2005年12月1日(木) 晴れ
スパースターが待っているのは、市バスの向こうかと思っていました・・・。くるり「NIKKI」。いいです。
 街に出て地図を買う。五万分の一の地形図。
 手袋をしないでそのまま、近くの大型日曜大工道具の店までチャリンコを飛ばし、今度は台車を探した。積載量は30Kgくらいで、重さは2Kg程度だと最 高だ。ショッピングカートだとやわ過ぎる。普通の台車だと重過ぎる。売り場のじいちゃんに相談すると、取っ手の付かない平台車がいいということになった。
「でも、今ちょうど切らしてるんだよ」
 じぃちゃんは、顔をしわくちゃにしながら、そう言った。明日なら入荷するかもしれないとのこと。
 OK、じぃちゃん。明日また会おう。
 帰りがけに、アウトドア用品店でガスのカートリッジと、安売りしていた、速乾性で保温の効く山用の下着も買う。
 夜道を自転車で飛ばしながら、スケボーにたたんだカヌーを乗せるのもありだなと気付く。準備も大詰め。

2005年12月10日(土)晴れ
5000突破いたしました。ありがとうございます。
 3次会は朝まで続いた。カラオケボックス兼居酒屋の個室にこもり、馬鹿話。
 お互い我の強い二人が、呑み比べをする。
「はー!?それだけしか呑んでないの?」
「そんなんで勝った気にならないで下さい!」
 別に酒を多く呑んだからってどちらかが優れているわけではない。だが、酔っ払いに理屈はない。ビール、サワー、ウィスキーのストレートにワインのデカン タ・・・。結果一人はトイレから一時間ばかり帰って来ず、もう一人はどこからか消火器を誇らしげに持ってくる。そして、二人仲良く眠りこけた。
 残った5人はぽつぽつと話を続ける。1人が救急車で運ばれた時の顛末を語れば、1人は日頃たまった鬱憤を愚痴に乗せる。僕はお決まりの初キスで胸を揉んだ話しをし、バツ一男のディープな身の上を聞いた。
 朝。暗いうちに寝床に入り、目覚めた時には日が暮れている。少し、思い出し笑いなどしてみる。

2005年12月11日(日) くもり晴れ
とりあえず、何でもいいから送っとけって
 大きな公園の、大きな池の近くにある公衆便所から出て、ポケットから手袋を引っ張り出した時、一緒にセロファンの包み紙がこぼれ落ちた。風に飛ばされて、闇に消える。
 しつこく覚えている記憶というものがあって、例えば小学二年生で家族旅行に行った時のことだ。砂浜で城を作った。大作だ。翌朝、僕はその城がどうなったか見に行くと言い張ったが、電車の都合か何かで結局見に行くことはできなかった。その城を、覚えている。
 飛ばされたセロファンは、ノド飴を包んでいたものだった。その夜。酔っ払った僕達は、そいつを使ってさんざん『警察無線ごっこ』をやっていた。「こちら 二号。三階は制圧した。四階に向かう」「こちら本部。了解。状況を送れ」びりびりセロファンを震わせて、僕らは町を練り歩いた。アホだった。
 落ちたセロファンは、一瞬拾うこともできたかもしれない。そんな心残りで、この記憶もしばらく残りそうな気がする。

2005年12月12日(月) 晴れ
深く潜る
 深く潜るのはもうごめんだ。心底そう思ったりもするのです。でもやっぱりそれがおもしろそうと、思う自分もいるのです。
 深く潜るとはどういうことか。私はそれを、一つの実例を持って示すことができるのです。それはラオスのバスであります。日本で二、三十年前に使われてい たような、木造のおんぼろのバスであります。バスは夜を徹して、ラオスの山奥目指します。道はひどく揺れ、寒さがとてつもない。
 やがてバスは休息のために止まります。そこは市であります。ビックリするくらい人がいる、市であります。露店が立ち並び、とても真夜中とは思えない。と ころが何故だか、あまり物音がしない。静かなのであります。なんだかバスから降りるのが怖いような、白熱灯の明かりばかりが白いような、そんな市なのであ ります。
 おほほほほ。なんだか物語ってみたい気分ではなくって?気分ではなくってぇ!?

