2006年10月1日(日) くもり/雨
ワイルドサイドを歩け
ヘッドフォンから、ギターとウッドベース、そしてパーカッションだけという、シンプルだが、暖かい音が聞こえている。僕はその曲をとても優しい歌だなと思う。同時に、前に行ったおっぱいパブのことを思い出す。
おっぱいパブを端的に言えば、上半身裸のおねーちゃんと酒を呑む所だ。一対一で相手をしてくれて、上に乗っかったりだ、お触りありだぁ色々サービスが付くのが基本らしい。
二人目の女の子はちょっときつい顔のスラッとした美人だった。「あたし変態なんだ」とのっけからとんでもないことを言う。聞けば女の子でも綺麗な子なら構わないとのこと。「おにぃさんは?」と聞かれて男は無理だと答えた。「でもあたし男だよ」と彼女が言ったのは、時間も差し迫った頃だった。僕は思わず膝の上の彼女を凝視してしまった。「うそ」と言ってニッコリ笑い、彼女は去った。
何だかわけのわからない、そんなことを思い出させる優しい歌なのだった。
2006年10月3日(火) くもり
百閭宴u
「チーズ」のことを「チース」と発音するのが古風だと綴っている随筆文に、「バター」のことが「バタ」と書いてある。
内田百闥「御馳走帖(中公文庫)」に、そのものずばり「チース」という題名の短い随筆が載っている。昔はチーズのことをチースと言っていたと百關謳カは書くわけだが、その同じ随筆の中で「訳語はバタが牛酪で」という一文が見える。解説を見ると昭和十四年に発表になった随筆のようだ。
五十年以上経ってまた、いい味が出る。百閭ーモア恐るべしだ。
さらに同じ文章の中には「ビスケット」のことは昔「ピスケット」と言っていた、という驚くべき事実がサラッと書いてあったりで、興味は尽きない。ピは可愛いぞ。
などとホイホイ書いているが、後五十年経ったら「ユーモア」のことは「ユーモエーフ」と書くのが当たり前になってたり、はまぁするわけはない。と思うけども。
2006年10月7日(土) 晴れ
叔父みなかみ、ボニーカレー
脳が起動せずに困る。どうもこの一週間ばかり、我が脳内の小人さん達が遅めの夏休みを取ったらしく、脳が働かない。くそー動けよ、動けぇと、初めて巨大ロボットに乗った主人公のようなことを考えるわけだが、如何せん小人さん達がもう物理的にその場にいないからどうやったって無理なわけで、困る。
唯一小人さん達が戻ってくるのが、一歳になる姪と遊ぶ時だというのは、どういう仕組みになっているのか。
どうしてもおっぱいに向きがちな姪の関心を逸らすため、色々パフォーマンスを繰り広げたりする昨今の己だが、姪が好むのはずばり変化だと見抜けたのが、この一週間の収穫である。特に表情の変化を好むようで、高い高いをするにしても、面白顔を見せながらやるとおひゃおひゃ笑うのが素直な反応で良い。
しかしちょっと気を抜くとすぐ「おっぱ、おっぱ」と、おっぱいのことを思い出すわけで、すぐ次の面白顔、大変だ。脳フル回転だ。
2006年10月8日(日) 晴れ/風
探索
部屋に、サボテンが、どでんとある。
自分から人にせがんで貰ったサボテンだが、すごい奴が来たのだった。金鯱という種類で、丸い。大きさは、棘込みで横幅四十センチ程にもなる。イメージとしては某ネコ型ロボットの頭のようだ。四分の一位が土に埋まった球体から、長さ二センチ程の棘が無数に飛び出ている。
とりあえずかねてより決めておいた、「ボテ夫」という名前を付けた。水遣りは月に二回ということなので、とりあえず一回目の水をやる。「話しかけながら水をやると効果的云々」ということなので、よー来たよー来た言いながらついでに棘を撫でたところ、見事に手に刺さった。慌てて引っ込めて見てみると血が出ている。なかなかワイルドである。
重さも相当なもので、とりあえず人に投げつけたりしたら大変にことになるだろう。早く泥棒でも来ないかなと、心待ちにする日々である。
2006年10月10日(火) 晴れ
劇場
何の気無しに新古書店で漫画を立ち読みしていて、しまったと思った。一頁使った扉絵が、『カヌーをやっているヒロイン』という絵だった。川を下っている時の川原の匂いまで思い出すという、自分でもどうかと思うような思い出し方をして、街の古本屋から山奥の川原まで、一気に脳内トリップである。
匂いの記憶とは、なかなか強烈なもののような気がする。例えば、混雑している電車の中などで、隣にいる女性の付けている香水がたまたま、初体験の相手が付けていた香水と同じだったとしようじゃないか。するとどうだろうか。もうすみませんすみません僕が悪かったです勘弁して下さい土下座で勘弁して下さい明日スキンヘッドにしてきますと、泣いて謝らずにはいられないような気分になるのではなかろうか。それは俺だけか。
