2006年8月2日(水) 晴れ
How dare you
薬缶で湯を沸かした。なみなみと注がれた水がやがて沸騰し始めると、私はおもむろにティーバッグ三つを湯の中に投入する。
茶を、空きのペットボトルに淹れている。大量に作り置きが出来るし経済だ。作り置きが少なくなってくると、こうやって淹れなおす。だいたい薬缶一杯でペットボトル一本分に相当するのだが、今回はそれが余った。しばらく冷ました茶をペットボトルに満たしてなお、振れば薬缶がちゃぷちゃぷ言う。
別にどうということのない話しで、余った分を捨てるかコップで飲んでしまえば済む。しかし私は、カッコ良くこの余り茶を処理したいと思ってしまったのだった。
薬缶の注ぎ口から直接茶を飲んだ。ワイルドである。勢い良く飛び出る茶を端から飲み干す。ところが、最後まで飲もうと薬缶を高く掲げた刹那蓋が外れて中から茶、顔からTシャツまで茶に塗れ鼻にまで入った己は、間抜け以外の何者でもない姿になる。
2006年8月5日(土) 晴れ
てんのてん
風が気持ちよくてオープンカフェにいる。
古本屋街を少し外れた所に名前を知らないチェーンの珈琲屋があり、カフェラテを頼んで外に出してある椅子に座ると風が吹く。周りがオフィス街だからなのか、休日の夕暮れに暇そうにしている店員が二人いるだけで客は他にない。本日の戦利品をパラパラめくったりしているのだが、昼間の熱気が和んだところにそよぐこの風は悪魔的に心地良く、足の裏に刺さった貝の破片だか何だかの棘が痛くて泣きながら帰りばぁちゃんにホースで水をぶっ掛けてもらっている時に感じたのと同じ、はたまたベトナムのホイアンでガキンチョどもにおちょくられながら見知らぬもう一人の日本人と白熱電灯の一個の下プラスチック製の椅子に座ってバーバーバーを呑んでいた時に感じていたのと同じ、間違いのない海の気配がさらにそれを助長する。
さらには。目の前の通りを過ぎる女の子は薄着で。もう夏万歳。
2006年8月6日(日) 晴れ
しょえぬもの
姿見を買った。Tシャツを脱いだ姿を晒して見ている。
鏡を買う前にテレビを買え文明人として、と言う向きもあろうが買ってしまったものは仕方がない。電車で街まで赴き日曜大工類の量販店で品物を選んだ。己の住処には特にこれといったデザインの統一性などは無く、そもそも家具自体がほとんど無いのでこういった場合楽だ。木製の枠組み、角度が調節可能な一品に決める。
一メートル半程のそいつを抱え、ふーふー言いながら家路を辿った。途中祭りにぶつかる。セイヤッセイヤッと、中心に神輿を据えた汗みずくの男達が道幅一杯に広がっている。御神酒も入っているのか、相当にいいグルーヴを出していて普段ならば見物していくところだが、でかい鏡は神輿の行列に邪魔になることこの上ない。仕方なく脇道に逸れた。
家に帰り汗みずくで組み立てて、とりあえずセイヤセイヤと鏡の前で踊る。
2006年8月9日(水) 晴れ
そして伝説へ
歩いていると、右足を振る時にどうも何かが絡み付く。下を見て分かる。靴紐が解けている。
愛靴伝七郎(最近命名)の靴紐がよく解けるのでまったく困った奴よと思っていたが、どうやらこれは靴のせいではないらしい。他の靴を履いた時にもすぐ靴紐は解けるわけで、もしやこれは己のちょうちょ結びに原因があるのではないかと、この歳になって気が付いた。由々しき事態である。ちょうちょ結びといえば、立って歩き飯が食え、一人でトイレに行けるようになったその次位に待ち構えているイベントであって、大の大人が悩むような問題ではない。
そういえばいつか友人が、その時付き合っていた女の子に、真のちょうちょ結びを教えてもらったと言っていたのを思い出す。あの時もっとちゃんと聞いておけばと後悔する。
真のちょうちょ結び。伝説の宝物みたいで、僕は好きです。
2006年8月10日(木) 晴れ
製麺所
