2006年3月1日(水)
テーマ変更で、「ビート」
 最近、踊りが面白い。
 踊りと聞いて思い出すのは、ヒゲダンス。一時、二階に部屋を取っていたことがあって、ある日階下に下りていくと何やら居間が騒がしい。扉を開けると、姉が彼氏(当時)とヒゲダンスを踊っていたわけで、どんなカップルかと。「一緒にやろうよ」じゃない。
 一八八九年。ネイティブアメリカンは再生を信じてゴーストダンスを踊り、聞こえてくるのはその荒い息遣いだ。恐らくそれは、それだけは、曲も趣旨も違うのに、踊る我々に取って唯一共通するものなのではないか。人は踊る。アイルランドのパブで。インドネシアの小さな寺院で。いやにまとわりつく雨の降る、野外のコンサート会場で。上海のディスコで。ニューヨークの路上で。盆踊りで。盆踊りを踊るのは何故なのだ。そこにビートがある限りだ。
 そしておいらも、一人部屋の中、クネクネと踊る。臍まで出してまぁ。

2006年3月2日(木) くもり
差し込む感じ
 結局、トリノの映像を一度も見ずに冬は過ぎ行くのだなぁと、コーヒーを啜るわけです。
 引越し来、面倒くさいからという無味乾燥な理由でテレビのない生活が続いているので、トリノ五輪を見る機会がありませんでした。だもので、オリンピックの印象に関しては伝聞でしか情報がなく、かなり歪んだものになっています。
 (私の頭の中で)一番印象に残っているのは、フィギアでもモーグルでもなく、カーリングの審判員です。なんでもカーリングは、微妙な判定の時にしか審判が出てこないとか。いざ出てきても、奇妙な棒で距離を測り、負けた方の石を押し出して帰っていくだけなのだそうです。クールな審判もいたものだと。
 そう聞いたのは、風の強い、冷たい日で、ファミレスのランチセットをぶいぶい言いながら片付けた後、コーヒーで一息ついた時でした。後になったら、その光景が一番思い出されるのかもしれません。

2006年3月5日(日) 晴れ
午後二時の住宅街
 ワンクリックに泣く。そういう時代ですな、今は。後悔してるぜまったく。
 エロサイトの話しではありません。私の場合「クリックした」から悔悟しているのではなく、「クリックしなかった」ことを悔しがっているわけで、それはつまり中村一義率いるところのバンド「100S」のライブツアー、「Tour of OZ」新潟公演のチケットを取るべきか取らざるべきかが問題であったのであって、頭を掠めた諸事雑事、並びに金銭的事情ってやつに押されてパタンとノートパソコンを閉じたのが運の尽き、後々DVDを見つつ「行きゃぁ良かったぁ」と絶叫する破目に陥ると分かっているなら迷わず一発、ボタンの一つや二つはクリックしていたのですよペイーッ。
 仕方がないから踊ったさ。DVD見ながら踊ったさ。臍まで出してまぁ。
 画面では「今日、過去は絵画なんだ(バーストレイン)」と一義殿。

2006年3月6日(月) 晴れくもり
どどん。
 こうして私は、餃子作りを学んでいく。
 目の前に広がるのは、まだ火を通していない餃子の山だ。その他にも、鍋の中には五六個の餃子が、水餃子として煮えるのを待っている。多少呆然とする光景だ。餡を、何も考えずに大量に作ったのがいけなかったが、そんなことを考えても後の祭りだ。
 まずはこいつを片付けよう。
 私は煮えてきた鍋の柄を掴む。今日は恐らく、これを片付けるので精一杯だろう。だが、待ってろよお前ら。明日になったら焼いてやる。焼いてやるからな。皿の上の餃子供をねめつけて、ついでに残った餡を鍋の中にぶち込んで、私はご飯をよそう。そうだ、まずは食うことだ。食ってやるのだ。
 水餃子だけにしたって鍋半分の相当な量だが、そいつを腹に収めて私は希望を抱く。結構いける。初めて餃子を作った頃の、極厚皮と分離した肉団子状態から、はるかに進歩した餃子の味に、私は一筋の光明を見る。

