2006年1月1日(日) 晴れ
元日買い渡し紀行
 年が明けての初仕事。中学校の夜警をしている親父に、おせち料理を届けた。
 来客用の玄関の脇にある用務員室に入ると、ガスストーブで暖められた部屋の空気は心地よく、テレビでは笑点をやっている。コップ酒でとりあえず乾杯し、近況なんかをポツポツと話した。
 他人の視点で見る、縁も所縁もない中学校というのもなかなか面白い。トイレに立つついでに、少し歩き回ってみた。野球の優勝旗が飾ってある。黒板消しクリーナーについての注意書き。最近調子が悪いとの由。トイレの電気が自動で点くのには、びっくりした。
 元日に、見知らぬ中学校で、親父と二人で酒を呑むなどという状況もなかなかないなと思う。
 帰りがけに、駄賃代わりの缶コーヒーを飲んだ。冬の夜、チャリンコで走り回った後の缶コーヒーは染みる。心底うまい。
 今年もよろしくお願いします。

2006年1月3日(火) 晴れ
ええ本見っけ
 人は手に物を持つと投げる。それは一面で真理だが、かといって石飛礫で死ぬのはご免だ。そう思うのだった。だって相当痛いよ。
 網野善彦著『異形の王権』を読んでいて、「中世の飛礫について」という章に引きつけられる。古来よりの飛礫の意義について解き明かしていくこの章は、読んでいてかなりエキサイティングであったが、所々「おいおい、ちょっと待て」と思わず呟いてしまう記述があり、失礼とは思いつつ笑ってしまう。
 『〜多くの百姓たちが、やはり「婚礼石打に事寄」、喜右衛門の家を襲っている。打ちこわし、一揆の石打と祝儀の石打とは、すぐつながってしまう』とあるが、つまり「めでてーなー」とか言いながら石を投げていたのが、いつの間にか家屋破壊、ひいては一揆の投石になってしまうのだ。たまったものではない。どんなテンションなんだよ、それは。
 一体我々の祖先はどうしてしまっていたのか、飛礫への興味はますます募るのである。

2006年1月5日(木) くもり晴れ
デカゲーセン後、財布忘れ
 寒いんだったら泣けばいいじゃん。服がきつけりゃ泣けばいいじゃん。おっぱい欲しけりゃ泣けばいいじゃん。赤子を見てるとつくづく欲と素直さの関係を思い知らされますがただ一つ。ただ一つ言いたいのは、眠いんだったら寝ればいいじゃん!何故そこで泣く!?
 姪。ただ今四ヶ月です。薄々感ずいてはいましたが超おじ馬鹿。なんだこのちっこいのは。和ませ過ぎです。
 色々観察対象にもしていて、本気で怒った時の泣き方と「しょうがねー泣くかぁ」って時の泣き方の違いくらいは分かる様になったんですが、疑問なのは眠くて泣くこと。そんな暇あったら寝ればいいのに。
 無防備な睡眠時に外敵に襲われないよう保護者に注意を促すため。とか屁理屈を考えてますが、多分、そんな気分なんだろうな。
 でも最近「バイバイ」を覚えて、おりこーさんなんでちゅよねーばぶー。ハーイ。ちゃー!「ちゃー」ってなんだ!?

2006年1月9日(月) 晴れ
おいらはやらんが
 よく行く定食屋の親父が、突然、経済についてしゃべり出す。
 僕がカウンターに座った二分後に、僕の隣に腰を下ろした青年が、どうやら経済学の勉強をしているらしい。親父は、マクロとミクロ、両方の経済学について勉強法を講釈し、株ついて、自分なりの考え方を披露していた。
 「これからは第一次産業。Mモーター知ってる?あれなんて世界で七割位シェア取ってる超優良企業でしょ。でも原料費が・・・」
 親父は株も競輪なんかと一緒でバクチだよと言い切り、三年位は四季報を辞書代わりにノートを作って、自分で注目した企業を追っていけと言った。その間損は絶対にするけど授業料だと。しかし青年は親父の熱意にはあまり比例しない態度で週刊誌片手に時々相槌を打ち、その隣でぼくは、出てきたオリジナルセット六百八十円也の原価について思いを巡らしてしまうのだった。
 定食屋と世界経済と親父の話し。