またぞろカヌー欲が出てきた。今は暑いし、ザック背負うのなんか地獄だし、川には釣り師の人がいっぱいだし、止めといた方がいいぜぇと説得を試みているのだが効果なし。仕方が無いので、吾妻ひでお著「うつうつひでお日記」などを読んで気を逸らしているのだけれども、何も起こらないくせに滅法面白い日常の描写が続いて一気読み、反発で余計におんもに出たくなったりで厄介だ。
例えば休日のターミナルステーションで人ごみの中に身を置いたりするともういけない。人の流れが川の流れに見えてくる。ホームから階段を上がり、さぁ改札口を目指すのにルート読みを始めちゃったりするから困ったもので、あの売店までは流れに乗ってあそこの柱にエディ(反転流)があるからそこに一旦入れる。その後逆方向に行きつつ、あのおばちゃん軍団の所は岩だから気を付けてと、パドルを動かすようにいつの間にか小さく手を動かしている怪しい男が一人いるわけです。
2006年8月11日(金) くもり
BTTB
フットサルをやりました。今日は基本に忠実になることだけを考えてやってみました。
周りを見る。トラップをきっちり止める。スペースを作り、そこに走り込む。パスは敵の動きを見て相手の足元に優しく、しかしカットされないように強くハッキリと送る。ゴール前では勝負する。シュートは頭を使う。でも思い切る。パスを出した後も走る。攻守の切り替えは素早く、戻る時は走る。走る。ボールを持った敵と一対一の時は状況を考えて、遅らせる時は遅らせる。取りに行く時はガンガン行く。ボール離れは早く、無駄に持たない、ドリブルしない。
基本に忠実に、忠実に。しかし聞こえる後ろからの声は「オラァ、ちゃんとマーク見てんのかぁ」との叱咤激励で、うわーもー基本だけでいっぱいいっぱいです。
風も通らぬ体育館で汗みどろ、足の皮は剥け、ケツ筋はつりそうになり、まったく最高です。
2006年8月13日(日) 晴れ
たほいや
インパラ勘定という言葉が、昼過ぎに頭の中へ浮かんできたものだった。アフリカの諺で、狩りの見張りを頼まれた少年がインパラの数を数えられず、適当にリーダーに報告したのが起源だ。それ程までにインパラの跳躍力はすごい。
今日の昼はスパゲティだった。鍋にたっぷりの湯を沸かし、ぐらぐらいってきたところで塩とスパゲティを入れた。六分半後に固めの麺が茹だった。ひき肉と玉葱、長葱を絡めて塩コショウで味をつける。ゆで汁も加える。最後に卵を一個落としソースを数滴かけた。
机代わりのダンボールの前に腰を下ろし、熱いのをはふはふ食べた。また少しインパラのことを考える。インパラは今日も跳ねている。数えられていようがいまいがおかまいなしにインパラは今日も跳ね続ける。
原語通りに「インパラを数える少年」とせず「インパラ勘定」という訳語を定着させた、外語大田ノ内教授の功績は大きいらしい。
2006年8月15日(火) 晴れ
ぎねす
チャンカチャラチャラリラ?いや、何か違うんだよね、チャンカチャンカチャラリラ?と口角沫を飛ばして議論する野郎二人の上には夜空、片手にはジョッキ、ビアガーデン、真夏の夜のビールは最高なのです。
琉球音楽を口ずさむ友人の、その琉球音楽がおかしいと分かった午後八時ですが、どこが問題なのかうまく言えない。多分一音か二音、琉球音階にない音が混じっているからだとは思うのですが、それがどれだか分からないわけで、結果二人してチャンカチャンカ言い合っている為体であったわけです。チャンカチャンカチャンカリラ?一方己は一時間説明されてもエントロピー増大の法則が理解出来なかったりする。
その他、NANAとXファイルをミックスした物語の創作に励み道行くカップルを批評する。どんな話題の繋がりかと今にして思うのですが、それら全てがとどのつまり、真夏の夜のビールなのです。ぷはー。
2006年8月17日(木) くもり/雨
すすわたり
