2006年5月3日(水) 晴れ
ジョルジョ・デ
快晴の空の下、僕はペダルを漕ぐのだった。しばらく顔を見ていない友人達に会うため、裏道伝いに一時間強の道のりを辿る。
台地を下り住宅街の中を流れる川を渡った辺りで、出し抜けに歩行者天国へ行き合った。街路樹が植わった中央分離帯を挟んで、一車線ずつの道路が続いている。 何だか変だったのは、ずい分閑散としていたことだ。二、三組の親子連れがサッカーのボールで遊んでいたり自転車乗りの練習をしている他は、人影が見えない。さらに奇妙なことに、歩行者天国だけでなく、交差する道路にも車一台通っていない。車の進入を禁止して歩行者天国にする意味が霞んでいる。 自転車でのんびりと通り過ぎて、住宅街の細道に入った時、目の前を猫が一匹横切る。気が付けば、後ろから聞こえていたはずの親子連れの遊ぶ声も聞こえてこない。白い陽の光だけが眩しく、静かだった。 夜、友人達とジンギスカンを食べる。 2006年5月4日(木) 晴れ 餃子パーティー
やらねばならない雑事が溜まっていたのだが、全て吹っ切ってギターを弾いた。
洗わなければいけないワイシャツも、サイズを取り違えて買ってしまったため店で交換しなければいけない自転車用チューブも、切れかけているシャンプーとコンディショナー詰め替え用パックの買い出しも、放ったらかしになっているカヌー用具の手入れも、保険の払い込みも、やりかけの部屋の掃除も、全て吹っ切って、くるり「ハイウェイ」は鳴り響く。 日当たりはあまり良くないが窓から陽光が差し込み、室内の陰との間でくっきりとした境界線を作っている。青空の下洗濯物は乾くのを待ち続け、吹き込む風も心地よい。音量は控え目だが、リズムとメロディーは続いて行く。どうだ参ったかと時計を見れば、午後も三時を回っていて参ったのは自分である。 光陰矢の如しホイホーイと、とりあえずギター置いて、焼き飯を作って食べる。 2006年5月5日(金) 晴れ 理想形
酔っ払いも、度を過ぎれば良くない。それは分かっているというのに、人はしばしば度を過ぎて酔っ払うのであって厄介だ。
噴水もある大きめの公園で、ギターを弾いていたと思って頂きたい。休日の昼間である。相方はカホーンという打楽器をぽこぽこ叩き、足元には缶ビールである。空は晴れて、風もそよぐ、危険な状況だ。 気が付くと友人の数が増えていた。と、もうこの辺りでおかしなことになっている。友人はどこからかやって来るのであって、気が付くと増えるものではない。しかし気が付くと増えていた。それでもイエーイ、ギターを弾く。気が付くと場所が変わっている。気が付くと暗くなっている。みんなが移動し始めたので一緒に行くと、何だかお店に入って行く。良く分からないけれど、食べ物が出てきたので食べる。おいしい。そして終電はない。 気持ち悪くなり、トイレに入って少し冷静になって出てきて分かる、嗚呼酔っ払い。 2006年5月8日(月) くもり/雨 コンチクショウ
前日の呑み会で久しぶりに会った高校の友人は、今日がデートだと言っていたなと思い起こしながら目を覚ます。昼の十二時。彼の、待ち合わせの時間だ。
布団からなかなか出られずに、結局外に出たのは午後三時を回っていた。髪を切り、溜まっていた買い物を済ます。ついでに家の中にある食材を思い浮かべ、餃子でも作るかと夕飯の材料も買い込んだ。 午後五時半、強力粉二百グラムに百二十CCの水を入れこね始める。過去三回、皮から餃子を作っているが成功例がない。粉物の料理は、きっちり分量を量らなければならないことを痛感して、四度目の挑戦になる。 午後八時には米も炊き上がり、食膳が並んだ。餃子は今回も失敗した。敗因は具から出る水分が思いの外多かったことによる。まぁ、食べられるから良しとする。 良きデートだった旨のメールが、十一時半に届く。皮からの餃子とデートな休日。 2006年5月10日(水) くもり/晴れ 霧と自転車
