2006年9月2日(土) 晴れ
徹夜とうどんと土地の歴史
上から下までオレンジ色したティーシャツの、裾を掴んでばぁちゃんは言う。「これはいいティーシャツだねぇ」。おうよばぁちゃん、こいつは『くるり』っていうバンドのティーシャツだぜ。さすが目が高いってもんだ。
入院しているばぁちゃんを見舞いに行くと、全力で『彼女ができないのか』と心配をしてくれた。ごめんよばぁちゃん。なかなか彼女はできないぜ。かと思えば、毎日三時に出るヨーグルトについて「でもあれは不味いのよ」とこっそり教えてくれる。抜け目なし。
そんなばぁちゃんを車椅子にのっけて散歩に出る。九月とはいえ日差しも暑い。それでも風は心地良く、目を細めるばぁちゃんは病院で栽培している胡瓜の解説なんかをしてくれる。で、戻って一息ついて、やっぱり『彼女』の心配だ。ごめんよばぁちゃん。もてない孫ですまん。これからはばぁちゃんのためにももてるぜ。てかごめん嘘。十割自分のためで、もててぇ。
2006年9月5日(火) 晴れ
しゃぼてん
やけに熱く白い陽光の下を、二人は基本的に黙って歩いていく。平日午前中の動植物園で、若い男二人が歩いているという光景は、あまり絵にはならない。
起伏の多い園内はそれなりに大きい。二人は、所々分岐点に立つ看板の前で少し立ち止まり、何となく目で合図しては「お?」「おう」か何か言ってまた歩き出す。やがて池の中に小島が浮かんでいるエリアに出た。島にいる動物を、岸から眺めるといった趣向だ。
「おお!」「おう」
突然片方の男が驚きの声を上げ、続いてもう一人も気が付いた。島にばかり気を取られていた足元に、孔雀が鎮座していたのだ。事前のパンフレットで、園内に放し飼いになっている動物がいることは分かっていたが、実際遭遇してみた時の驚きは、想像以上だった。孔雀はびびり気味の二人の前を、うるせーなとばかりに悠々と通過していくのだった。
てか女の子と来いよ、俺。
2006年9月7日(木) くもり
南側
分かりやすい例とは重要だ。相対性理論だって、E=MC2がうんちゃらかんちゃらよりは、ずっとロケットに乗ってると乗ってない人より時間が遅く進むんだぜと言われた方が、興味の引き度が違うってもんだ。
『イニシャルD(しげの秀一著)』という漫画がある。公道最速という称号のため、野郎共が愛車を駆って一般道を走りまくるという内容なわけだが、その主人公拓海は、紙コップに入れた水をこぼさないように峠道を走る訓練を積んで、驚異のドライビングテクニックを身に付けている。しかし実際にやってみると分かるが、不可能だぜそりゃ。時速十キロならできます。
そこでドライビングテクニックを磨くための例えを考えた。『疲れて隣で寝ている彼女を起こさないように』走る。どうだこれは。紙コップよりは現実的でイメージしやすくはなかろうか。
と、ヒゲ面野郎の寝顔を助手席に見つつ峠。
2006年9月8日(金) くもり/雨
色々と
焼きそばパンが復活した。以前から、近所のスーパーの店先の、焼きそばパンが消えてしまったことを嘆いていたのだが、この度、見事に復活を果たした焼きそばパンと再会することができたのだった。
実は三日前から気が付いていた。その日から毎日買っていたりもする。レジに出す時、カゴの端に置いたりひき肉パックの下に敷いたりとなるべく目立たないように気を付けているのだが、実はもうバレているのかもしれない。「来た来た、焼きそばマンよ」そんな風にレジの女の子やおばちゃんの間では噂になっているかもしれない。しかし構わない。せっかく復活を果たしたというのに、売れないからとまた製作中止にでもなったりしたら目も当てられないではないか。ヒゲ面野郎の風評一つで、焼きそばパンが生き残るというのなら、そんなものいくらでもくれてやらぁ。
で。とかく最近、焼きそばパンを握り締めつつ復活の美学に思い馳せているわけだ。
2006年9月9日(土) くもり/晴れ
南極に行った人に率いられ
この先、恐らくもう二度と会わないであろうという人に、川の淵へ突き落とされた。長い人生だ。そういうことの一つや二つあるものなのかも知れない。こんなことは別段騒ぎ立てるようなことではないのかもしれない。