2006年3月7日(火) くもり
 寝るコツについては、一生の内には書き残しておきたいと思い、筆を取った次第である。
 駅の横(通勤の人達が枕元を通るので目が覚める)から無人島の浜辺まで、多少は就寝場所に関して経験を積んできて思うのはまず、寒いと眠れない。どんなに寝苦しい熱帯夜よりも、寒い方が眠れない。慣れもあるのだろうが、特に足首から下には気を付けなければならない。上半身が厚着でも、靴下が薄いとその日は朝までフィーバーする。二重靴下は冬の友達。そう思って頂きたい。
 他には、重力には勝てない。ちょっとでも傾斜がある場所は、最低限、傾斜に対して横に寝なければならない。間違って頭を下にした日には、それだけでオーバーナイトセンセイションは決定するのでご用心願いたい。
 まだ後、足は上げても手は下げろとか、寝袋一個で野外の時は、蚊対策にハンカチを顔にかけるとかいった細かいところまで、夜を徹して語りたいね、と。

2006年3月8日(水) 晴れ
エネルギー保存の法則
 また、株の悪口な話しです。悪口すまん。
 ライブドア事件で被害を受けた人達が、堀江被告及び旧経営陣を相手取って訴訟を起こすそうですが、僕はこれが醜いと思う。訴訟内容は、「虚偽の報告をしたこと」に対して損害賠償をもらうというもの。
 ところで、何故堀江被告達が虚偽の報告をしたかと言うと株の値を上げたいからであり、その株の値上がりを望んだのは誰かと言えば、株主、つまりこの訴訟を起こした当の人達であるわけです。
 確かに嘘つくなよとは言えます。でも例えば、地検が捜査をする前にたまたま、虚偽報告を知った株主がいたとしたら、その人は自分の株を売る前にそれを公表するでしょうか。
 要は、自分が何から利益を得ようとしているのかの自覚の問題です。利益があるということは、その分誰かが、その代価を支払はなければならないということです。
 誰かが。

2006年3月12日(日) 晴れ
そうじ
 ドッペルゲンガーについて考える時、僕は心の受動を思わないわけにはいかない。
 伊集院光のラジオ番組を聴いた。久しぶりに聴きたくなって、昔録音していたものを引っ張り出した。夜、布団にもぐり込みながら聞く。コーナーの一つに「幻の人」というものがあって、「あの人は誰だったのだろう」という体験談を募集している。中の一つが、参加した祭りのポスターに自分と瓜二つの人物が写っていたという話しだった。
 何とはなしにぞっとする。
 その人の祖母が、当人だと思ってポスターを送り付けてきたというから、相当なものだったのだろう。同じ日に同じ場所で同じことをしていたわけで、すれ違っていたりしても不思議はない。
 こえーと思って布団から頭だけ出し、何となく窓の外を眺めたりしてしまうわけだが、考えてみると別段怖がる必要などは何処にもないわけで、ドッペルゲンガー氏に悪い。

2006年3月13日(月) 晴れ
朝一更新
 どうにも沿わねぇ。かつて味噌ラーメンを食べながらそう思ったことがあった。
 よく覚えているのは冬の夜道で、終電間近で、酒を少し呑んでいたことだ。劣等感ばかりを感じる呑み会を抜け出した後で、自分は他の人と顔を会わせるのが嫌で、地下鉄に乗らずに歩いていた。どうしたもんかと思っていた。
 ふと見ると、一軒のラーメン屋が開いていて、前から一度入ってみたかった有名店だった。「やでうでし、腹が減っては戦はできぬ」かなんか思って入って食って不味かった。
 熱々の「麺状の何か」が喉を通り過ぎていった。味がないといった類の不味さで、未だにそれをよく覚えている。
 注文した手前最後まで食ったのだが、食っている最中麺を箸で上げては、沿わねぇ。啜っては、どうにもいけねぇを繰り返していたわけで、暗黒大魔神だった。今でも時々、これが続いているようで困る。沿う。

2006年3月13日(月) 晴れ
一気更新、その一
 親しくしていた人が実は書道の達人だった。七段というから相当なものではなかろうか。
 書の合宿というものがあるそうで、毎日八時間書きっ放し、最後は顔から手から全身墨まみれ、酒呑んで酔っ払って朝日を見ながら「暁光」と書いてぶっ倒れるというような内容らしくかなり心惹かれる。書方面、画方面には小さい頃から全力逃走の姿勢を貫いてきた自分だが、小学校の授業がそんなんだったら間違いなく書道好きになっていたと思う。
 やはり大切なのは「心」らしく、お師匠さんクラスになると、いくら外面がうまい字でも心が入ってないとズバリ見抜くという。そのお師匠さんはもう字を腰で書くという話で、八時間きれいな楷書で書きまくった末完成した作品は「土」の一字だったなどというのはピカソを思い出させたりでうわー、となった。やはりその道を究めるという事はすごい。
 とりあえず「心」。と心を込めてキーボードを叩いたりしている。