今日は、カヌーをやりたいなという話を書こうとしたのに、意外な地点に着地して驚くばかりである。おかしいな。
2006年10月11日(水) くもり/雨
ぐるり
赤子であるとはどういうことか、私はかつて自らが当のそれそのものであったにも関わらず、まるで見当が付かないのだった。
役所で受付の順番待ちをしていると突然奇声が聞こえてくる。あー、もしくはもひゃーと聞こえるその元を辿れば、ベビーカーに座った二歳位の男の子に行き付くのだった。男の子は当然母親と一緒だった。右手でベビーカーを軽く前後に揺すっている母親は、特に男の子を気にする風ではない。まぁ赤子が奇声を発する位は、日常的なことなのだろう。
しかし驚いたことに、次に男の子は足を掲げ、あろうことか自分が履いている靴下をもしゃもしゃ食べ始めたのだった。
まさか己は靴下を食べたりまではしていまい。瞬間的にそう思ったのだが怖いのはそうは言い切れないことで、あんたは他人の靴下を食べてたわよとか言われた日にゃぁ、もひゃーと叫ぶしかあるまい。とそこまで考えて、十三番の方どうぞ、と受付の人が言う。
2006年10月18日(水) 晴れ
合コン後
終電が過ぎ朝まで呑んでいる時、姉から電話がかかってきた。叔父の訃報だった。居酒屋で夜を明かし、次の日海辺の町へ向かった。
叔父が住んでいたのは叔父の生家で、昔は祖父母もいた。小さい頃にはよく遊びにいっていた。何年か振りに敷居を跨ぐ。夜になり、近所に住む親戚達はそれぞれの家に帰った。母と二人でその家に泊まる。
床の模様やタイルの張り方、壁にかかっている犬の絵、天井の木目、それぞれのものがなんとなく覚えがあって楽しい。
自分の名前が書いてある落書きを、柱に見つけた。これは記憶に全くない。柱には他にも判別不能な文字や図形が、方々に書いてある。聞けば家は築六十年以上経っているという話だった。その間、祖父母が住み、母達が育ち、最後は叔父が一人で暮らしていた。
台所でインスタント珈琲を沸かし、この文章を書いている。海からの風がフワリと吹き込む。
2006年10月19日(木) 晴れ
作者不詳
小さい頃歌っていた歌には何となく怖いものが多いと思う。「かごめかごめ」などは特に有名だろう。「夜明けの晩」や「後ろの正面」などいった不思議フレーズ満載で、子供心にも強烈な印象を残している。「とおりゃんせ」なども同じ類の怖さがある。
歌詞も明快で陽気な曲調なくせに相当怖い歌もあるなと気が付いたのは、昼間地元の駅で電車から降りた後に、何となく自分で口ずさんでいた歌が「アブラハムの歌」だったからだ。「アブラハムには七人の子/一人はのっぽで後はちび/みんな仲良く暮らしてる/さあ踊りましょう」という詞である。
文意は明快なくせに、周りの状況がさっぱり分からない。アブラハムって誰だ。のっぽの一人は何だ。何故仲良く暮らしていることを強調しているのだ。湧いてくる疑問を無理矢理押し流すように陽気なメロディが流れる。
まぁ道でこんな歌を歌っている奴がいるのが、一番こえーよという話しです。
2006年10月22日(日) くもり/雨
五位
「ほんじゃねー」「おう。またー」
そんな挨拶を交わしてエレベーターに向かった。屋上から一階まで降りる。屋根の上にフットサルコートがあるスポーツジムで、球を蹴り蹴り一汗流した後のことだった。所用で、仲間より一足先に駅へ向かったのだ。
ジムから駅までは三百メートル位だろうか。駐車場と空き地だらけの埃っぽい道を、てくてく歩く。曇りがちな天気で太陽は隠れているが、うっすらと漏れる午後の日差しは暖かだった。切符を買い、高架になっているホームまでエスカレーターで上がった。
電車が来るまで十分程の時間がある。ベンチに腰を下ろすと、さっきまで自分がいたジムの建物が目に付いた。五階建てのビルの上では、たくさんの人影が動いている。だがもちろん音は聞こえない。さっきまで確かに自分も参加していたその動きは、しかし妙に作り物めいていて現実感がまるでない。電車が来て遮られるまで、じっと見入る。
2006年10月23日(月) 雨
コットンキャンディ
大変失礼な話しを書こうと思う。ほんとにすみません。
ボニーピンクのライブに行ったという話しを、焼き鳥の串を片手に話していた時だった。卓を囲んでいる友人から「で、ボニ安だった?それともボニ高?」という声が飛ぶ。
