過去ログ
2006年2月2日(木) 晴れ
遠出
 あるハンバーガー販売のチェーンでは、ハンバーガーを焼き比べるコンテストが行われるという話しだ。
 最大、同時に、十二個まで製造できる機器で、次々と焼き上げられるハンバーガー。コンテストでは、その個数と、いかに綺麗に作られたかを競う。各店舗から一人の代表が出場し、優勝者には本場アメリカへの研修兼旅行が賞品としてプレゼントされるというから、もやは祭りとでも言うべき盛り上がりを見せるのではないかだろうか。
 僕がふと空など見上げて、いわし雲でも見つける時。まさにその時。もしかしたらどこかで、誰かが、必死にハンバーガーを焼いているのかもしれない。十二個ずつ、瞬く間に、山のように積み上がっていくハンバーガーがあるのかもしれない。
 海沿いを走る電車の中、駅弁を食べながら、見事に晴れ上がった空を見て僕は、そのことに思いを馳せないわけにはいかないのだ。

2006年2月3日(金) 晴れ
Trying to across the Universe
 時々行くトイレが、って「時々行くトイレ」ってどんなトイレかと書いてる本人にも謎な表現ですが、まぁ一つ置いておいて、時々行くトイレが川を見下ろせるトイレでして、僕はここがお気に入りなのです。
 小用を足す時、顔の斜め前に窓がくる作りで、それが川に面している。建物自体が堤防の真横に建っていて、その三階にあるトイレですから、見晴らしはとても良いのです。
 ひょいと覗くと、だいたいカモが数羽は泳いでいるし、魚が水面近くで遊ぶ波紋も見えたりするのです。今日などはカモ数十羽、ここらではめったに見ない鷺までがいやがりまして、何が原因なのかは分からないけれど野生の王国、一大スペクタクルロマンな世界が眼下に広がっておりました。
 別に特別綺麗なわけではありませんが、開放感抜群、なかなか貴重なトイレなのです。
 逆に、川からこちらを見た時の光景は、なるべく考えないようにしております。

2006年2月5日(日) 晴れ
らいぶ、らいぶ
 ハイドローリック(水理現象)とは純粋に物理の問題だけれども、そこで無くなるのが人の命だという点で、ひどく生々しい。
 段差を落ちた水は、一旦重力によって下降し、後から落ちてくる水に押される形で、少し先で浮上する。浮き上がった水は、そのまま下流に流れるものと、勢いで上流に戻るものとに分かたれ、水勢が強いと、この上流への動きによって回転するドラム缶のような循環流ができあがる。これをリサーキュレイションと呼ぶ。左右に逃げ場の無い状態でこの流れに捕まると、待っているのは死しかない。
 ただ、一つだけ脱出法があるとすれば、それは深く潜ることだ。一度水面を離れて、深く潜る。
 浮上する水の流れとは別に、最下層にはそのまま下流に流れていく水が、確かに存在する。川で言えば川底に、その流れはある。ここまで潜れば、その流れに乗って、死の回転から脱出することが可能になる。

2006年2月6日(月) 晴れ夜遅く雪
さっぱり
 都心。構想ビル内。十五階にあるオフィスには、佐古田課長以外、誰もいない。そこだけ明かりの灯った一角で、佐古田課長は明日のプレゼンのための資料を作り終えたところだった。何とか日が変わる前には帰れそうだ。ふと窓の外を見つめ佐古田課長は「いやー。仕事したなぁ」とつぶやく。その同時刻。
 最後の客が帰り、ミーティングを終えて、一服してから練習を始めたので、かれこれ三時間は鋏を動かしている。瀬戸は手を止めた。途中まで雑談を交えて付き合ってくれていた同僚もすでに帰ってしまっている。最近グラデーションがうまく入らない。今日のお客さんには、悪いことをしたなと思う。しかし、そろそろ片付けないと帰れない時間だ。瀬戸はふと、髪の毛にまみれた自分の手を見つめてつぶやいた。「今日も、切ったな」。
 今日の日々記は、『夜、十二時まで髪を切る』です。美容院のおねーさんの、手鏡を取る手を見て、妄想発動。う〜ん、微変態。

