ほとんどパンツいっちょで、日に焼けた、ものすごいいい身体を惜しげもなくさらしつつ走っていく。風が渡る。
秋の午前の運動場の沈黙。
2005年10月2日(日) 晴れ
ビバ・YMO
大学の部室に行くと、そこにはUMAを探す男がいた。
かねがね噂は聞いていた。彼は雪男やツチノコ、ネッシーといった未確認動物を捜し求めているという。今山から帰ってきたばかりだという彼は、珍しい形の木をザックにくくりつけ、上半身裸の上にポケットだらけのベストというランボーのような格好で、一昔前のアイドルのような甘いマスクに、満面の笑みを浮かべるのだった。その隣では、天然パーマ気味のSが、タバコをプカーっとふかしながら、「女の部員欲しいッスけど、猿山猿子はイヤっすね」と、これまた東映映画に出てくるチンピラのように言えば、その奥では、以前私がケツを触ったMと、長い前髪に眼鏡の奥の瞳が時折キラリと光るOが、一心に漫画を読みふけっている。
全体的に一昔前な感じになった部室は、男の臭いに満ち溢れ、なかなか将来が楽しみである。しっかし、濃いな。
2005年10月4日(火) くもり
ぶんぶ、カッ、ちゅーわ、そーーーーーわんだほーーーーーーー!!
失礼承知であえて言わせてもらえば、ボニーピンクの音楽は心の奥底を震わせるという類の音楽ではない。もちろん、あくまで僕にとって。しかし気が付けば、アルバム発売の度に僕はそれを買い求め、部屋の中には何故か、彼女のCDが積み上がっているのである。
CDを買った。一つはYMOベスト盤「UC」。もう一つはボニーピンクの新譜「GoldenTears」である。二つ合わせると、6000円を超える。かなりイタイ。特売の一パック250円の味噌なら二ダース買える。味噌二ダースなら半年焼き葱食えるぞ、こんちくしょう。だが、後悔はないのだ。
まぁYMO「FIRECRACKER」のキタキタ感についても100万語費やしたいのはやまやまであるが、とりあえずボニーピンク。なんだろう、この気持ち良さは。
イケそうでイケない自慰、続く。という例えを、浮かんだ瞬間打ち消したりしている。そーーーわんだほーーーーーーー!!!
2005年10月6日(木) くもり
「自分一人じゃ動かせない所、脳ミソにありますよね」 By 初瀬野アルファ in ヨコハマ買出し紀行
夜中、かかってきた電話を取ると、男はおもむろにしゃべり出すのだった。
それはあるいは、投機の話しだったりするのだった。中国とブラジル、原油高と物価高、インドの株式。男は次々と世界の仕組みを目の前で解体していく。そこには水没する世界遺産と、海外に拠点を置く情報機器の日本向けコールセンターと、キリスト像に見下ろされる貧民街の残骸がごろごろと横たわり、数字のカウンターだけがクルクルと回転していくだけかのように見えた。
「でね、今ちくわは2ミリ短くなっているんですよ」
だが、突如発せられたその言葉に、私の耳は惹きつけられた。原油高は輸送費の高騰を呼び、かくしてちくわは2ミリ短くなる。なるほど。同じく世界を解体する言葉でありながら、それはどうしてか私の関心を引いてならない。何故だ。
後、納豆の大豆は大粒化するらしい。
2005年10月10日(月) 雨
クラシックもいいですなぁ
相当厄介な揉め事の、仲裁というか取りまとめというか、あるいはそう、不満の捌け口となるのを終えて、疲労困憊しながら最終の電車を待っている時だった。聞こえてきたのは、綺麗なソプラノのアリアだった。
高音部で僅かに音が外れるようだが、中音域での声の震えがとても良く歌に合っていた。おそらくドイツ語だと思う。その物悲しい旋律は、確かに僕を感動させていた。
揉め事は、結局は解決に向かわなかった。それは始めから、解決できない問題だったのかもしれない。冷凍庫で再び固まらせたチョコレートのように、それはすでに固まり、元の形に修復することはできないような種類の話しなのかもしれない。しかしそれでも、お互いが同じ場について話し合ったという事実は、決して無駄ではないはずだ。理論では噛み合わなくても、そこに意味はある。
最終電車を待つ駅のホームで、酔っ払いの歌を聞きながら、僕はそう思うのだった。
2005年10月11日(火) くもり
おっもしろいねぇ
ファッションショーを見る目つき。今日はそれを考えてみたい。