朝っぱらから中村一義メドレーを歌いながら自転車を漕ぎ、降りてふと頭に手をやると蜘蛛の巣が乗っかっていた。
糸一本というような段階ではなくまるまる一つの巣が乗っていて、あるいはそれはお前の自転車の速度など遅過ぎて巣が張れるわという蜘蛛からの挑戦のようにも受け取ることができ、手が糸に触れた時の感触の非日常さに何故かにやりと笑ってしまう。 考えられるのは道のどこかに蜘蛛の巣が張っていてそれを引っ掛けたということだが、通行量の多い道路ばかりで思い付く限りそれらしい場所はない。 ネットで調べると、生まれたばかりの蜘蛛が風に吹かれる糸を頼りに空を飛ぶらしいということばかりか生殖行動がスポイド状の足で精子を注入するというユニークなものだということまで分かって、ネットはすごいという話しになりそうだがそうではなくて、今日の驚きは手をやって頭の上に蜘蛛の巣。 2006年5月12日(金) 晴れ/くもり ふぉろーみーー
世にあまりない技術を記述するのは難しい。例えばチャリンコ乗りに取っては当たり前であろうT字路渡りも、いざ書いてみると難しいのではないか。しかし、やってみなければ分かるまい。御託を並べずに書いてみよう。
T字路を想像して頂きたい。正しくTの字のT字路を上空から見る。横棒の左から右に向かって、自転車が走ってくる。走っているのは横棒の下側の歩道、つまり自転車から見て向かって右側だ。交差点には信号がある。赤だ。横棒の下側にいる自転車は縦棒を渡れない。だがここで、自転車は横棒の上側に渡ってしまうのだ。上側の歩道に交わる道路はないから、当然先に進める。で、縦棒分を進み、再び下側の道路に戻るのである。これを信号が変わらないうちにやる。するとどうだろう、本来ならば青にならないと進めないはずのT字路も、赤のうちに渡り切れるのだ。これを自分は勝手にT字路渡りと呼んでいる。 如何なものか。如何なものか。伝わった? 2006年5月21日(日) 晴れ いや、楽しかったです
それにしてもよく呑んだ一週間だったわけで、中でもやはり人生六度目のスナック体験などを思い出している。
十人程で遠出をしていて、ホテルに泊まった。当然夜は呑み会になる。二次会まで参加して、翌日のことも考え三次会は見送る。部屋に帰ってふとアイスが食べたくなり外へ出たところ、一軒のお店から出てきた、さっき別れたばかりの仲間に捕まった。先輩にあたる人達で逃れられるはずもなく、そのままスナック「タキ」の人となったのであった。 しかしこういう水商売系の店での居所が掴めない。どう楽しんだらいいのかいまいち分からないので、ここは一つ先輩方の楽しみ方を参考にしようと観察していると、奇声を発する(常連客っぽい人たちが帰っていく)、踊る、最後はちぃママ(推定三十五歳前後)にモーニング娘。の「ピース」を無理矢理歌わせるなどするわけであって、なるほどこう楽しめばいいのかって、そんなわけはない。 2006年5月22日(月) 晴れ 「ところが、悪魔は完全には葬りさられていないことが明らかになった。」だって。読み始めると止まりません、WIKIPEDIA。
シュレディンガーの猫というのがいるらしい。箱を開けて中を見てみるまで、生きているのか死んでいるのか決まってない猫というのがそいつである。量子力学の思考実験の話しだ。なんのこっちゃ。
しかしこれは猫だからまだ許されていると思うのであって、私が物理学というのは実は大変なことになっているのではないかと危惧をしつつも楽しくなっているのは、こんな奴を見つけたからである。 マックスウェルの悪魔。 猫はまだ日常的だし可愛いし、物理学の先生も意外とお茶目ねなんて思えて分かる気がするのだが、悪魔は悪魔だけにいかんともしがたく、おまいさんそれは悪魔じゃなきゃいけないのかい、と思わず落語の口調で聞いてみたくなってしまって、困る。でも良い。 さらに困ったことには、実はこの悪魔が我々の細胞内にいるって言うんだから、世の中捨てたものではない。ビバ・ブラウン運動。 2006年5月23日(火) 雨/くもり ヨコハマ買い出し紀行終わっちゃったがー