2006年2月9日(木) 晴れ
じねん
 手ごねラーメンを語る時に、手もみラーメンを引き合いに出さない。これからはそういった生き方を目指さねばと、思うのだ。
 夜道を自転車ですっ飛ばしていて、一軒のラーメン屋の前を通り過ぎる。看板には「手ごねラーメン」の文字。手ごねラーメンとは一体何なのか、疑問は湧き上がる。
 だがここでいつものように、もう一方の不思議表現、「手もみラーメン」を持ち出したりはしない。ここで、「もむ」と、「こねる」の違いをエロさの観点から語り出したりするのは、今までの自分だ。一見「こねる」と「もむ」では、「もむ」に軍配が上がりそうだが、試しに想像して欲しい。粘土を揉みほぐしている少女と、こね回している少女。どっちがエロいだろうか。いい大人がそんな風に話を進めるわけがないのだ。まして「練乳」を「練った乳」と読み下した友人Kの至言などを書き連ねるなんてするはずがない。
 するはずがないじゃないか。

2006年2月11日(土) 晴れ
たび
 大阪から船に乗り、海を渡って上海へ。
 中国を横断し、南寧へ。どこへ行く。どこへどこへ。国境の長い事務手続きを抜けると、そこはベトナムだった。車に乗り、放り出されたのはハノイの真ん中。ハロン湾では涙を飲み、水上劇には心が躍った。それから南へ。とにかく南へ。フエ、ホイアン、ナチャンを抜けて、目指すはサイゴン=ホーチミンシティ。海辺で買ったガイドブックがその後を決める。北へ針路を取りカンボジアへ。プノンペン、川を上ってシエムリアップ。そこにはあのアンコールワットが。それを語るには、ここではあまりに時がない。西へ。赤土を越えてバンコクへ。休む間もなく旅は続く。橋を渡ってラオスに入る。ビエンチャン。シェンクアン。ルアンプラバーン。語るべきことは数あれど、急がねば。フエサイ、チェンマイ、アランヤプラテート。古都スコータイ。そして再びバンコクへ。旅は続く。KL、マラッカ、シンガポール。どこへ、どこへ。

2006年2月12日(日) 晴れ
冷麺とは、特別な食べ物であることよ
 大学のクラブの後輩と電話で話していて、笑い話を聞いた。
 我々が所属していたクラブは、毎年学園祭で展示発表を行っていた。そのついでにOBを呼び、「活動説明会」と称した呑み会を行うのが慣例になっている。
 ある年。文化祭の最中に、後輩の携帯へOBから電話が入った。「活動説明会に出たいのだが、集合場所と時間を教えて欲しい」ということだった。後輩は集合場所として、展示をやっている教室の部屋番号を教え、集合時間も伝えた。ところが、いざ時間になってみると当のOBがやってこない。訝しんだ後輩が電話を掛けてみると、「今渋谷にいる」と言う。
 「109に、七時集合だろ」とのたまったそうだ。阿保な先輩もいたものである。「あのOBは誰だったけなぁ」後輩はそれが誰だか忘れてしまったとの由。
 で。今思い出したが、それは俺だ。

2006年2月13日(月) 晴れ
最近はもう、町田康づくしですので、こんな感じ
 日々、歌って踊って暮らしたいと強く願う次第であるが、それはなかなか難しい。なんとなれば、歌って踊ってさらに暮らすともなれば、これは当然活力が必要であるのだけれども、活力を得るためには畢竟もの食わねばならない。しかるに歌って踊るという行為は、なんら食物を生み出す手立てにはならないのであって、窮するは道理である。んじゃぁ、歌って踊って暮らすというのは夢物語、所詮浮き草の無理咲きか蛤の蜃気楼かと言えばさにあらず。世の中良くしたもので、ちゃんと方法はあるのである。つまり歌って踊る歌謡演舞を生業にしてしまえばいいのである。
 歌謡演舞を衆目に晒す。金を得る。その金で食物を購入する。ほら、こうすればなんの問題もない。歌って踊って暮らせるのである。で、自分はクラムボン『バイタルサイン』という曲に乗って、踊りました。その後、コンビニに行って、焼きうどんと豆乳を買って食って寝た。ソイミルク。

