2005年11月2日(水) 晴れ
石油な話し
 どうも、最近主食がベビースターとなっているdaiです。ベビースターおいしいですよね。僕は板状、というかおがくず状というか、細麺ではなくて何本かの麺が固まって一つのスナックになってる奴が好きです。あれを口に入れてそこに日本酒をきゅっと流し込む時のうまうま感といったら、お酒好きの人には怒られそうですけど、「ない」ですよね。
 あるいは。
 どうも、最近クインシー・ジョーンズ『ソウル・ボサノヴァ』怒涛の一曲目、タイトル曲でもあるところの「ソウル・ボサノヴァ」のご機嫌ブラス&ピアノの後ろに入っている、「うほうほ」言っている声の人になりたいdaiです。いいですよねぇ、あの「うほうほ」。曲に合わせて、リズムの裏を取りながら、裏声で「ぅっほ。ぅっほ。」んで最後はメロディーと一緒に「ほ。ほ。ぅほっほーー!」(曲知らなきゃ、わかんねーっつの)。
 そして、本文はないんだ、この文章は。

2005年11月3日(木) 晴れくもり(少雨)
『ロスト・イン・トランスレーション』、いいですねぇ
 たぬきの話しをするとFさんは笑いながら
「いやいや、そういう冗談はいいから」
 と言った。
 たぬきの話しとはこうだ。昨晩、駐輪場の生垣でMさんがたぬきを見つけた。たぬきは、生垣に沿って続く草叢の中へ逃げ込んだ。そこに僕が通りかかった。僕とMさんは5分ばかり音を頼りに追い回した末、たぬきを草叢から出すことに成功した。確かにたぬきだった。
「だって、こんな顔して、きょとんとしてたんですよ。すぐにまた草叢の中に逃げちゃったけど」
 僕は手を前に垂らして後ろ立ちのたぬきを表現し、顔まで真似して見せた。
「そんなこと言ったって、証人がMさんだろ。ウクク。ますます怪しいって、くくく」
 と、真実と虚構の狭間で、Fさんの笑いは続くのだった。
 ほんとなんだって。

2005年11月5日(土) 晴れ
素の感じですごい人
 カツカレーを食べながら、話を聞くのは大変だ。
 昼食のカツカレーには、福神漬けと、里芋と大根、人参の煮物。味噌汁と、お茶が一杯。それに話し上手な女性の、笑い話が付いていた。
 およそカツカレー程、食べ方に計画性を要求する食べ物はないのではあるまいか。ただのカレーでさえ、ライスとルーの比率に細心の注意を払わねばならない。いわんや、カツカレーにおいてをや。
 おまけに女性の話は面白く、始めの方の伏線が、最後の落ちに効いてきたりする。ポイントを押さえた話し方は非常に分かりやすいのだが、それでも筋を追って聞かないと分からなくなる。
 一緒にいた他の連中はすでに食べ終わっている。女性の話は佳境にさしかかっている。僕はスプーンを振り回しつつ、カツを頬張った笑顔で、相槌を打つ。

2005年11月6日(日)
体液?後、昨日の徹カラの話題など少々
「クリスマスのセールとか、やるんですか?」
 僕は鏡の脇に置いてある、赤と緑にデコレーションされたシャンプーとコンディショナーのセットに気が付いて言った。
「季節毎のね、シャンプー、売ってるんですよ」
 右耳後ろの辺りを、櫛とバリカンで調えながら、美容師のおねーさんは答えてくれた。
「冬には保湿効果の高いものを使って頂いたり」
 なるほど。詰め替え用ばかり使っている身には、思いつかない発想だった。
「秋は紅葉成分配合だったかな。冬はサンタ成分配合なんですよ。でもサンタ成分って書いてあるけど何なのかって、仲間内でも良く話てるんですよね。あ、じゃぁ流しまーす」
 というわけで、少し短くなってたっぷり保湿された、サンタ成分いっぱいの髪の毛をいじりながら、今、これを書いている。
 ちょっぴり、幸せの予感。うふ。