2005年12月15日(木) 晴れ
「ナラタージュ」、そして「夜のピクニック」。おもしろいが、そんなに簡単ではない気もする。
 時々、常識がない。
 朝食は、昼食や夕食よりも少なめだ。これはどうだ?常識か?
 フランス人のカップルに「日本の朝食はどうだ?」と英語で聞かれて、「夕食と一緒だ」と答えたことがある。今思えば、彼らはどんな食物が出るのかと聞きたかったのだろうが、俺は量の話だと勘違いして、突っ走った。
 「セイム、セイム」を連呼する俺に、なお話しかけようとした彼女を、やんわりと押しとどめた男の顔が忘れられん。うるせーこの野郎、腹切るぞ!納豆食え!シルブプレって言え!!
 朝繋がりで言えば、早朝に歌の練習をする機会があって、高音部を思い切り歌ったら驚かれたこともある。「朝からよく声出るね」と。朝は起き立て声はでない。なんてのは、知らなきゃ関係ない思い込みじゃい。
 だもんで俺にとっての常識は、落とし穴のようである、って俺は空き地の子供か。

2005年12月17日(土) 晴れ
で、帰りは焼いた肉
 久しぶりにフットサルの試合に行った。思ったよりも身体が動くことに、少し驚く。
 下手の横好きなので、身体をぶつけられた瞬間に「あ、これはオレ、舐められてるな」と思うことがある。
 パスの受け際を狙われ、カットに入られる。こっちは反転しようとするが、それを読んでいた相手は、うまい具合に身体を入れてくる。体勢を崩し、片足だけ が残った状態で、それでも未練たらしく二、三回ボールを叩く。だが、ボールは相手の足にがっちり押さえ込まれ、決してこぼれ出ることはない。
 ふふふ、そんなに叩いたって駄目だぜ。もうこいつはオレのものだぜ。お前なんかが何をしたってもう無駄なんだ。接触している相手の肩がそう言っている。きー!くやしー!
 時間にして約二秒。つかの間のボディコミュニケーションである。
 以上現場から、被害妄想全開でdaiがお送りいたしました。ムキーー!!

2005年12月21日(水) 晴れ
あるぺじお
 脱皮のシーズンがやってきた!
 数日前から左の人差し指の腹の皮が剥けかけていた。「あら?乾燥?やーね」なんつって放っておいたのだが、今日気が付いた。迂闊だった。脱皮シーズンに突入していたのだ。
 数ヶ月に一度の割合で、主に手の皮がいっせいに剥け始める。六弦及び四弦弾きなんぞを本格的にやっていた時分は、剥ける度に皮が厚くなっていくのが上手くなったような気がして嬉しかったが、今はあまりギターも弾かなくなってきてしまっている。
 しかしだね。こう一人ピリピリ皮を剥いていて、古い皮の下に新しい皮のピカピカツルツル光っているのを見るってのは、これでなかなかおつですよ。「お、がんばってるねぇ」なんつって、肩でも叩いて呑みに連れて行ってやりたくなる、そんなピリツルだね。
 ところで世間様は最近、赤白緑で盛り上がってるけどなんかめでたいことでもあるのかい?はーピリツルピリツル。

2005年12月23日(金) 晴れ
ケーキ屋の前の家族連れ。娘「ママが作ったら、『ママクリームだね』」って、エロいなぁ〜!!
 たけ○この里ときの○の山を、間違えて買ってしまいました。もう駄目かもしれん…。
 島本和彦著、『新吼えろペン3』を買って帰ってきた、その帰り道のことでした。
 早く読む読むオーラ全開の私はしかし、部屋の扉を開け座椅子に腰かけページを開くところまで想像して、はたと気が付きました。
 「ここにコーヒーがあったら素晴らしい」
 そう、寒い日に、暖かいコーヒーを呑みつつ「吼えろペン」。完璧な組み合わせではありませんか。さらに何か甘いものでもあったとしたら…。あまりに素敵な絵柄に、私の足はコンビニへと向かっていたのです。
 迷わずたけの○の里を手に取ったつもりでした。あのサクサク感がお気に入りだったのです。帰ってきて、さあ食べようと開けた箱にはこう書いてあったのです。
 きのこからひとこと。『ついにあけてしまいましたね…』
 …うるせーーーーー!