2006年3月15日(水) くもり
一気更新、その二
 カヌーなどを時々やる。始めは川の上流まで登らなければいけないので、山に入っていく電車に乗る機会が多い。朝夕目に付くのが地元の中学生や高校生で、気のせいだが都会の同年代に比べて元気だと思う。
 中高共に都市部の学校に通っていたため、幻想混じりに憧れる部分がある。どういった生活かをあれこれ思い描いたりする。
 青春映画は数ある中で「がんばっていきまっしょい」という映画に惹かれる自分がいるのだが、物語のドラマ性は控え目で、生活感に重点がよっているからではないかと思い至る。ロリコン気もあるが。
 午後七時。かつては寺の門前として栄えたであろう香川、讃岐のとある町にて、旧市街の商店街の中に一軒だけ明かりの灯っていたうどん屋で「湯だめ」を啜りながら、そんな事を考える。
 考えつつ、いなりを一皿追加してこれがまたうまい。

2006年3月16日(木) 晴れくもり
一気更新、その三
 再び伊集院光のラジオの話し。
 男四人、ファミレスで酒を呑んでいて冬季オリンピックの話題になった。一人の先輩がボブスレーの起源を語ったのだが、それがラジオで話されていたホラと同じだった。ボブスレーの起源は刑罰だったというのがその内容だ。山の上の村で罪を犯した者が、橇に括り付けられ滑り落とされる。
 そのうち皆麓まで無事に滑り切るコツが分かってきて、娘のおっぱいを触っては「ひゃー」かなんか言って滑り降りていくようになったと伊集院の話しは続くのだが、さすがに先輩はそうは話さなかった。
 考え得る可能性は三つある。一つ。先輩もラジオを聴いている。二つ。たまたま伊集院のホラが本当だった。三つ。伊集院のホラと先輩の考えたホラが同じ。いつも気さくで気配り上手、場を沸かせる性格からして一かと思うが、一瞬浮かんだ口許のニヤリとした微笑と共に真相は闇の中で、好きな先輩だ。

2006年3月18日(土) くもり
一気更新、その四
 愛媛県梶取ノ鼻に行ってみる。一人車を飛ばし、着いたのは夜の十二時を回っていた。
 車中泊をしようと場所を探していて、カーナビの画面に写った地形に惹かれた。瀬戸内海に針のように突き出た岬がそこだった。
 機械の案内通りによく知らない夜中の道を走る。国道から県道へ。コンビニが消え、海が見える。やがて道はすれ違い不可能な一本道となり、くねくね曲がりながら高度を上げていく。周りは森となり、入り口にロープを張って出入り禁止にしてある神社を通り過ぎる。路面は轍の跡だけを残して枯葉で埋まり、交通量の少なさを物語る。時々落ちている倒木の破片をよけつつ、地蔵菩薩の石像の横を通り過ぎて、ふいにアスファルトは途切れた。エンジンを切ると、船の音が遠くで聞こえる他は、風が渡り木々が鳴るばかり。
 古代人は岬を神聖視して墓地にしていたというのは中沢新一だったかなとつぶやきつつ、さすがに引き返す。帰りはスピッツを絶叫。

2006年3月21日(火) 晴れ
日記
 昼過ぎ、友遠方より来る。
 近所のうどん屋にて昼食を共にす。冷天おろし、八百五十円也。最近うどんばかり食べている。世界野球大会を見ながら冬季五輪の話し、共通の友人の話しなど。件の友人よりメールにて、カーリングの小野寺某女史に会った由。テレビを見ないのですごさが実感できず。
 駅前に場所を移し、茶を喫す。といっても自分はあんぱんとカフェ・ラテ、友人においてはチョコレート入り焼き菓子とアイスチョコレートという注文也。その取り合わせはどうかという二人。英語の話しから映画の話題に移り、結局あったらいいテレビはどんなものかというようなことを話して、二時間ばかり座り込む。後、友人は南東方面に去る。
 天気の良さにふらふらと散歩。川沿いの道を歩く。ムキムキ筋肉のごっつい親父がやっている喫茶店を見つけて、喜ぶ。入る。
 夕飯にシチューを作り、食す。