2005年11月8日(火) 晴れ
ひえーい。
 コーヒーを飲んでいて、むせた。
 やばいと思った時はもう遅い。すでに次のコーヒーを、口の中に含んだ状態だった。その時、私の意識に浮かんだことは次の三つ。
 一。やばい、口の中のコーヒーをカップに戻そう。二。駄目だ、もう噴き出す。開口部が小さいこのカップではこぼれてしまう。三。他に何か液体を入れられるものはないのか。
 あの一瞬でよくこれだけ考えられたと、自分を褒めてやりたい。しかしまぁ、結果は惨憺たる有様であって、ドラマの肺病の人が大吐血をする場面を想像して欲しいのだが、パソコンのモニター、マウス、カーテン、電気スタンドがコーヒーに染まった。さながら血痕である。近年稀に見るむせっぷりだった。
 これでもかと咳を繰り返す私は、隣室の人々の気配がこちらを伺っていることに気が付いていた。全然大したことないんです。ただむせてるだけなんです。心の中であやまりつつ、私はむせ続けるのだった。

2005年11月10日(木) 晴れ
心か?心なのか!?
 夜。自転車で静かな住宅街の細い道をとろとろこいでいると、四つ角で人とぶつかりかけた。長めの髪で、緑がかったコートを羽織った、若い男性だった。顔は暗くてよく見えない。小走りにかけてきた彼は、角を曲がった私の自転車とぶつかりそうになり、身体を捻ってかわしたのだった。手に、レンタルビデオの袋を持っているのが目に留まった。
 そのまま何事もなく行き過ぎた私の背後から、声が聞こえてきた。喧嘩でも売られているのかなと思いながら振り返ると、それを確認した彼は、もう一度同じ言葉を発して去っていった。私は彼が、「☆×○♪△落とした!」と叫んでいたのだと気が付いた。
 しかし、四つ角まで戻った私は、何も発見できなかった。私の持ち物はもちろん、彼のと思しいものも何一つ、そこにはなかった。
 首を捻りながら帰ったわけだが、今になって考えてみると、やっぱりどうにも何かを落としたような気がしてならない。

2005年11月11日(金) 晴れくもり
ショートの鬼。はい。アフォです。
 田中麗奈、かわいーなぁぁ!!ちくしょお。
 ネットワークビジネスの話しから始まった僕とOさんの会話は、マンションのローンの話題を経て、勧誘電話と携帯電話の意義にまで発展していく。それはとりもなおさず、二人の「姿勢」の違いを浮き彫りにしていく行為に他ならない。
 「姿勢」とはつまり、『勧誘の電話に対してあまりのしつこさに固定電話のコードを抜いた』というOさんのことである。また逆に、『勧誘の電話の手口はだいたい決まっていて、まず「○○さんもご存知のことかと思いますが・・・」という前置きを入れるのはやめて欲しい』という僕のことでもある。
 静かに揺られる地下鉄の中、同じ話題に対して提出された二つの意見は、お互いがお互いの反応を呼び、次なる携帯電話の話題へと繋がっていく。再びそこで問題とされるのは、ある話題に対する僕らの「姿勢」だ。
 しっかし、田中麗奈可愛いな。もーくそー。

2005年11月15日(火) 晴れくもり
『何遍言ったって通じやしない。てこたぁ置いといて、僕は言う♪』By Kazuyoshi Nakamura 魂の本
 僕は困っていた。
 五、六人で集まりファミレスで駄弁っていて、中の一人がスーパーのカボチャの種から自家栽培したという話しに差しかかった時だった。僕は「コンピューターソフトには著作権があるのに、農家の人は大変だ」という意見を述べた。発言の背後には、自己増殖する生命のしたたかさに対する驚きと、人間の悪戦苦闘という構図を想定していた。
 だが場の反応は芳しくなかった。僕は商標と種屋の権利について一くさり説教を受け、そのまま話題はかぶせ茶の栽培に関する中国人の模倣性批判へと繋がっていった。
 どうしてこうなってしまうのだろう。僕は思った。僕は中国人批判など聞きたくはなかった。増えていくカボチャと人の汗について語りたかっただけなのだ。その絵を、構図を、構図に対するおかしみを、伝えたかっただけなのだ。僕は何て言えば良かったのだろう。分からないのは、いつもそこなのだ。