2006年2月14日(火) 晴れ
バレンタインさんが撲殺された記念日というのは、本当か
 チョコビールを御存知か。
 チョコ味のビールだ。聞くだに不味そう。それが今、目の前にあるというのだから、心が躍らないわけがない。
 数人の女の子から合同でもらった義理チョコである。義理ビールである。ぎりぎりのビールである。行き過ぎである。逸脱である。話を元に戻す。しかし義理だろうが、しがらみだろうが、おこぼれだろうが構わないのだ。わけのわからないものを飲ませてみる。その精神が素晴らしいと思う。つまりこれはバレンタインにかこつけた遊である。単に義務的にチョコを配るのは業腹だ。どうせ出費をするなら、その分楽しむ。そのためには知恵を絞る。この精神の働きに活力を見る。何せこうやって儀式にかこつけて出されたら、呑まないわけにはいかないじゃないか。というよりも、本音を言えば己が呑みたくてしかたがないミーハー野郎なだけである。で、呑む。にがカカオ。

2006年2月15日(水) 晴れくもり
最後の一つは、自分でもどうかと思いますが。
 なんとはなしに、モンゴル語を話したいなどと思っている。
 例えば馬についての表現など、日本語が及びもつかない数の単語、形容詞、また動詞があるのだという。つまりモンゴル語を操ることができれば、馬に関してもスペシャリストに近づけるというわけだ。お得である。他に、緑色関係とか。その辺が好き。
 その伝でいくと、イヌイット語なんかは、白に関しちゃ一家言あるそうだ。なんせもう冬になったら雪雪雪雪氷という世界である。そりゃぁ白にも詳しくならぁなと思う。イヌイット語習って、自室の壁の白さについて熱く語るというのもかなり魅力的だ。
 ならば我が朝において、そういった勝負所がないかとつらつら思い浮かべてたら、ありましたよ。あった。美、豊、爆、猛、貧、巨、練。これ全て乳に対する形容である。もげ。
 後、最近「適乳」という言葉を街で見かけて納得。

2006年2月19日(日) 晴れくもり
う〜ん、病で不義理。不覚なり。
 一九三十年。上海。暗黒の木曜日から始まった世界的不況の波は引くことを知らず、列強諸国はブロック経済を強め、日本は朝鮮を足がかりに、はるか大陸を見据えていた。
 『李商会』は表向き貿易会社だが、裏では阿片の売買を主な資金源とする上海裏社会の新興勢力だ。リーダー格の李白手は、性別さえ定かではない。ところが実は、彼は日本の密命を受けたスパイ、山本省三少佐なわけである。だがある時この李白手=山本省三は一夜にして消えてしまう。何故か。山本は結核を患ったのだ。軍は任務遂行困難と判断、機密保持も兼ねて信州の陸軍療養所に彼を送った。失意に沈む山本。だがそこで彼は一人の女性に出会う。献身的に看護してくれる彼女の姿に、上海のどんな女にも開かなかった彼の心の扉は、ゆっくりと開き始めるのだった。
 という山本少佐の気持ちがよく理解できるぜベイビーと呟く、発熱腹痛午前二時。屁をこいても一人。ぷぅ。誰だ、山本って。