ファッションショーを見る機会があった。会場は200人くらいキャパがあるだろうか。照明も音楽も完備された、本物のファッションショーである。
「俺は、審査員を見る」
ところがである。私をそこに連れてきた友人は、こう言うのである。
ファッションショーは、審査員を見るところではない。誰もがそう思うはずだ。私もそう思った。だが、いかにその審査員が美人かという友人の熱弁を聞くうちに、私の常識は揺らぎ始めるのだった。
ファッションとはつまり美だ。ならば美を追求するという視点に立てば、友人こそまさにファッションショーを見ているのではないか。そんな考えがむくむくと沸いて来たのだ。
ところで、モデルの人達って、キメのポーズの時に、あらぬ方を見るもんなんですね。
2005年10月13日(木) 晴れ
おお!蚊だ。
チャリンコに乗って急いで行かなければならない用事があって駐輪場へ向かっていると、自転車仲間のHさんと行き逢った。
寒くなってきましたね、なんて心ここにあらずで言っていると、
「新しいチャリ、欲しいんだよねぇ」
とHさん。ここで不用意にも、
「あ、俺もッス」
なんて答えた私が、はい、馬鹿でした。
何故新しい自転車が欲しいのか、今の自転車の何が不満なのか、スピードか、乗り心地か。スピード。ちょっと見せてみろ。これならギアの歯数を46から52に上げれば相当早くなる。それでも不満か?どれ、ちょっと乗らしてみろ。いい乗り心地じゃないか。これなら小さくてもそれなりに早い・・・。
いつの間にかなっていた、嬉しそうに駐輪場をくるくる回るHさんを前に呆然と立つ俺という構図に気付いてみれば、笑いもこみあげるのだった。いいから、返してくれ。
2005年10月16日(日) 雨
おー、土曜日のことながら、おセンチ仮面
寝不足のままふらりとチャリンコでフットサルのコートに向かい、朝の9時から始めて11時まで動いた。昼食を食べて、仲間と別れたのは12時過ぎ。
そこから、今のところ僕が世界中で一番愛す公園を水源とする川に沿って、海に向かい自転車で進む。住宅街を抜けていく。
川は、幅が5メートルにも満たないような小川だが、度重なる改修にもめげずに、しっかり流れているのが嬉しい。川原からは3メートル程の護岸で離されているものの、車の通れない小道が川沿いにずっと続いている。
川原をジョギングしているおっさんがいる。カモが泳ぎ、その先では黒い鯉が悠々と旋回する。僕は心地よい暖かさの中、半分眠りながらゆっくりとペダルを踏む。秋の午後の白い光が降り注いでいる。行く先は、まだウンチに臭いもついていない、可愛い姪の所だ。
これだから人生はやめられない。たまにはそんなことも思ったりする。
2005年10月22日(土) 晴れ
ハンター、チャンス。後、スープカレー、うまいね。
ケツを打って痛い。しかし、嬉しい。今日はそんな話をしたいのだった。
とある場所で一仕事を終えた帰り、二十人程いた同僚共々、数台の車に分乗する形で、最寄の駅まで送ってもらえることになった。
少し遅れた私は、すでに三人が座っている後部座席へと乗り込んだ。車種がRVだからなんとか乗れるが、相当にきつい。私は苦労して身体を押し込めながら、ドアを閉めた。
ところがドアは閉まらなかった。
ゴン、という鈍い音ともに、ドアは再び開いていく。後には己のケツを押さえて悶絶する男一匹。開いたドアから見える暮れ行く秋の空も、そりゃぁ、澄み渡っていたそうな。
しかし、いいんですよ別に。それを機に、車内は笑いの渦。仕事の後の疲れも手伝って、黙り込みがちな駅までの15分が、そんなことで暖かくなるってんなら。
きみ〜がわらってくれるなら〜♪ケツの一つや二つ、ケツの一つや二つ・・・いてぇ。
2005年10月23日(日) 晴れ
シンクロニテ
フォークを落とした。
我々の他に誰もいない中2階の席に、硬質の音が響く。なんなのだろうか、これは。
駅からの道を15分程てくてく歩き、たどり着いたのは、妙な例えではあるが一瞬美容室を思い浮かべるような、洒落た店だった。野郎4人には似合わないことこの上ない。
まるで隔離されるように案内されたのは、外からは見えない中2階、フロアに客は我々だけという有様だった。地下にあるクラブからの重低音が、時折まるで電車が通る時の振動のように、がたごと響く。