2006年1月11日(水) 晴れ
土曜日の事ながら
 縄文の昔は海に突き出た岬に作られた墓所だったという公園の脇を通る道路で、僕はコケた。歩道の真ん中に、何のためなのか皆目見当もつかない石垣風、五十センチ程の段差があって、自転車で乗り上げたのだ。夜も十一時は回っていて、道は暗く、僕は酔っ払っていた。中村一義「魂の本」は「僕は魂の本に今日の皆を記すんだ」まで歌われた直後で、続く「何遍言ったって通じやしない、てこたぁ置いといて僕は言う」の「なんべ」までが、実際に発声できた最後のフレーズだった。
 幸い膝を打っただけで、身体の方はなんともなさそうだった。自転車の方も、パンクはしていたがフレームに目に見える歪みはなく、走れそうだ。僕はファ○クを連呼しつつ街頭の下まで自転車を引きずってゆき、国土交通省を罵倒しながら誰も通らない冬の道で、チューブを交換した。で、最近なんだかこんなんばっかだなと思いながら、また自転車に跨るのだった。

2006年1月12日(木) 晴れ
こーしゅー
 人差し指で二フレット目をバレーしつつ小指でもって一弦、二弦を押さえるという変則フォーム。んで、一気に右手を振り抜けば、マイナー調の調べが鳴り響き「トーデー、ずごなびざでー」とイギリス労働階級べらめぇ節も炸裂するって寸法ですオアシス、「ワンダーウォール」。
 ギターが弾きたいと思うのです。ある種の欲求不満でしょうが、しかしこう思いっ切りかき鳴らしたい。駅前で弾き語りとかやってみたい。腕がない。練習したい。色々方法を考えてみるのですが、我が借家長屋ではやっぱり「音」が問題なのですな。なんかいい方法はなかんべか。で、弾いてる場面だけ想像したりしている今日この頃なのです。
 個人的に好きなちょい不思議コード、AM7から入りEへ。肝心要はカッティングと「いつもより倍速でお届けしております」の右手の速さで、手の動き自体ですでにノリノリ小沢健二「僕らが旅に出る理由」。あがー。

2006年1月15日(日) 晴れ
連ちゃん
 喫茶店を出ると、雨は止んでいた。
 朝の五時までやっているお化けのような喫茶店で、『冬季オリンピック(男性限定)は裸でやるべきだ。その方が絶対おもしろい。特にカーリングとモーグル』という激論を二時間ほど戦わして外に出ると、中天を過ぎたほぼ満月に近い月が、晴れ渡った空に浮かんでいるのが見えた。空気に南の匂いが感じられる。太平洋の湿気を充分に含んだ、海の匂いだ。二時間ほど歌を歌い、始発で帰る。
 目を覚ますとお昼前で、布団の中は汗ばむ程だった。
 洗濯をして、昼飯がてら外に出る。空は晴れで、相変わらず海の匂いがする。近くで済ますつもりが、なんとなく足の向くまま三十分ほど歩いた。夜は居酒屋になる蕎麦屋で、蕎麦と卵丼を食べる。帰りがけにふらふらと本屋に寄り、川沿いの道に出た。
 何度か深呼吸をする。海の匂いがする。低気圧が運んできた、太平洋の匂い。

2006年1月16日(月) 晴れ
勢いでアイスを食う。
 怖い夢を見て、男は目を覚ます。自分は小さくて、友達の家に遊びに行くのだが、家の中には誰もいないという夢だった。枕元の時計を見ると、もう出かける時間になっている。男は慌てて支度をし、部屋を出た。
 夜明けに雨でも降ったのか、地面は濡れているが、空は快晴だ。暖かい。
 交差点の信号待ちで、電柱の上に何かが引っかかっているのを、男は見つける。黒っぽい何か。てっぺんの方に絡まっているようで、何だかよく分からない。布か、動物の毛皮か、柔らかいもののようだ。
 男はそれに見覚えがある。だがどうしても思い出せない。信号が変わる。男は歩き出す。
 しばらく歩いて、唐突に男は思い出した。そう、あれはインドネシアの刺繍だ。黒い布に金の縁取りで、奇妙な仮面を被り踊りを踊る人物が縫いこんである、南国の刺繍。
 男はそれを、幼いころよく遊びに行っていた、友達の広い屋敷の中で見ていた。