ボニーピンクという人は美人か否かという事が、以前同じ仲間内で話題に登ったことがあったのだ。ところがこれが、どう考えても分からない。同じ写真を見ても、日によってものすごい美人に思える時もあれば、そうでもないなぁという時もある。不思議なのである。で、出てきたのがボニ安とボニ高だ。つまり変動相場制である。美人だと思う時はボニ高オレ安で、そうでもない時はボニ安オレ高になる。語呂だけで会話を進めると、ひどいことになるという見本のような話しだ。
一応ちょいボニ安だったと答えて親子丼をかき込んだわけだが、しかしライブ会場で踊り狂っていたことはここに正直に告白します。
2006年10月25日(水) 晴れ
夏の終わりのハーモニー。三谷幸喜を読みながら
昔々ある所に、人間の匂いが分かる蚊の女の子がおりました。女の子は四人姉妹の末っ子でしたが、姉達にはそんな力はありません。そのせいで女の子はよくいじめらました。「あら、何かおいしそうな匂いがするわ。どう貴女達、ちょっと吸ってこない」「まぁいいわね。行きましょう」「でも姉さん、私はあの匂い嫌なの」「また貴女はそんなこと言って。自分は特別だとでも言いたいわけ。いいわよ、貴女一人で留守番でもしてなさい」そんな調子でした。ところがある日、出かけていった姉達が帰ってきません。心配になった女の子は、勇気を振り絞ってあの匂いのする方へ行ってみました。するとどうでしょう。そこでは怒り狂った人間が手をばっちんばっちん叩きながら、女の子の姉達を叩き潰しているではありませんか。こうして、人間の血を吸わない女の子だけが子孫を
って、人が真面目に文章書いている時にくぃんくぃん耳元でうるせーな!ばっちん。
2006年10月27日(金) 晴れ
突然なベトナム料理
歌い出して止まらない夕べだった。始めはジュディマリを聞いていて、何気なく歌詞カードを引っ張り出し一緒に歌っていただけだったのだ。それから三時間、ずっと歌い放しだ。それはどうだろう。
三時間の間に、表では時刻を告げる鐘が鳴り、日もすっかり落ちたようだった。そろそろ飯だって作らなければならないし、風呂にも入りたい。しかし目に付くCDを片っ端からプレイヤーに入れていく自分を、止めることが出来ないのだった。
思うに、音楽が何故面白いのかということは説明しにくいのではないか。生きるのに必要というわけではない。なのに世界中に音楽はある。つまり人間の中に音楽を楽しいと感じる仕組みがあってしまっていることだけに、音楽の楽しさは基づいているわけだ。
無理矢理話を大きくして誤魔化してみたが、ギターまで持ち出してシャウトしていた今日の己は、やっぱり行き過ぎだと思う。
2006年10月28日(土) 晴れ/雨
かっこええ
古い友人と初めて仕事の話しで話し込む。直前までの呑みの席では赤道直下のトイレについて話していたが、珈琲を飲みつつ仕切り直しだ。まず自分が依頼内容を説明し、対して友人が仕事の概要、道筋、そして具体的な内容と金額について解説してくれる。ちなみにトイレの話しとは、トイレを流した時の渦の巻き方は北半球では左巻きだが、南半球では右巻きだという所から始まった話しだった。
仕事に対する友人の説明は、非常に論理的で分かり易い。一方、トイレに対する友人の説は、赤道直下の南側でトイレのレバーを捻り、そのトイレをそのまま北側に持っていった場合一体どうなってしまうのかというもので、こちらも明快だ。
次回までにお互いがやるべきことが明確になって、三十分程の打ち合わせは終わった。
友人の新しい側面を見る。それは非常に面白い経験だった。後、トイレの話は別に書く必要がなかったなとも思う。
2006年10月30日(月) 晴れ
ぽたりんぐ
地元の駅周辺を自転車で走り回った。三台の自転車が、さして広くもない道を抜きつ抜かれつ疾走する。
かつて同じ小学校で学び、同じ教師に師事していた三人だ。川っぺりを自転車で走り、良さそうな木立を見つけては秘密基地にして遊んでいた。前を走る友人の背中を眺めつつ、そんなことも思い出す。
ところがどっこい、もう大人な三人である。今日の目的は秘密基地ではなくアルコールだった。良さそうな酒処を求めて走り回っているというわけである。駅近くの、うまいギネスを出してくれるバーに入って、また来よーぜとか言う。酔った勢いでにんにくラーメンをがつがつ食べる。
書いてみて分かったが、やってることは小学生の秘密基地とあまり変わっていない。
最後は友人宅に押しかけて酔いつぶれた。成長なんて言葉なぞ知るものかと、にんにく臭い息を吐く。
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