2006年6月3日(土) くもり
れっぢり
密閉型のヘッドフォンを被り、流れてくる音楽に乗って小さな声で歌っている。外では微かに、五時の鐘が鳴っている。
夕方の時間帯が一番迷惑がかからないと思って、この時間に歌っていることが多い。安普請の我が貸し部屋では、隣の部屋の音が多少なりとも漏れる。実際どのくらいの音量になるのかは分からないのだが、なるべく不快感は与えたくないので、隣人が起きていて、まぁ気にしなそうな時間を選んでいる。
夕方とは、起きている人が一番多い時間帯なのではなかろうか。サラリーマンも、遊び疲れた子供も、時代劇を見ているじぃちゃんも、昼寝が終わった赤ん坊も、夕食の支度をする主婦も、出勤前の水商売のおねぇちゃんも、新聞配達のにぃちゃんも、みんな起きている。そのくせ、『誰ぞ彼(黄昏)時』なんていって寂しがっているのは、不思議だ。
などとチラッと思いつつ、阿呆声に酔い痴れる隙に飲んだ珈琲でむせて、大変になる。
2006年6月4日(日) 晴れ
素晴らしき魚野川にて
川を下りながらでも歌っている。しかも、それはどうかと思うようなでかい声でだ。川傍にお住まいの農家の皆さんすみません、午前中の畑仕事の途中で長渕剛『巡恋歌』が聞こえてきたら、それは私です。
『巡恋歌』以外にも状況によって色々歌い分けがあるのだが、雨の中を漕いでいる時に井上陽水『傘がない』を歌ってみた時はまいった。「都会では自殺する若者が増えている♪」って、都会のことなど知るものか。
後、沈をした時に頭の中で自動的に流れるのがMARVIN GAYEの『WHAT'S GOING ON』などという時もある。訳せば「何が起こっているんだい」で、あんた今川に落ちて流されてんだよと自分で突っ込んだりしながら流される。
大抵ほとんどの曲が、どこかの状況にマッチするのだが、唯一どうにもならないのが、POLICE『見つめていたい』だ。様々な場面で絶叫しているのだが。そんな川面です。
2006年6月8日(木) くもり
何を書いているのか、分からない時がある。
団地妻が団欒、をしている。それを横目に朝は自転車を走らせる。
今日は七人居た。毎日同じく、団地の入り口で輪になって話している。人数は日によって変わる。少ない時は四人程で、今日は多い方だ。中に一人ひょろりと背の高い人がいて、どうやらその集まりの中心人物らしい。他に、いつも猫を抱えている上品そうな奥さんや、子供を連れた、良く笑う快活な新妻らしき人なんかは、よく見かける常連さんだ。
例えばもし僕が、これから死に物狂いで宇宙飛行士を目指したとする。ありえない話しだが、その努力が報われる可能性はないとは言えない。でも、どんなにがんばって安い大根を選んでも、僕があの話しの輪の中に入っていくことはできないだろう。なぜならそこは、団地妻の領域だからだ。
一体何を話しているんだろう。毎朝そう思って通り過ぎる目線に、憧れがほんの少し混じっていることに、今日気が付いた。
2006年6月11日(日) 雨
ADULT MUSIUM
立ち寄った温泉は、昼の開館まで後一時間だという話しだったが、無理を言って二十分後に入れるようにしてもらった。宿にもなっているその温泉のロビーで、男六人、W杯の結果の書かれた新聞などを読みつつ、じっくりと時間を待つ。
「用意できましたよ」の声と共に、浴場に向かった。着替えに手間取っている間に、先に入った仲間が湯に飛び込む、ザブンという音が聞こえてくる。時間より早いので当然貸切状態で、ここぞとばかりに全員で泳ぐ。背泳ぎの時の絵なんか、相当頂けてないぞ。
露天風呂に、ぞろぞろと向かう。ぬるめのお湯にぶーたれつつ、小雨の降る中、まったりトークで湯に浸かる。
寒くなったので再び内風呂に戻り、今度は一人だけ身体を洗い始めた男に向かって、その他全員で水をかけてはおおはしゃぎ。
まぁこれが普段は課長とか係長とか呼ばれている人達なのであって、相当頂ける。
2006年6月13日(火) くもり
フェンダー・メキシコ
空には薄く雲がかかり、普段のこの季節の夕方より、一層辺りが暗くなっている。自転車で住宅街の中を飛ばすと、通り過ぎる学校では、悉くサッカーをやっていた。