他人の家の柱に頭突きをかまして早一ヶ月、抜糸も済んで後は傷跡の治りを待つだけとなっております。しかし医者が言うことにゃ、日焼けをすると跡が残るよとのこと。仕方無く医療用テープを右眉上に張り付けて日々を送っておるわけです。ただ何せ顔面なだけに目立ちます。「まだ治らないんだ」と聞かれること幾数回、その度「いや、日焼けが・・・」と解説をするのが最近の日課なのです。
しかし人間何事もこれ飽きる。多分に漏れずこの解説にも飽きて来たので、たまには別のことを言ってやれと思い立ったのがいけませんでした。あ、これ張っておかないと悪いモノが集まってきちゃうんだよ。んで、傷口を指で突付こうものなら、そっから小さい黒い綿みたいなのがいっっぱいぞわーって出てきてどっからともなく「めーぃちゃーん」って声が・・・。と真面目な顔で話してみたところ、可愛そうに悪いのは中かと哀れみの視線が降り注ぎ、非常にいたたまれない感じに。
2006年8月18日(金) 晴れ
ちょいきも
焚き火っていいよね。小さな火ダネから段々火を作り出していく。燃え上がった炎に大きな薪をくべてさらに大きくする。好きだな。
呑み会でOが完全に酔っ払ったんだ。誰かが恋愛話しをしていたのが耳に入ったらしく、愛とはつまりどらやきなんだって熱弁を振るい始めたりしてさ。聞こえた単語になんにも考えないで反応する、典型的な酔っ払いだね。面白いんで、薪をくべたんだ。
そうだよ、あんを取っても大好きなのか、それともあんをとっても大好きなのか、どっちでも好きだってことなんだよ!なんて言ってね、某有名漫画の主題歌をネタに適当なことを言った。なんせこっちも酔っ払いさ。会話になんないよね。でも。そう!その通り!あんとはつまり愛!愛を包み込む皮がつまりどらやき!!って燃え上がった。火柱が天高く空を焦がすくらい、薪をくべたこっちがびっくりするくらい燃え上がったんだ。
焚き火っていいよね。酔っ払いもいいよね。
2006年8月21日(月) 晴れ
『ロックンロール』
真夜中のビル街を自転車で、「くるり」の歌を絶叫しながら帰ったのには理由がある。
相変わらず自転車でふらふらしている私は、その日も一時間半程ペダルを漕いで出かけていた。友人に会い、お酒を呑み、夜も更けたのでお開きとなった。友人は電車に乗り、私はもと来た道を辿り始めた。二十分程漕いで、ビル街に差し掛かる。しかし真夏の熱帯夜は熱い。汗は止め処なく流れ落ちるし、休憩も欲しくなる。私は一軒のコンビニエンスストアに入った。飲み物を物色し、財布を開けてびっくりした。十三円が入っていた。十三円しか入っていなかった。
かくして脱水症状対自分という戦いは始まる。休日深夜のゴーストタウンのようなビル街に、歌声だって響き渡るというものだ。爽快さの後に、そんなことしても逆効果だぜと風も囁くわけだが、うるせー、気分だ気分。
別名ヤケとも言う。くるくるしながらなんとか無事帰宅。
2006年8月22日(火) 晴れ
漫画蒼天航路での劉備玄徳は「百年に一人の大徳」とな
十年に一人の逸材とか、百年に一人の天才とか言うだろう。それはいつの話しなんだ。
厚生白書(昭和四十九年版)によれば、西暦一七五十年の世界人口は(推計で)七億九千百万人とある。二千年は六十四億飛んで七百万人だ。その差約八倍。単純に言って、二千年の『十年に一人の逸材』は、一七五十年では『八十年に一人の逸材』と呼ばれてもいいのではないか。あるいは逆に、一七五十年の『百年に一人の天才』は、二千年には『十二と半年に一人の天才』と言ってもよい。ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト、一七五六年の生まれである。
実際には、人が生まれてから死ぬまでの延べ時間を基準に考えたりしなきゃいけないだろうから、そうなると一六五十年から一七五十年の百年間と千九百年から二千年までの百年じゃねずみ算式に違ってきて・・・。
ひゃー世知辛い世知辛いと、つぶやきつつ食べるとんかつ。
2006年8月23日(水) 晴れ
川本真琴