考えてみれば、「この先もう二度と会わない人」は、そう特別ではない。例えばマッサージ師だ。マッサージ師は毎日たくさんの人の腰を揉む。素人には真似できない場所感覚と力加減によって、凝り固まった腰を揉みほぐす。人によっては「はぁこりゃいい塩梅だ」と呟いてしまうかもしれない。
その人こそが、もしかしたら「この先もう二度と会わない人」かもしれないのだ。マッサージ師は「この先もう二度と会わない人」の腰を揉みほぐして「いい塩梅だ」と言われる。そんなのは特別なことではないのだ。
だがそうと知りつつ、やはり私は書き記さずにはいれらない。今日、この先二度と会わない人に、川へ突き落とされたのだった。
2006年9月12日(火) 雨
秋
最近友人が二人、国外に留学している。一人はブタペストで、もう一人はNYだ。
インターネット恐るべしなのは、ブタペストの生活はブログ、NYの暮らしは定期的なメールと、それぞれ近日の状況を逐次知れるということで、更新が重なったりするとその日の二人が同時に分かったりし、あっちが部屋の電灯で四苦八苦している時に、そっちじゃ留学生同士で仲良くなっていたりするわけで、その同時性におわーっとなる。そしてその時の己はと言えば、殺虫剤の缶を片手に、今年初めて現れた黒くて憎いあんちくしょうを追い回したり逆にびびったりしているわけであって、こっちの方でもおわーっとなる。
留学している二人の間には接点はないのだが、奇しくも二人とも九月から大学院に通い始めたという状況が似ていて、それを比べられるのも面白い。二人ともけっぱられぃ。
後、撃退して喜んでいるお前もちょっとがんばれ。
2006年9月14日(木) 雨/くもり
けぶり
衛さんの調子から、来る秋を悟る。
我が部屋に、毎日々々熱いお湯を届けてくれる室外湯沸かし器であるところの衛さんは、一酸化炭素を吐き出すでもなく、この夏も黙々とお湯を沸かしてくれた。さんきゅう。ただどうやら衛さんは江戸っ子らしく、はっきりしないことが大嫌いなのだった。
我が部屋の水道にはお湯用の栓と水用の栓とがついており、これらを適宜回して出てくる水を用いるという、まぁ一般によく見られる方式になっている。このお湯用の栓を回すのを契機にして、衛さんはゴーゴー音を立てて仕事を始めるという塩梅だが、ちょっとの捻りでは衛さんの労働意欲に火がつかない。何けちけちやってんだ、そんなんじゃおれぁ仕事しないよ。そう言うのである。だから我が部屋でお湯を少量得んとすれば、まずお湯の栓をがばっと思い切り回し、後閉めるという微妙な調整が必要になるわけだ。
んで今朝こんなもんかと触った湯ぬるく秋。
2006年9月19日(火) 晴れ
イーね
騒がしかった客達が荷物をまとめて帰ったのが、午前十時を回ったころだった。玄関の扉が閉められ外からかちゃりと鍵が回されると、この貸し別荘にも再び元の静寂が訪れる。
海岸沿いの駅から車で二十分程山道を登った所に、この貸し別荘はある。駅周りの住宅を抜けて川を渡り、そこからはひたすら森の中の山道が続く。鹿も出るようなその道をくねくね登るとやがて突然、場違いな別荘街になる。いくつか使われなくなって廃墟となったような建物を通り過ぎ、ここに辿り着くという寸法だ。
扉の外から車の走り去る音が聞こえる。入り込んでいる虫達はやれやれといった体で、元の暮らしを始めるだろう。客達がいくら酒を呑み、麻雀をじゃらじゃら言わし、ギターを掻き鳴らし、「失禁しましたぁ!」などと叫んで笑い転げていても、ここではそれは、一時のことだ。
鈴虫が鳴き、蜘蛛は再び巣をかける。
2006年9月24日(日) 晴れ
大後悔
だって「和風」なのに「ミラノサンド」っておかしいだろうと、再び強弁する。地方都市の駅ビルの中にある某珈琲屋チェーンの前、朝の七時半を回った頃だ。相手の女の子はやはりあまりピンとこない顔をしつつ、愛想笑いだけは返してくれた。
八時の列車に乗るため、その少し前に改札に集合ということだった。駅近辺で朝飯を食っていくかと旅館を出ようとすると、入り口でばったり後輩の女の子と会う。予定は一緒のようで、そのまま駅に向かった。