2005年11月16日(水) 晴れ
「ゴドーを待ちながら」。うーん、もう一回読むな、こりゃ
 最近嫌いな言葉は二つあって、一つは「学生気分」。もう一つが「消費」なのだ。
 費やして消えるという響きが嫌だ。特に「消える」が嫌だ。消えるとはただごとではない。世の中そうそう消えるものなどない。例えば嘘大好きNと、なんちゃって天然ボケの僕はよく組んで人を騙す。Nが嘘かどうかの微妙なことを言い、何食わぬ顔で僕が肯定するという寸法だ。今日は「僕のいた高校では、手の振り方を教わる」ということになった。
 そんな高校、あるわけがない。
 でも僕達は全力で騙した。騙して、何かあるわけじゃない。ついてもつかなくてもいい、どうでもいい嘘だ。ばれた所で、盛り上がることもないだろう。その瞬間二人で楽しんで忘れ去る、泡の様に消えてしまう嘘かもしれない。でも、それだって残る。
 「そういえば、手の振り方を教える高校出身のやつがいたな」いつか、誰かがそう思う。きっと、そうなる。

2005年11月20日(日) 晴れ
何か勢いが・・・
 瞬間、妙にリアルに思い出す感覚というものがある。それは例えば海に行った帰りの電車の中で思い出す海上を漂っている感覚であったり、ふと嗅いだ香水の香りで突然抱きしめた体の硬さが甦ることだったり、ごめん今嘘ついた、後、安物の日本酒を口に含んだ瞬間に浮かぶ涙で滲んだ視界とトイレの壁の感覚であったりするわけだ。これはほんとです。
 最近何故か無性に思い出すのは、朝まだ早い静かな川面にそっとカヌーを押し出し、冷たい空気の中、一番始めにパドルを差し入れる感覚で、それはどこなのかといえば、静かで冷たいということで冬だなと分かるし、流れがほとんどないということも考えると、今までいった川のリストを思い浮かべてだいたい場所が絞り込める。地面の感触や臭い、周りの景色も思い出されるので、行ってみれば分かる気がする。
 ちょいと行ってみっかとも思っているのです。あーカヌーに行きてーなーもー。

2005年11月22日(火) 晴れ
海。そしてテーマ変更
 夜の環状道路。趣味の悪いオレンジのデイバックに、何故だかライフジャケットを括り付けてかっ飛ばしている自転車を見つけたら、それが私です。
 カヌー欲は日増しで高まり、道具は着々と手元に集まりつつあります。後は実家に置いてあるライフジャケットのみとなったので、「怪奇!!後ろから見たら何を背負っているか分からない男」となり果てて、今日、準備万端整った次第。
 ふふふ。テントの布地越しに感じる、ゴロゴロした石の感触が呼んでいる。朝、テントの入り口から伸びをしながら出た時の川原の風景と降り注ぐ朝日が目に浮かぶ。川面にパドルを差し入れる「サポッ」が、それを起点に身体を引き寄せる「ググッ」が、それぞれてぐすね引いて待ち構えている。待ち構えているぞ!!
 というわけで、目下私のテーマは「川」なのであります。おおお、ブーリンノット!!

2005年11月24日(木) 晴れ
ミタタビ
 クラムボンのアルバム「てん」を聞いて、この夏に行った彼らのライブのことを思い出している。
 不思議な体験だったと思う。以前にも書いたが、音楽を聴いて元気になった。そういうライブだった。夜の会場の、明かりのことも思い出す。会場にたどり着くまでの、道の風景も。一緒に行った人の顔。踏みしめて歩く草の道。
 この夏は、焼肉を食べた。日々記をこまめにつけ始めた。美術館を見に行って、何故か野球を見て帰ってきた。新しい出会いがあった。友人が結婚して、微妙なプレゼントをあげた。生まれて初めて「これは怒らなきゃいけないな」と思って、怒った。朝から数学の講義を受けた。大雨の中、酒を飲んだ。サーフィンをやってみたくなった。馬に乗って楽しかった。ギターを弾いた。ずいぶんハイテンションだった。
 いい夏だったわけだ。

