2006年4月2日(日) 雨/晴れ
良い川でした
カヌーをやっていて何が怖いかって、もちろん急流に呑まれて一巻の終わり、というのが一番怖い。瀬の途中に一本流木が横たわっていたら、もうアウトだ。一回やったことがあって、ひっくり返って水の中で開けた目に映る光景が、宮沢賢治の「やまなし」みたいに見えた。クラムボンはかぷかぷ笑ったよ。
しかしそういうことの他、雑事での怖さも意外にある。やはり、誰もいない場所で夜眠るというのは怖い。
実際あった例を二つほど。ヤンキーが川原へ暴れに来た(見つからなかった)。夏、暑いのでテントの外で寝ていたら、誰かに五分位横に立たれた(怖くて確認できず。でも足跡はあった)。うむ、怖い。
今回川を下っていて思ったのは、深い淵で、下から何かが浮き上がってくると怖い。髪の毛とかだと卒倒するか知らん。実際浮いてきたのはパクパク口を動かしているアホ鯉で、朝靄けぶる川面に鯉叱る声、一人。
2006年4月6日(木) 晴れ
京都の土産は西利の漬物
我々の左後ろに穴がある、と仮定してみよう。どうだろう、これは。大変だよ。
ドリフのコントの「志村後ろ!」のように、もっと端的に言えば後頭部のように、その穴は我々の「後ろ」に常にあって、決して見ることはできない。しかし確かに存在する。
別段、気にすることはない穴だ。飯を食おうが、女にササろうが、何かの邪魔になるなんてことはない。何せその穴は、我々の左後ろにあるのだから。
でももし、我々が左後ろに一歩下がってしまったとしたら話しは別だ。一歩引き下がったそこに地面はない。我々は穴に、まっ逆さまに落ちていく。穴の底で、まるで爪のかからない垂直な壁を見上げて、呆然とする。呆然とする我々の左後ろには、やはりポッカリと穴が開いている。我々は穴に落ちて初めて、久しく忘れていたこの穴の存在に、不本意ながら気付かされることになる。
てな話しをね、書こうか知らん。あなー。
2006年4月7日(金) くもり
いーおんふらっくす、おもろい
場内の明かりが点ると、残っているのは六七人。
町に出て買い物を済ませ、ちまちまアイスを舐めながらふらついていると、最終上映でハリウッド映画をかけている映画館がありました。上映開始前まで後一分の表示を見て、衝動的にチケットを買う。
製作会社のロゴが終わった途端、さっそく出てきたのは珍妙な格好をしたすげー美女。珍妙な美女。いい金の使い方だよ、ほんと。で開始五分で濃密接吻があって、ドリアンが殺人針を飛ばしてきたり、芝生がシャキーンと尖って泥棒よけになったり、結局最後は銃撃戦。わはは、すげーアホや、この人ら。
しかしエンドロールを見ながら気が付いたのは体がこれを求めてるということであって、恐るべしハリウッド、と、かつて「パイレーツオブカリビアン」と「ヴァンヘルシング」と「トゥームレイダー2」を一晩で見た男は思うわけです。踊る阿呆に見る阿呆。へい。
2006年4月9日(日) 晴れ
姪馬鹿スパーク
京都。料亭やら老舗旅館やらが立ち並ぶ細道小道を、「すげー一度はこんなところに泊ってみてーもんだわさ」と冷やかしながらそぞろ歩いておりました。各々の門には、その家の屋号(というのかな)が書かれてまして、何となくそれを読み上げていると、突然笑いが起こります。「うぷぷ。それは『わい君』じゃなくて、『わか君』でしょ。うぷぷ」とのこと。二分ほど笑い続けていた大阪府在住Mさんの、これがツボ。
じいちゃんの法事で、親戚一同が集まりました。大学生の従兄弟で色々ネタを仕込むのが好きな子がおりまして、夫婦でスパイをやっている映画の、男の方をうまく自分の写真と入れ替えたポスターを自作して持ってきた。できはかなりいい方だったのですが、おばさんが一言、「何か、まだ慣れてないスパイって感じよね」。そんなスパイやだなと思って吹き出してしまったのですが、笑ったのは俺一人だけ。ツボそれぞれな最近。
2006年4月10日(月) くもり
POWER of LOVE
折からの雨と強風で、川原の花見は軒並み中止のようだった。根性のある一団が、橋の下でバーベキューをやっているが、楽しそうと言うよりは必死さの方が伝わってくる。かくいう私も、自分のテントが風に飛ばされないように押さえつけているばかりだ。
川下りを終えて、河口の町の橋の袂まで流れ着いた。ツーリングは順調だったが、岸に上がって荷物を引き上げたあたりから、風が強さを増してきた。町を見て戻る頃には、荷物を入れたテントがたわむ程の強風となっていた。おまけに、風下の草叢に、明らかにホモサピエンスのものと思しき排泄物を発見してしまった。この風の中、場所を変えるわけにも行かず、なんとしてもテントが飛ぶのは防がなければならない。カヌーに乗っている時より、本気になる。