物が落ちるのはそのせいかもしれない。
最初、この店に案内してくれたKがナイフを落としたという話しを聞いて笑った。次にMが実際にスプーンを落とした。そして私だ。
物は落ちる。重力だ。しかし、食べ物の席では、人は落とさないようにするはずなのに。
気を取り直して食べ続けようとした矢先、ひらりと舞い落ちたのは、私のレタスだった。
2005年10月25日(火) 晴れ
アフォinエッセイ
YMOベスト盤「UT」の中に、『恋人よ我に帰れ』という曲がある。原題は『Lover Come Back To Me』。オスカー・ハマーシュタイン2世という人が作った、ジャズのスタンダードであるらしい。
原題を見れば分かる通り、意味としては「恋人よ、僕の元に帰ってきておくれ」が正しいのだろう。歌詞もだいたいそんな内容である。しかし、この題名を日本語だけで見た場合、多くの人が「恋人よ、正気に戻れ」という意味に取るのではないだろうか。
ご多分にもれず、私もそう思ったうちの一人である。そして相当衝撃を受けた。なんて素敵なネーミングなのだろう。そう思った。
「恋人」一般に呼びかけていると考えると、恋の盲目性を揶揄する歌になる。自分の「恋人」に言っているとするなら、歌っているのがかなりの変わり者なのか、あるいは恋人がよほど妙なことをしているのかどちらかだ。
道行くカップルに、叫んでみたい言葉だ。
2005年10月27日(木) 雨/晴れ
異色トリオの講演会
さる講演会の帰り、一緒に行った友人と街をさまよった。
夜も遅くの街は店も閉まりかけ、派手な衣装を着たおねーさん達が、サラリーマンを送り出している。そんな状況だった。
終電を気にしつつ僕らが目指したのは、神社だった。友人が昼間見つけたというその神社は、大都会の、ビルの谷間に、確かに存在しているという。「ほんと、変な神社なんだよ」。友人は熱心に説くのだった。
時間ぎりぎりで見つけたその神社は、確かにすごかった。
空腹も手伝って、それまで意気上がらずだった私だが、友人に言われるままビルの間のごく細い路地の奥へ奥へと進むにつれ、その妖しい気配に染められていった。本当に、ビルの谷間に、ひっそりとその神社はあるのだ。
空調の室外機とビルの裏口をいくつも越えた末、配管が這い回る壁に囲まれた小さな社に、私は手を合わせたのだった。
2005年10月29日(土) 雨/くもり
気張って機番
「機番が違うんだよね」という言葉からギャバンの話になり、シャリバンを経由して一緒に歌まで歌った。いい先輩を持ったものだと思う。
若さ。若さとは何か。振り向かないことである。愛とは何か。そう、ためらわないことである(ちょっと変形の歌詞です)。何と含蓄のある言葉だろうか。赤点のテスト用紙にピーナッツバターをつけて、こんがり焼いたトーストに挟み込んでバリバリ食べていくかのような言葉だ。よろしく勇気(歌詞です)って何語だ。
それにしても機番から歌まで早かった。まるで打ち合わせた掛け合いかのようにトントンと話しが進む様は、当事者の一方である私が妙なビートを感じて、驚きとともに爽快でもあった程である。
そんな先輩も来月結婚。この場を借りて、心より祝福の言葉を申し上げたい。
本当に、おめでとうございます。
2005年10月30日(日) くもり
物見
宮崎駿作品を連続して見た。「魔女の宅急便」。そして「となりのトトロ」だ。
で、己の涙腺の弱り具合に気が付いたという寸法である。いや、もともと涙腺はなく(嘘)ここ十年で精神的に泣いたのは一回だけだという冷血男であるから泣きはしなかったものの、それでもジンとくるものがあって、自分でも驚いている。しかも困ったのは、それが全然脈絡ない場面でふいに訪れることだ。
「魔女宅」では、主人公キキが赤ちゃんのおしゃぶりを配達する場面で異常な感動を覚えていた。「トトロ」では、「嘘じゃないもん」という台詞で、きた。両者とも、演出上、感動するような場面ではないはずである。
年を重ねると涙もろくなる。世間一般に言われるこのような言説通りに、私もなっているのだろうか。しかし微妙に違う気がする。
「おしゃぶり」と聞いただけで、泣かない。私が今後注意すべき点は、こういう所なのではないかと思う。
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