2005年12月25日(日) 晴れ
寒い日のジャック・ロンドン「極北の地にて」。体感冷気、二倍増し。
 私にとって、「団」と言えば応援団なのだ。改めてそのことに思い至る。
 友人と会話を交わしている時に、「○○法人に勤めている人が・・・」と言ったら、「ああ、団体職員ね」と返された。
 新聞などの職業欄に時々見る「団体職員」という表記は不思議だ。こう指摘したのは、宮沢章夫氏であるが、これは正鵠を射ている。事情を知らなければ、一体なんの団体なんだと誰でも思うのではなかろうか。
 その事情を今日、私は、知ってしまった。
 聞けば、その友人の親御さんが法人に勤めていたとのことである。法人に勤めている人のことを「団体職員」と呼ぶ。この新しい知識は間違いなく私の頭にインプットされた。だが、それは、応援団の姿とともにである。だって私の中の「団」は応援団なのだ。
 ということで、キュピーンと頭に浮かんだ映像そのままに、今日も団体職員さんは大太鼓を叩き旗を振っているのだ。私の中ではだ。

2005年12月26日(月) 晴れ
浮気をしたら、相手のことはオレと同じ名前で呼べってんだ、コンチクショウ!!
 「孤独に歩め…悪をなさず、求めるところは少なく…林の中の象のように」というのは映画イノセンスの中で使われたどうやら釈迦の言葉であるらしい。だが困るのは、この言葉がいまだ増殖し続けていることなのである。
 呑み会である。小太り、ちょっと頭も薄くなり始めた山本部長(58)の隣だ。部長は一くさりこちらの近況を聞いた後、おもむろに会社上層部の批判を始め る。上層部がいかに時代に対応ていないか、会社に対し具体的なビジョンなるものを持っていないか。部長は熱く語る。その間にも飲み食いの手は止まらない。 部長は語る。キムチに箸を伸ばす。お猪口を傾ける。林の中の象のように。
 もう駄目である。
 象である。林だ。そこに会社も上層部もあるものか。部長と林と、象と私。平松愛理の名曲「部屋とワイシャツと私」もびっくりなこの組み合わせの前に、言葉はただただその意味を失っていく。林の中の象のように。

2005年12月30日(月) 晴れ
ラーメン食べると、酔いって回るもんですかい?
 朝起きると口の中に仄かなくさみ。それはつまり、ジンギスカンを食べたからなのです。
 久しぶりに会った仲間と、小山状に盛り上がった鉄板でジュウジュウ羊肉を焼き始めたのは、晩も八時を回ったころでした。小粋にワインなど傾けつつ、お開きは十一時。そこから私は愛車ジョン(チャリ)に跨って、二時間の家路についのです。
 しかし、ワナは途中で寄ったラーメン屋に待ち構えておりました(まだ食うのかよ!)。
 ラーメン屋を出た途端、何故か酔いが回り始めます。家までの距離は約三キロ。チャリンコに乗ったら危ねーな程度の判断はできたので、手押しで歩き出したのですが、いやー人間、歩きながら寝られるもんなんですな。
 あちこち痛む身体をさすりながら、ガードレールやら駐車中の車やらにぶつかっては目覚めるを繰り返しそれでもへらへら笑っている不気味不気味の帰り道を思い出すにつけ、とりあえず死なんでよかったなと。

2005年12月31日(月) 晴れ
しめ
 町の中を自転車で走っていて、一軒のコンビニエンスストアにフラリと入った。頬と耳が、何か物のように冷たくなっている。温かい飲み物が欲しかった。
 小腹も空いていたので、ついでに食べ物も物色する。簡単に食べられて、ちょっとお腹に溜まるもの、でもあまり肉類は食べたくない。
 で、買ったのは缶コーヒーと手巻きのイクラ。コーヒーとイクラ。
 外に出て、買った品物を袋から取り出し、思わず「あっ」と言ってしまった。20秒前の自分は、一体何を考えていたのか。何も考えていなかったのか。己のアフォさ加減をかみ締めつつ、それはそれで結構おいしく頂けるのだから、アフォも悪くはない。
 まあ、今年一年もこのコーヒーとイクラのようでもあり、異質と異質を掛け合わせ、アフォであって良かったなぁと、異次元的なまとめをして、終わります。よいお年を。




To kakolog page
To hibiki page
To top page