2006年3月23日(木) くもり晴れ
すんげー泥臭い日々に、さ、ビート入れ
 ファミレスで、本を読む。三時間が経っている。
 恐るべし姫野カオルコ。「ハルカ・エイティ」という本を読んでいるが、冒頭二十六頁目「次男は英蔵といい、勉強がよくできた。頭がよかったのかどうか、神にしか判定できない。」という記述で引き込まれる。「オレ、頭悪いから」などといった小さい姿勢とは対極な文章だということが、一発で分かる。男一般の傾向を見る目、女一般の傾向を見る目が特にすごい。逆立ちしたってこんな見方、俺にはできんという気にさせられる。異議はあるが姿勢が真摯だ。訴えかける。
 すぐに影響される自分は、暗めに落としてある店内の照明に「む、さては客の回転を早める演出か。小さい。出よう」とかつぶやいて、席を立つ。アフォ。だがこういう本読みがあるからやめられない。この感情が長く続くよう努めたい。んで、帰り道に調子に乗って歌っているのを聞かれる。しゅんとなる。

2006年3月25日(土) 晴れ
たった五杯で
 鍋に水を張り米を漬け、豚肉に下味を仕込んで冷蔵庫に入れたまま眠ってしまう。夢を見る。
 仕事で出張に出かける直前だ。朝の十時に会社を出るはずだが、気が付くと午後五時になっている。何故か、もうすでに他の仲間は飛行機に乗っているのが分かる。何とか追いつけないかと右往左往する傍ら、頭の片隅で一つの感慨が明確になってくる。いつの間にこんなに時が経ってしまったんだろう。どうしてそのことに気付かなかったのだろう。それがどうやらこの夢の主題らしいと分かる。
 目が覚める。胸にむかつきがある。部屋は寝る前と全く変わっていない。コンロの上に、後は火にかけるばかりの鍋が置いてるのが見える。明かりも点けっ放しだ。でも何故か僕はその部屋が怖い。頭を上げて見回すのが嫌だ。文字通り布団をかぶって震える。そして再び、ゆっくりと眠りに落ちる。
 酒呑んだ記。電気は大切に、お酒は程々に。

2006年3月28日(火) くもり
四季好き
 ビートだ。ビートが足りねぇ。砂漠で渇く旅人の如く、血潮を求める吸血鬼の如く、はたまた血眼になってコンビニを探し求める膀胱限界の運転手の如く、ビートを求めて這いずりながら帰ってくるわけです。そして今日も今日とて中村一義100SのライブDVDを見る。ハァ染み込む染み込むと全身でエナジーを吸収しつつ、さすがに見飽きた感もあって漫画片手だったりするのだけれど、「いきるもの」「K−ing」「1、2、3」では必ず踊り狂っているアフォであるわけです。こんばんわ。
 しかしさすがに一年前からずっと一義頼みなわけでこれではいかん。新たなビートを探さねばと決意しました。試しに今日を思い返してみたら浮かんできたのは雌鳩の後ろを追い回す雄鳩の勇姿で、ありゃ熱かった。面白くなって、その後ろを追い回していたら、二匹とも飛び立って、残された俺、一人。いやぁ、春ですなぁ。

2006年3月30日(木) 晴れ
桜も見てね
 コンピューターを使用する場面で、一つの処理を始めるための合図を送ることを「キックを入れる」ということがある。誠にワイルドな表現で好きである。方々で使いたくなる。
 例えば、朝一杯のコーヒーで、目が覚めるとする。まだ眠たい目をこすりながら、朝の日差しの中湯を沸かす。やがて立ち込める濃い芳香。牛乳を半分入れた暖かいコーヒーを一口すすると、カフェインの柔らかい刺激でゆっくりと頭が働き出す。一日が始まる。
 それを『キックを入れる』と呼んでみる。
 するとどうだろうか。一連の作業に名前を付けただけなのに、もう「朝の安らぎ」などとは言っていられない。何せキックだ。ポンコツテレビにでもなった気分で一日を始められて、荒くれ野郎にはもってこいではないか。
 んで、何が言いたいのかというと、最近のこの気分下降線を無理矢理修正すべく、川下りに行こうと思ったという話しです。川でキック。何の修行だ。




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