雨が上がり、心底暇そうにしていた屋台でクレープを買った。売り子の娘がまた可愛い。今までの奮闘が、恥ずかしいのは何故だ。
2006年4月12日(水) 雨/くもり
寝不足口内炎男
川を、桜の花びらが流れている。
昨晩からの雨で散ったのだと思う。夥しい数の花弁が、どこまでも続く帯のように、川を流れていた。
朝、電車を下りてから、川沿いの道に足を向けた。空はまだくずつくのをやめない。未練たらしく降る雨の中、傘をさして歩く。川面を一目見て気が付いた。灰色の色調の中に、ひときわ明るい桃色の流れがある。水流に乗って海へと下る、桜の花びらだった。
前を歩いていたOLと思しき女性も、歩みを止めて見入っていた。よく見ると、薄い桃色の流れの中で、鴨が忙しそうに動き回っている。何かを食べているようだ。落ちた虫だろうか。それとも桜自体か。
川は、落ちた桜を集めて流れ、その膨大な数を浮き彫りにしていた。桜は、その集まりが一つの形になって、普段見えない川の流れを、くっきりと浮かび上がらせていた。普段と違う眺め。一年に一度だ。
2006年4月13日(木) くもり/雨
そうじー
自民党案の教育基本法改正では、愛を教えるらしい。また石原都知事が特攻隊の映画を作るらしい。どちらも何だかなぁである。
前者については無茶言うなと、反対だ。愛は教えられない。心はあってしまうものだ。で、後者についてだが、突っ込みどころはやはり、少尉窪塚洋介ではなかろうか。
特攻隊では、兵員に覚醒剤を打って空を飛ばした。その役に、かつてマンションの九階から転落した窪塚洋介を配するのは、どうなんだ。何かを暗示しているように思えてならないが、まさかそんなはずはあるまいとも思え、ファンにはすまないが知った時は笑った。
そんなに国を愛してるならその映画制作費十八億円を、国債の返還に回すのはどうだ。だいたいあんた都知事だろ。映画なんか作ってる暇があったら、都政をやりなさい都政を。例えば環状八号線。あれはずっと工事しっぱなしだ。あれを完成・・・あ、完成させた。そうっすか。すんません。
2006年4月18日(火) 晴れ
あんゆ
ザスパ草津の選手は、傷の治りが早いのではないか。
森田係長からこの驚くべき見解が唐突に提出されたのは、昼休みも終わり、お腹もくちくなった午後一時二十三分だった。私はパソコン画面の右隅に映っている時計から目を上げ、森田係長の向かいに座っている花田係長の対応を固唾を飲んで見守った。
「温泉で働いているんだよね、選手」
花田係長は変化球を一切使わず、ストレートを返球してきた。事実関係が明確になる。ザスパのホームグランドは草津だ。草津と言えば温泉、温泉に入れば傷の回復が早い。なるほど、見事な論理だ。
そこに佐古田課長が通りかかる。何か貴重な意見が聞けるのではないかと思いきや、森田係長の後ろを通過しながら一言、「仕事しろ、仕事」。へい、合点だボス。
私達は再びパタパタキーボードを叩き出すわけだが、それにしてもこの説得力は何だ。
2006年4月20日(木) 雨/晴れ
ほろほろ
回数を重ねると、経験で物が見られるようになってくる。遠くでサラサラという音が聞こえる。水面が凹凸を示してポコポコと小さく盛り上がり、太陽を反射してキラキラと光る。川はやけに平坦な広がりを見せ始め、ふと覗き込むと、さっきまでは見えなかった川底が、いつの間にか透けている。典型的なザラ瀬だ。
桜が散る際の川下りだった。後輩五人を引き連れて行ったわけだが、五人はことごとく浅い川底に乗り上げた。ザラ瀬を抜けるにはちょっとしたコツがあって、五人が艇から降りて歩き始める横を僕は漕ぎ抜けていく。「だいじょぶかぁ」なんて余裕を見せて、前に向き直ったら崖だった。当然避けられなくて沈をする。
カヌーを引っぱりながら岸に向かってぷかぷか泳いでいると、「先輩、だいじょぶですかぁ」と船上から嬉しそうな声、で何が経験かと。
2006年4月21日(金) 晴れ
帰りは自転車で
なって間もない義理の兄貴に、あんたぁ俺が人生に会ったことのある内で、五本の指に入る変な人だと言われる。そ、そうか兄貴。
姉が結婚して親族が増えた。向こう側の血はアメリカまで繋がっていて、そちらの家族が来日した歓迎会にお呼ばれされた。総勢二十名と一匹。皆気さくな人達で楽しい。