波に乗る。ナマコを食った奴だって凄いが、サーフィンを始めた奴だって相当に偉いもんだと思う。あんな板切れで海に出ようとは、普通思わない。しかしそんなことを言い出したら切りがないわけで、初めて切腹した人なんて何を考えていたんだとかいう話しになるが、そうではなくて今はサーフィン。
実際、僕はカヌーでしか波に乗ったことはない。シーカヤックをしている時に波頭に合わせて漕いだら、乗った。その時の感触というのはなかなか独特のものだが、「ジェットコースターを人力で」という形容が今のところ僕の中では一番ぴったり来ている。これがサーフィンのボードだと、臨場感も上がりもっと楽しいんだろうなぁと思ったことをよく記憶している。 カヌーを使う環太平洋文化圏の一旦であるハワイで始まったのだから、実はこんな始まりなのかと邪推したりもしているが、そういうのは抜きで、やってみたいですサーフィン。 2006年5月25日(木) 晴れ とぅれまかし
若い頃より酒に強くなった。という程若くないわけではないとは思うし、先に落ちを書いてしまうならば、その「若い頃」より体重が八キロ増えているわけであって、その分アルコールの許容量が上がったというのが真相だろう。八キロか。姪の体重並みか。
職場の愚痴と某宗教団体についての話題で盛り上がるという意味不明の呑み会の後でラーメン屋に寄った。もう体重なぞ構うものか。昔なら吐いているだろうなという位の飲酒量だと頭の片隅で思いつつ、野菜が山盛りになるそのラーメンはお酒の後に芯からうまい。しかし量の方もなかなかなのであって、あらかた食べ終わった所でベルトを緩めにトイレに入って出てくると丼は片付けられていた。スープを楽しみにしていたので少しへこむ。 だがいいさ。そんな未練たらしい考えなど持つが悪だ。おやっさん、片付けてくんね、片付けてくんねぇ。と妙にハイテンションで店を出たのは、これやはり酔ってたんですな。 2006年5月30日(火) くもり/雨 つれづれ
昨日は昼間っから、布団の中で唸っていた。風邪をひいたためで、元気があれば何でもできるかもしれんが元気がなければ何もできんのよ実際と、どうしようもない台詞が頭の中でくるくる渦巻いて困った。
窓を少しだけ開けておく。意外に静かなもので、遠くで工事の重機が動く音が聞こえる他はほとんど何の音もしない。普段、昼間、自分がいない時の部屋とはこんな風になっているのかと知り、随分寂しいものだと思う。 自分の体温が普段より高いのを楽しむような熱が出ている時独特のテンションなので、なかなか寝付かれず、布団から手を伸ばし枕元にあった本を片っ端から読んだ。 ルーブル美術館から始まった逃避行はイギリスまで及び、その途中でキリスト教の秘密が解き明かされる。かと思えば、ある作家は新宿の仕事場から自宅で寝て起きるまでの、長く素晴らしく憂鬱な一日を書き記している。 いつの間にか眠っていて、起きると夜だ。 2006年5月31日(水) 晴れ ロッカーにて
島には行かないのか。と、島好きな先輩は言う。先輩は島に行かないのですか。と、僕は答える。
思えば最近島に行っていない。島には海がつきものだ。港の片隅の船着場に船が着く。あるいは、海岸に直接降ろされることもある。ズボンの裾をめくり、浅瀬に降り立つ。荷物を受け取って顔を上げれば、そこが島だ。客引きのにぃちゃん達が待ち構えているかもしれない。誰もいない、無人島の場合もある。船が去っていくのを見送るのは、心細いようでもあり、これからのことを思うと気持ちが高揚するようでもある。島には時に、断崖絶壁がある。夕暮れ空一杯の燕が、ねぐらに帰ってくる断崖絶壁がある。遺跡から、遥か下方に打ち寄せる荒波を見る断崖絶壁もある。これら二つは、二度と忘れらない光景になっている。 島に行きたいな。と、先輩は言う。島に行きたいですね。と、僕は答える。 |