近所のスーパーに付属しているパン屋から、焼きそばパンが消えた。私の愛したもの達は、どうしてこうも儚く消えていってしまうのだろう。
かつてのメロンパンも、今はもうない。外は硬いくらいにカリカリで、中はふっくらと仕上がった、ほんのりと甘いメロンパン達を私は愛す。そんな彼らも、一時期のメロンパンブームのそのまた予兆のような流行によって、皮の硬さがほとんどない、中にクリームの入ったメロンパンもどきに取って代わられてしまった。あれじゃ単に、ちょっと硬いクリームパンじゃないか。
そして最近、焼きそばパンの姿も見ないのだ。一体皆、どこへ行ってしまったのだろうか。出来うるならば、どこか私の知らないパン達のヴァルハラで、夜毎大宴会を繰り広げていてもらいたい。どうか元気に過ごしていて欲しい。そう思う。
パン達の黄昏。消費者のわがまま。
2006年8月27日(日) くもり
海っぺり、恐るべし
夜寝る前にテトリスをやる習慣らしい。呑んだ後に終電がなくなり、てくてく一駅歩いて我が家に転がり込んだ私と友人だったのだが、朝が早いので呑み直しもなく素早く寝るかと思いきや友人はおもむろに携帯電話を取り出しテトリスをやり始めた。「ごめん、ちょっとうるさいけど」そう断って始めたのを、隣まで這って行き興味津々で見入ってしまった。酔って泊ってテトリスをやる人物は初めてだったからだ。
むろんテトリスは普通のテトリスだった。落ちてくるブロックを、一列に揃えて消す。やがて落下速度が異常な程に速くなり、ブロックが上まで積み上がってしまうとゲームは終わった。その後、得点が記録中一位だった旨が表示される。
「やったー。ありがとう」と友人は言う。「やっぱ人が見てると集中力が違う」とのこと。
こうして私は、夜中に酔っ払って友人のテトリスを見て感謝をされたのだった。
2006年8月28日(月) くもり
ぐるーぶ
久方ぶりに中村一義(100S)のライブツアーOZのDVDを見て、やはり彼女がいた。彼女とは、アンコール後のコンサート模様を収めた二枚目のDVDの中、白眉とも言える曲「123」のCメロ終了後再びAメロに突入し場が異様な盛り上がりを見せ始めたその時に映し出される女の子のことである。
どちらかと言えばふっくらとした感じの、健康そうな美人だ。気分の高揚を表してか頬が赤い。茶色っぽいTシャツを着て、口を開けて一緒に歌っている。顔は『たまらんねこりゃ』と書いてあるような笑顔だ。後ろから押されながらもノリノリで体を動かしている。
歳は二十代後半位ではなかろうか。恐らく会社は有休を取ったのだろう。日頃溜まったストレスなんぞもあっただろうが、一音鳴り響けば関係あるまい。今日は祭りだ。そんな物語をたった三秒のうちに想像してしまうわけで、何だこの吸引力は。すげーぜ彼女、すげーぜ一義と、やはり私は踊りました。
2006年8月29日(火) 晴れ
またも宮沢章夫
あの気分になった。
夜、散歩のついでに本屋に寄って植芝理一著『謎の彼女X』を買い込み、ついでにブックオフに入って何気なく手に取ったひぐちアサ著『おおきく振りかぶって』がめっぽうおもしろくてついつい長居してしまい、こりゃいかんと慌てて店を出た一時間後、コンビニの前を通りつつアイスの誘惑を振り切りつつ、我が部屋へと続く細道小道に入り込んで小さな坂を登り切った時に感じる、あの気分のことだ。あるいは、昔は良く感じていて最近はそうでもなかったけど久しぶりになった、あの気分と言えばいいだろうか。
なんというかぐほーんというか、ふぉふぉーんというか、頭は妙に冴え冴えなのに胸は萎むようでいて、イメージとしては夏の熱いに日にカヌーを漕いでいて途中で休憩のために立ち寄った木も何もない川原から眺める下流の風景というか、洞窟の中というか、ほら、あの気分だ。ってそんなの、分かるかーい。
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