子供が四人、特に元気だった。アメリカの家族の子二人は、子供服のCFに出てきそうな愛くるしい顔をして鬼のようにそこら中を走り回っている。対する日本勢二人はどちらも男の子で、やはり鬼のように走り回りながら、隙あらばアメリカ勢にじゃんけんを仕掛けている。日本語と英語のちゃんぽんが飛び交い、ビールが注ぎ交わされ、座布団は即席の積み木となり、生まれて半年程の姪は、ここぞとばかりに泣きまくる。わはは。なんじゃこりゃ。
親族というものは、こうして増えていくのかと感心して見ている。嬉しい。
2006年4月24日(月) 晴れ/雨
スタジオと焼肉
どんなに阿呆なことを書いていても、ものを書いている時人は真面目な顔をしていると書いた山田風太郎は、一体どんな顔をしてそのことを書いたのだろうかという疑問を、僕はコーヒー片手に顔だけ苦々しくして書いている。
後、天才とは物事の法則性を発見する人だと喝破した伊坂幸太郎の言葉は、すでにそれ自体で一つの法則なのであって、つまりこの法則を是とするならば伊坂幸太郎は天才なのだなとか書く。
今日僕があった人物はコンピューターのスペシャリストで、専門用語で言うところのトップダウンではなくボトルアップ式のシステムを作っていて、すごい。言葉を聞いていると、同じ日本語なのにも関わらずプログラムの設計図とも言うべきフローチャートが目の前で組みあがっていくようで、僕と佐古田課長は思わず目を見合わせてしまったりするわけです。輝け左脳。
2006年4月27日(木) 晴れ
第三の
ビールを呑んで寝てしまう。米は水に漬けっ放し、豚肉は醤油と酒に浸しっ放し、気が付けばすでに日をまたいでいて、近所のスーパーで買って来た賞味期限ぎりぎりだったため三割引になっていたツナコーンサラダは、すでにその賞味期限を過ぎているといういつもの体たらくに陥っていた。しばらく、電灯が点いたままの室内で呆然とする。
3分考えた末、歯磨きをして再び寝る。布団をいい加減に敷き直して潜り込んだ。ところがこれがなかなか寝付けなかった。
なにか唐突に自己批判が始まり止らない。そういえば以前にもこういう状況があったなと思い出し、よし、こういう時こそエロだと、エロ本を熟読し始めた途端眠りについた。
起きてから部屋を見渡す。斜めな布団は上下が逆で、その横にはエロ本が転がっている。袋から出したばかりのサラダがあり、台所は料理器具散乱の阿鼻叫喚だ。恐るべしビール。
2006年4月27日(木) 雨/くもり
夜のうちは寒気が入り込み
坂を上っていると音がした日記を書こうと思うのだった。
雨上がりの、濡れた土の匂いがした。大きく息を吸い込む。坂は住宅街の中にある。傾斜が急過ぎて家を建てることができないので、周りは小さな森のように木々が生い茂っている。以前たぬきを見た話しを書いたことがあるが、恐らくここで暮らしているのではなかろうか。夜の坂は暗い。電灯もない。足元の階段だけがコンクリートでできている。
振り返って、街の灯を見た。坂の下から家々の明かりが広がり、その先に幹線道路が走っている。車のライトが行き交う。さらに向こうの暗い帯が川だ。振り返って、坂の上には神社がある。そしてカサコソと音がする。
意外に近くの暗がりに、僕は慌てて目を凝らす。木々の奥に何かいるような気もするが、分からない。いないのかもしれない。
ただ確かなのは、坂を上っていると音がしたのだ。
2006年4月29日(土) 雨/くもり
再会
私の中で当代最高だと思っているつけ麺屋へ行ったのだが、生憎休みだった。わざわざ電車を乗り継いで出かけたので、そのまま帰るのも業腹だ。道すがら、高校時代に時々通った中華料理屋があったことを思い出し、そちらへ行くことにした。
久しぶりに見たその店は、ずい分とおしゃれな外観に変わっていた。昔はいかにも中華風な赤い飾り文字で書かれていた店名が、今は茶色の、地味なものに変わっている。
だが自動扉をくぐって中に入ると、内装はそれ程手を加えられていなかった。やけに細長い店の奥で、中国人の給仕が「いらっしゃいませ」と訛りのある声で迎えてくれる。
回鍋肉とラーメンのセットを一口食べて不味い。昔通りの味だった。特にラーメンの肉の不味さは、食べてみてこの味だと思い出す。
で、その後高校時代の思い出なんかが押し寄せるかと思いきや、全くそんなことはなく、思えば空白の高校時代であったのだよ。
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