2006年2月23日(木) くもり
ペイーッ
 藤枝静夫「田紳有楽」を読んでいて笑う。
 何気なく日常の描写から始まるこの小説は、実はなかなかぶっ飛んだ展開を見せ、好きである。特に「ペイーッ」がいい、ペィーッが。
 文中時々、宴や祭祀の場面で登場人物たちが叫び出す言葉であるが、何だこれ。
 ほんじゃらけーッ。まるまんなーっ。ネリーッ。別の言葉を色々と当て嵌めてみるのだが、どうも「ペイーッ」に勝てない。語感がいい。ビートが効いている。恐るべし藤枝静夫である。この最後の「ッ」なんかは、私など恐らく、パクってほうぼうで使いそうな気がする。いや、使う。
 何かたまってたんだろうなぁ、と思うのです。多分「ペイーッ」としてしか言えない何かが。かくいう己も「ペイーッ」と叫びたい最近、今度宴があった日にゃぁ、ここぞとばかりに使ってやろうかと考えて、それでは単なるとんだ人である。合掌。ッ

2006年2月24日(金) くもり
リハビリ
 背後から見ると、背広の上にのっかった課長の頭は豆腐に似ている。四角い。木島課長は前屈みで椅子に座り、慣れない仕草でキーボードを叩いている。木島課長は温厚だ。「ちょっと課長、聞いてます!?」が口癖の佐藤係長の不満も、ちゃんといつも、忍耐強く聞いている。だから例えば、尻を撫で上げても笑って許してくれるのではないか。ほんの一瞬、僕はそんな夢想に捕らわれるのだ。
 机の横を通り過ぎる時、腰の部分が広く開いている課長の椅子に手を差し込んで、「レロン」なんて擬音を付けて撫でる。別に出来ないことじゃない。
 経理の白井さんが、僕と課長の間を通り過ぎて我に帰る。
 今、確かに手を伸ばしかけていた。事実に気が付き愕然とする。一体僕は何をしようとしていたんだ。レロンじゃない、レロンじゃ。僕は自分で自分が分からなくなる。電話が鳴り、誰かがそれを取っている。

2006年2月26日(日)
とある一日
 日曜午後。ポッカリ空いた時間に、実写版「闘牌伝アカギ(竹書房)」を見て面白い。さっそく影響されて、インターネット雀荘「東風荘」を始めたのがいけませんでした。
 リーチドラ三。面タンピン三色。純チャン。七対子地獄待ち。普段のへっぽこ振りが嘘のようにツキまくりです。じゃぁいーじゃねーかって話しですが、実は二時間後に人と会う約束があったのに、自分の親番が終わらないわけです。アガらなければいいのですが、とてもじゃないがもったいない。回線切るのも相手に悪い。仕方がない、「誰か箱割れさせて終わるか」と傲岸不遜なことを考えた瞬間に、リーのみで親を蹴られます。その後もずるずると局は続き、結局オーラス、三十分の遅刻。
 嘘じゃないけど、最後はツモリ四暗刻で二人を箱にさせて終わったのよ。で、現実の方は時間潰しのコーヒー代払ってるって、おわー、なんだかな。なんだかなぁ。

2006年2月28日(火) くもり
霧雨
 三日前まで知らなかった道を、二日続けて夜歩く。
 出発点のラーメン屋は、一日目は閉まっていた。片側二車線の国道に並行する細道は工場に面していて、街灯がなく暗い割にはにぎやかだ。思い付く端から歌を歌う。さすがに恥ずかしいので、人とすれ違う時は小声でハミングになるが、国道に出ると、車の走行音にかき消されるのをいいことに、声も大きくなる。
 何気なく通り過ぎた販売機は、今日は腰の曲がった初老の女の手で、集金のためだろう、開け放たれていた。だが、女は誰もいない中空に向かって、怒りの言葉を撒き散らしている。珍しいチェーン店ではない牛丼屋には、二日続けて一人も客がいない。少年が木刀を握り締めて剣道の素振りをしていた畳屋は、ひっそりと静まりかえっている。
 一度目は入る気になれなかったファミレスで、この文章を書く。




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