2006年1月17日(火) 晴れ
幻想日々記、第二段
 佐古田課長はよく分からない。
 休日出勤。課で出社しているのは僕一人という所に、佐古田課長はフラリと現れる。
 「な。ちょっと眠らせて。言わんといてね」
 関西弁で言うが早いか、向かいの机に突っ伏して眠り始める。
 二時間後。所用で席を外して戻ってくると、佐古田課長はもう目を覚ましていて、勝手に大久保のパソコンを点けていじっている。
 「お早うございます」僕がそう言うと、
 「君な。君、いつもこんな時間にお早うなんて言うの?」あくまでクールに返してくる。
 僕は何も言えない。
 二の句が継げずに後ろで棒立ちしている僕を尻目に、佐古田課長はネットで長谷川京子のファンページを見ている。そして聞く。
 「うち、インターネットとか見放題でしょ。そんなんちゃんと管理しないとあかんよなぁ。なぁ?」もちろん、僕は何も言えない。
 楽しいのか、佐古田。

2006年1月18日(水) 晴れ
幻想日々記、第三弾
 交差点。信号待ち。横に止まった黒のミニバンには若い男が乗っている。ふとそれを確認したのは、偶然にも男がこちらを見た瞬間でもあった。なるほどね。勝負と言うわけだ。
 信号が変わる。前を取ったのは、当然自転車だ。ここぞとばかりにこぎまくる。しかし悲しいかな、必死な努力の甲斐も、交差点を渡り切るまで続かない。車は悠々と追い越していく。片側二車線の大型道路は混雑しているわけでもなく、車の影は遠ざかっていく。だが、あせらない。まだ勝ち目はある。
 なぜなら、これだぁ!!
 道路工事。ふははは。知っていたのだよ明智君。ここで工事をしていることをね。情報を制するものは世界を制す。現代の戦とは、常にこうありたいものだよ。ふはは。スピードを落とす車の脇をすり抜ける。勝った。
 後は規制のない歩道を、っと思ってたら道いっぱいのおばちゃん軍団、お花の帰りだとさ、ほいほーい。勝てんわ、そんなん。

2006年1月21日(土) くもり
幻想日々記?ぱーとふぉー。
 さ〜て。今日の日々記は何を書こうかな。
 最近やっと気が付いたけど、いいネタってのは座ってウンウン唸ってるだけじゃ思い浮かばないっての、あれ、本当だね。歩いている時。これが一番。リズムがいいんだよね。てっく、てっくってね。でも今日は寒いし。
 次が風呂だね。シャワーでもいいや。よし。
 しゃわ〜(シャワーの音です)。何すっかな。面白いこと。そんなホイホイ起こらんしな。時事ネタにでもすっかな。あ、きた。いいの来たよ〜。
 ハチ「て〜へんだ、親分」
 親分「どうした、ハチ。瓦版もって便所から飛び出してきやがって。兎でも出たか」
 ハチ「違うんで。実は堀右衛門って野郎が相場でサマをやらかして・・・」
 親分「おい、ハチ。そういう話はトイレに流したケツぬぐう紙と一緒だ」
 ハチ「そりゃいって〜どういう意味で?」
 つまらないと。誰か助けてくれ。

2006年1月23日(月) 晴れ
そのろく。ってのは、「たま」の名アルバムの名前でもあるのですな
 男は、海が見下ろせる高台の家を買った。鉄筋コンクリートの作りで、ずい分古い。そのせいだろう、場所の割りにとても安かった。
 男は子供の頃、この家によく忍び込んでいた。仲の良い五人の仲間と、当時から空き家だったこの家を、秘密基地にしていたのだ。
 「あら、そんな話し、初めて聞いた」
 そのことを女に言うと、まだ妻になったばかりの女は、その頃のことを知りたがった。
 「ほら、ここ見てごらん」
 屋上のテラスの手摺りに、『またいつか必ずここで』そう削られた文字が残っていた。横に、五人分の名前が連ねてあった。
 「で、結局戻ったのは、貴方一人なのね」
 海風に目を細めながら、女はクスリと笑ってそう言った。
 「そんなことはないよ。もう、みんなここにいる」
 男は屈み込み、コンクリートで補修されたばかりの床を撫でながら、答えるのだった。