2005年11月26日(土) 晴れ
ジャックロンドンの若いころの本、読んでます。
 ある小説家が「近くに行けば必ず食べる」という蕎麦屋に行った。入る前から嫌な予感はしていた。虫の知らせという奴だ。店は大層な「日本風」装飾で飾り立てられているのに中が見えない。しかしオレは、「ここまできたからには」と、中に入ったね。
 頼んだのは、とろろの大盛りだった。ところが出てきたのは、つゆ入りとろろと、パンのように固まってせいろにへばりついている、小さな蕎麦の塊だった。
 オレは、ケネディが暗殺されたころは評判の『蕎麦小町』だったと思しい店のばぁちゃんをつかまえて、よっぽどこう聞いてやろうと思ったね。「ねぇちゃん。オレが頼んだのはとろろの大盛りであって、ホテルフラミンゴの朝飯じゃないぜ。え、これが大盛り!?まいったね、うちの近所の松月庵じゃ、550円で400グラムは出てくるぜ・・・。」
 ・・・ところで。アメリカの小説って、やたら数字が出てくると思うのだが、なんでだ。

2005年11月27日(日) 晴れ
ロンドン、いいね。次は「ライ麦畑」で。
 時々、餃子屋で餃子を買う。近くの商店街に、屋台の餃子売りが来るのだ。
 60に近いような親父がやっている。餃子一筋40年なのか、あるいは、リストラにあって餃子を作り始めたのか、それは分からない。でも、餃子を焼く手つきはなかなかなものだと思う。
 餃子は五個一組のセットになっている。鉄板に油を敷き、平らな、焼き目が付く方を下にして、一セット焼き始める。裏返す。空いたスペースに一セット置く。客の注文が入る。親父は手早く経木風の紙を拡げ、まず一セット五個を置き、さらにその上にもう一セット、計十個の餃子を包んでビニール袋の中に入れる。その作業の間に、次の一セットが焼かれ始めている。
 味はまぁまぁなのだが、親父のこの技の見物料込みで十個二百九十円なら納得だと思う。
 「しょう油、いらないよ」と言うと、「あいよ」と答えて十円おまけしてくれる。

2005年11月28日(月) 晴れ
うなれジョン、走れジョン、さァジョン、川をジョン、渡るジョン。LOVE民夫
 私の自転車の後輪のタイヤだ。最近根性がないのが、こいつなのだ。
 夜、駐輪場に自転車を止める時は、パンパンに膨らんでいる。鍵を掛け、シートをかぶせて家に入る。
 朝、シートをのけてまたがった時の、あの「ふにゃっ」っとした感触は、なかなか情けなくて忘れられない。一晩にして、しぼんでしまうのである。
 やっかいなのは、二、三十分乗り回す間は膨らんだままなことで、ついつい気を許してしまうのだ。で、毎回朝乗る時になって気が付く。
 別に普段はふにゃふにゃでも構わない。しかしいざという時にしぼんだままなのが困るのだ。仕方がないから、またシコシコシコシコ膨らますことになる。肝心な時にはしっかり膨らんでいて欲しい。
 何の話かって、私の自転車の後輪のタイヤの話しですよ、もちろん。

2005年11月29日(火) 晴れ
ネタ。20円くらいだそうで。
 『早起きは三文の得』なんて言うけど、一文=10円レート位ならば、寝てる方がましだろう。誰でも通る道。誰でも通る道であるけれども、やっぱりそう思う、二時寝、五時半起きのdaiであります。
 多分、変動相場制なんだよ。それで勝ち組の人は、朝健やかに白い歯で笑いながら、「今日は一文=二億かな」くらいのことを言ってるんだよ。寝坊の時は三千円だったりね。それでも三千かよ。しかし、勝ち組とか負け組みとかって、なんだかなぁ・・・。
 あ、後、最近思ったなんだかなぁは、「精神的に弱い女性を、さんざんヤリまくって最後は崖から突き落とす」内容の石原慎太郎という人の小説(講談社学術文庫『戦後短編小説再発見1』収録、『完全な遊戯』)を読んだことであります。んで、残虐ゲームを規制しようとしている東京都って・・・。という、なんだかなぁ。
 小説自体はおもしろいぐわ。




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