薄暗い色調の住宅の並びに突然、校庭を照らすライトの明かりが流れ去る。自転車で通り過ぎる一瞬横目で見るだけなので、静止した映像のようにワンカットのみが印象に残る。スローイングでゴール前にボールを放り込む後姿や、ピッチを横に見て右から左にカウンターに移ろうとするチームの動き、あるいは中盤での空中戦といった光景が、通り道にある小中高の三つの学校全てでそれぞれ行われていて、なんとなく気持ちが分かり少し笑った。昨日のW杯の試合を見て、皆収まりがつかないのだろうな。
家の近くまで来て角を曲がると、女の子とその祖母らしい人が花火をやっていた。照らされる女の子の顔と火薬の匂いに、もうすぐ来る夏を思う。
2006年6月14日(水) くもり
以上、現場らから
朝玄関を開けて外に出ると、辺り一面羽毛だらけだった。昨夜帰ってきた時にも何か散らばっているなとは思ったのだが、暗いのと面倒くさいので見て見ぬ振りをしていた。まさか羽毛だとは思うまい。
色と毛の質から恐らく雀のものだろう。その尋常ではない量と毛根から引き抜かれたと思しきものも多数あることから、やはりこれは格闘あるいは逃走時のもみ合いといった、非常の場合に抜け落ちたものだと推測できる。またよく見ると毛の範囲が我が玄関前の円形に一定であることから、恐らくは逃走できずに格闘したものである可能性が高い。さらには現場近くには隣家の壁があり、壁の下には地面との隙間があって、小動物なら通り抜けられるしまた隠れ場所にもできる。この事件、じっちゃんの首に縄をかけてでも解決してやるぜ。犯人はお前だ!猫!!
ほんと雀に生まれんでよかったわいと、朝っぱらから輪廻転生諸行無常、合掌。
2006年6月16日(金) 雨/くもり
朝、アラームの中で
隣人は出かけているようだ。目覚まし時計のアラームが、鳴りっ放しになっている。
昨夜は酔っ払って帰ってきた。そんなに大した量のお酒を呑んだわけではないのに、思い返してみると帰り道が所々しか思い出せない。アルコールで記憶を失くすのは初めての経験だった。ただ、玄関先で「目覚ましが鳴っているな」と思ったことは覚えている。
朝目が覚めて、しばらくぼーっとした。まだ、規則正しい電子音は聞こえてくる。床を出る。用を足し、顔を洗う。PCの電源を付けCDを機械の中に突っ込んだ辺りで、そういえば昨夜の記憶が飛び飛びなことに気が付いた。怖いものだなと思いながら、ヘッドフォンを耳にあてる。そのままメールチェックをし、ニュースサイトなどを見て回った。
アルバム一枚を聞き終わりヘッドフォンを外すと、まだ目覚ましは鳴っている。ふと、隣人は出かけてはいないのかもしれないという可能性に思い当たる。
2006年6月17日(土) 雨/くもり
でーい。いきなり妄想日々記
男はたった一つのヴィジョンのために暮らしている。鮮明で、生々しく、やがて確実にその身に起こるだろうことは疑いようがないヴィジョンだ。
白壁が続く町だ。空は青く青く澄み渡り、家々との間で、美しい色調を織り成している。それは地中海沿岸のどこかかもしれないし、南米の田舎町かもしれない。男はそこで銃殺される。背中から撃たれる。理由は分からない。刑罰なのか、あるいは単なる強盗の類か。確かなのは背中から肺を貫通して胸へと抜ける銃弾の焼けるような感触であり、ひゅーごーと鳴る呼吸を不思議な気分で聞いている、自分の姿だ。男の生は、全てその一瞬に収束される。男にはそれが分かり切っていた。
フロリダ。宇宙への発射台を持つケープ・カナベラル空軍基地の近くで車を止めて、カラリと晴れ上がった空を眺めるときも、男はそこに、自分の死に際に見えるであろう空の青さを、重ねないわけにはいかない。
2006年6月18日(日) 雨/くもり
大江戸戦隊、
侍ブルー。
将軍レッド。忍者ブラック。姫ピンク。町人イエロー。という名前を、さっきからしきりに考えている。書いてはいけない。書いてはいけないことだと分かっているが、書いてしまう自分を止めることができないのだった。
昨日会った友人も、今日会った親戚の子も、二人ともサッカー好きだった。当然、この季節は生き生きとしている。日本初戦を語る時は落ち込みがちにはなるが、それでも水を得た魚の如く語る言葉に、活力がこもる。