道中、昨日利用した珈琲チェーンのメニューについて解説する。「日本なのかイタリアなのか、どっちなのかはっきりしろよ」と、自分としては相当面白いと思った点を熱を入れて話したわけだが、「そうですねぇ。今日も暑そうですねぇ」なんて、完全に話題を流される。そりゃないぜシニョリータ。ということで、朝食はそこで食べる。
和風ミラノサンド、紫蘇がうまい。
2006年9月26日(火) 雨
落ち着き
深夜のゲームセンターに一人でいる。音楽に合わせてドラムもどきを叩くゲームを前にして、躊躇している。この戸惑いは何なのか。
二百円というゲーム代を高いと感じるからだろうか。確かに、コンビニでおにぎりと調整豆乳が買える値段と考えると、少し気持ちが引く。しかし、ゲームセンターというのは究極的に言って散財をするため来る場所であって、この時点で金銭について考えるのは当たらない。
分かっている。分かってはいるのだ。この戸惑いの原因は恥なのだ。公衆の面前において、スティックを振り回し、夢中になって、恍惚と、ノリノリで、ヒゲ面で、一日半髭を剃っていないヒゲ面で、ペコペコペコペコ、大して上手くもないのに、ジュディマリの、「そばかす」を、叩く。誰も見てやしないのにそれが恥ずかしい。ジュディマリ、好きなんだよ。
やがて夜更け行く。いーから早くやれ。
2006年9月28日(木) 晴れ
千金
読んでいた文庫本から顔を上げると、向かいのホームに止まっていた電車の窓に、「しゃーねーなーもー」という表情の、朝のラッシュの顔がたくさん張り付いているのが見えた。本の中では内田百關謳カが、都電が走る昭和初期の東京で、なけなしの十銭を片手に、電車に乗るかカレーを食うかを迷っている。この落差に、僕は何故だか正体不明のおかしみを感じてしまう。
百關謳カは結局カレーライスを食べると決めたようだった。しかし決心して入ったそのカフェーで、今度は女給に、丁度十銭しか持っていないのに麦酒などを勧められて閉口している。
そこまで読んで再び前を見ると、もうすでに電車はなく、つかの間がらんとしたホームにやけに白く感じられる陽の光が降り注いでいて、やっぱり僕は何だか可笑しいのだ。
まぁ間違いなく、昨夜の酒が残っているだけなのだが。もげ。
2006年9月29日(金) 晴れ
黒大王
色々な回り道をして、結局ヘッドフォンを被り、ノリノリで、座りながらも踊っている。聞いているのはホワイトストライプスのアルバム「ゲット・ビハインド・ミー・サタン」だ。一曲目、「ブルーオーキッド」の日本語詞にはこう書かれている。「よくもそんな。/一体、今何歳になったんだ?」
色々な回り道というのには、大小二つの意味がある。小の方から言うと今日の夜の行動のことだ。菓子を食っても、ゲームセンターでドラムもどきを叩いても、新古書店で「蒼天航路」を読んでも、どうにも落ち着かない。仕方なく家に帰り、友人からのメールでやっと少し人心地がつき、珈琲を淹れ曲に合わせて踊り狂って何とか調子を取り戻す。
大の方は、ずばり人生だ。人生回り道。
あんなことやこんなことやそんなことまであったけど、その全ての結果として今おめーは、アホ面で踊ってんだよってなになになに、自分で書いててだいじょぶかおれ。もげ。
2006年9月30日(土) 晴れ
でか
居酒屋で、酒を呑みながら、サボテンを部屋で育てることの意義について力説する。聞く全員の顔に、疑問符が浮かんでいる。
サボテンを貰った。自分で欲しいと言って貰ったわけだが、何でサボテンなんだということがどうにも伝わらない。自分としては、水をやり、日に当て、カビや雑草などが生えぬように管理する、いわば守るべきものとしてサボテンという存在が今必要だと思ったわけだが、これが動物や他の植物だと駄目なのは、例えば犬などは、吠える、じゃれる、毛が抜ける、散歩に連れ出す、だいたい犬を置く程の空間がない、というかそもそも禁止されていて飼えない、六歳の時追い回されてケツを噛まれた、などと諸々の縛りが多くて今の自分の望む状況にそぐわない感じがするからである。
などとしゃべっている間にすでに話題は移っているのであって、「兎は寂しいと死んじゃうんだよね」それ嘘らしいですぞ。
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