2006年1月24日(火) 晴れ
文章からしてかっこいいんだよ、道夫さん。『長い旅の途上』
 今、僕らがこうして、本を読んだり、コーヒーを飲んだり、誰かとメールをしたり、お湯の代わりに牛乳をベビースターにかけて死ぬほどまずい思いをしたり、ソリティアに本気でブチ切れたりしている間にも、この同じ地球上で、ヒグマや野生のオオカミが、あるいはすやすやと冬眠を貪り、あるいは吹きすさぶ極北の風雪の中、カリブーの子供を狙って執拗な追跡を続けているのだということを思い浮かべる時の恍惚を説いたのは、故星野道夫氏であるが、けだし至言である。
 例えば、コウモリのフン。
 風呂上り、全裸で鏡の前に立ってちょっとやってみっかな的に貴方がコマネチの練習をしているその時!その時にも。洞窟の奥、あの真の闇の中で、誰一人嗅ぐものさえいないというのに、静かに、だが確かに、コウモリのフンは、嗅ぐと頭がキーンとなる異臭を放っているのは紛れもない事実なのだ。そういうことだろ、道夫さん。だろ?

2006年1月27日(金) 晴れ
なんか出ました。from網野善彦
 東の涸沢には山姥が出る。そう言われているその沢を、権八は歩いている。夜であった。
 権八自身は山姥など信じてはいない。あれは山人じゃ。そう思っている。幼い時、川原でしばらく暮らしていた父娘がいて、娘は権八と同じ年頃だった。後で父親が、山人だと教えてくれた。箕を作り、山に暮らす人々。
 ところが尾根に出る前のガレ場で、権八は怪異と出会った。じゃりじゃりと音がしたかと思うと、尾根側から異形の人形が降りてくる所だった。柿帷をまとい蓑笠を被っている。
 「け、権八じゃ」
 気が付くと権八は名乗り上げていた。ズカズカと人形の横を通り過ぎる。びっくりした気配があって、その後なんだか笑いながら会釈をしていたように思えたが、後ろも見ずに歩いたので、細かいことは分からなかった。
「山人じゃ、山人に取っての山姥は権八じゃ」
 突然に高揚した気分のまま、権八はそうつぶやきながら尾根への道を登るのだった。

2006年1月28日(土) 晴れ
ご機嫌
 宮本武蔵。を、想像して頂きたい。彼は佐々木小次郎との対決に、巌流島へ船で渡った。そしてその櫓を削って木刀としたとされる。その櫓を想像して頂きたい。細長く平たい木製の櫓で、繊維の密度が高い。叩くとコンコンと乾いた音を立てる。握りの部分は細く、海中に入る部分はそれより少し太くなっている。その櫓を縮小して頂きたい。丁度両手で抱えられる程の長さだ。一メートル位だろう。そこに六本の弦を張る。これが本体である。奇妙な形だ。杖とも板とも呼べない木に弦が張ってある。
 そこに、太い針金状のフレームをくっつけて輪郭だけギターの形にする。唐突な話しで申し訳ないが、とにかくする。何だかギターっぽいオブジェができるはずだ。それがそれ。
 エレガットという、クラシックギターのエレキ版を買ったのです。ボディがなく、アンプで音を拾う。そいつの形体を綴りたいのに、何て書いたらいいものやら。

2006年1月29日(日) 晴れ
章夫節好き
 「資本論も読む(宮沢章夫著、WAVE出版)」も読んでいる。後、読んでいるのは「キャッチャー・イン・ザ・ライ」と、「オーデュポンの祈り」と、「告白」です。で、「資本論も読む」も読んでいる。
 つらつら読みながら、前々から気に食わん、気に食わんと思っていた「株」の悪口をば、この際だ、言ってやろうという思いに捕らわれた。そういうことはあまり良くないことだとは勘付いてはいるのだが、え〜いままよ、言ってしまう。「株好き」の人、すまん。
 あれは借金が売り買いされてるいるから、おかしいのではないか。
 とりあえず思い付くものを一つ言ってみた。
 例えば学費を払うのに金が要り、卒業して働き始め、いざ叔父さんの所に借りた金を返しにいった時に、こう言われたらどうだろう。
「あ、その借金は田中とかいう人に売ったよ」
 え〜!と思うよ僕は。だって叔父さんだから借金したんだぜ。誰だよ田中ってって思う。
 とまぁ、その辺が肌に合わんのです。株。




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