私はといえば、サッカーをやるのは(下手だが)好きだし目の前の試合を見るに相当集中する方ではあるが、どこか一つのチームに執着を持つということがあまりない。個人名も覚えられない。従って選手評や試合予測は、自然、聞き側に回ることが多くなる。で、次々と提示される話題に感心しつつ頭の隅では妙な言葉にひっかかったりしているわけだ。
ひどいひっかかりかただが。
2006年6月19日(月) くもり
トラッパー
家に帰ってきて手洗いを済ませ、次にやるのはトイレで読書である。読書といっても読むのは漫画だ。『ヨコハマ買い出し紀行』や、『吼えろペン』、一話完結物でサラッと読めるものを選ぶ。間違っても『火の鳥』なんか読んではいけない。途中で止められなくなってしまう。トイレの扉は全開にしておく。するとどうだろう。一巻も終盤に差し掛かるころには、クィーンという、例の、耳に障る音が、聞こえてくる夜もあるわけだ。
蚊をおびき出すわけです。囮は自分。我が借り部屋のユニットバスはお世辞にも広いとは言い難いのであって、ここに蚊を誘い込む。羽音が聞こえた瞬間おもむろに扉を閉めてしまえば、後はもう煮るなり焼くなり自由自在。ちょっと羽音は気に触るけど、読みかけの一話を最後まで読み切って、後は蚊からしてみれば阿鼻叫喚の地獄絵図の始まりである。
蚊。
今年も、戦いの季節が始まる。
2006年6月26日(月) くもり/雨
すまん
大言を壮語して窮す。そういう場合は得てして不義理が重なる。いかんことである。
例えば呑み会の席上で『合コン』なるものの主催を吹き、酔いが覚めて困る。己の細々たる人脈ではそんなことは出来ないのが道理であって、人脈を作るための合コン開催などと鶏と卵のようなことが一瞬頭を掠め阿呆、とりあえず何とかすべく知己を頼って合コンとも呼べないような小宴席を設けてもらうのだけれども、その時には約束の期日が迫っていて無理矢理な予定しか立てられず、結局その小宴会を直前で辞退、どたキャン、ことここに至って、合コンの約束をした人に不義理、小宴会を誂えてくれた友人に不義理、無理矢理な予定のために振り回された周囲に不義理と不義理の嵐、三百六十度から楚歌が聞こえる為体である。借金のようだ。
反省してます。これからは未来を見据え己を見据え計画的な人生を送りますと、またしても大言を壮語す。
2006年6月28日(水) 晴れ
コウモリであるとはどのようなことか By トマスネーゲル
魚の性交について考える。魚も人間も生物だ。多分そこでの快感は、同じようなものだと思うのだ。僕が夜、彼女を抱きしめる時、ポーキュパイン川で、鮭は赤い卵に興奮する。ひらりひらりと水中を泳ぎ、感極まって精を放つ。そういうことだ。そういうことだ。
蜘蛛の性交について考える。蜘蛛も人間も生物だ。多分そこでの快感は、同じようなものだと思うのだ。僕が彼女の唇にキスをする時、西表島のヤエヤマユウレイグモは、精子を己の触肢に溜めつつ、網の外から糸を弾いては、雌のご機嫌を伺っている。今日のご機嫌はどうだろう。この足に溜めた精子を生殖孔に受け入れてくれるのだろうか、それともあるいは、のこのこ目の前に出てきた間抜けな男を、とっ捕まえて食う気なのか。ドキドキしながら弾いている。そういうこと、か?そういうことか?
僕は生き物の性交について考える。あと、共感ということについても。
2006年6月30日(金) くもり/雨
いっちねん
少し遠回りをして帰ったのは、近所で祭りをやっていたからだ。
昨年初めて見たこの祭りの景色は壮観だった。普段何もない近所の道が、一夜だけ人で埋め尽くされる。夜店が道の両側に立ち並び、人が川の流れのように行き来する。
今年も変わらずの大盛況で、途中まで本道を辿ってみたのだが、あまりの人の多さに辟易して間道の細道へと逃げ入ってしまった。ブルーシートをひき路面に座り込んだ人達がそこここで、本道の明るさに比した暗闇の中宴会をしている。通り過ぎる顔見知り同士が「やっ」っと挨拶しているのが、よそ者としては少し羨ましい。
夜中、人気の絶えた時刻に、御神体でもある小山に行った。階段で十メートル程を上がり、祠に参る。
不義理で申し訳ありやせん。お初にお目にかかります。今後ともよろしく。と手を合わす。熱気を冷ますように、雨が降り始める。
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