2007年2月1日(木) 晴れ
連散歩
相変わらずマイケルジャクソンのライブDVDを時々見る。ぽう。ファンの方には申し訳ないと思う。しかし、何度見ても笑える。
登場シーンに顕著だ。轟音と共にステージ上にマイケルが飛び出すのだが、その後三分程微動だにしない。動かないマイケルを見て場内のマイケルコールは弥が上にも高まっていく。ボルテージが最高潮に達し、「本当はロボットなんじゃないか」そんな疑問がふと頭を過ぎる頃、ふいにマイケルは顔を横に振る。ただそれだけで、会場は興奮の坩堝だ。
「首を振るだけで悲鳴を上げさせる男」何度見ても笑うしか術がない。
その後マイケルがサングラスを外す。それを見て観客が失神する。「お前は何のためにわざわざライブ会場まで来たんだ」と呟く。と続くのだが、まぁマイケルにかかればそれも仕様があるまいという気分だ。
ライブのパフォーマンスも超絶技巧で、やはり笑う。あり得ないものが、ある。面白い。
2007年2月2日(金) 晴れ
テーマ変更。「軽く」→「順序」
夜中、考え事をしながら歩いていた。考えていたのは「順序」についてだ。「火を起こすには、酸素がなくちゃいけないんだなぁ」とか、そういうどうでもいいことに思いを馳せる。マフラーに顔を埋め、イヤフォンを耳に突っ込んだ状態だった。辺りは住宅街で、道は狭い。車が通る心配はほとんどないし、来たとしてもライトで分かるので、視線を足元に落として歩みを進める。所々に立つ街灯の灯りで、自分の影が周囲を巡る。長く短く、長さを変える。
何かに後を付けられている気がしたのは、そんな時だった。顔を上げたが誰もいない。不思議に思って立ち止まり、気が付いた。見上げると、満月が中天に差し掛かっている。
満月の光が、自分の身体にぶつかって影を落とす。他の影と違い、満月が作り出す影は形を変えることなく、足元を付いて来る。
何か小さな動物でも、ずっと付いて来る気がしたのは、そんなわけだ。
2007年2月4日(日) 晴れ
食べ歩き歌い、滑り食べ歩き食べ
どう見てもカツラにしか見えない物体が、目の前にある。ガラスケースの中に展示されている。戦国時代の兜だ。余計な装飾はなく、錏(しころ)を除いた頭の部分に、びっしり毛髪が植わっている。
先に口火を切ったのは、一緒に見ていたYだった。
「これ・・・どう見てもカツラだよね?」
確信するが、この時二人は、全く同じ光景を思い浮かべていたはずだ。「お前、兜かぶってるのばればれだぜ」「いいえ、かぶってません」「だって横から錏が・・・」「かぶってません!!」同僚の問い掛けに、そう強弁する戦国武将の姿だ。
「多分、『兜なんかかぶってない』って言ってたんだね」
そう声に出して確認した後、二人は一瞬沈黙した。改めて、その光景を思い浮かべた。
博物館の展示室に、爆笑が響き渡る二秒前のことだ。だって、どう見たってカツラだ。
2007年2月5日(月) 晴れ
寒風後日
「ヘイ、ブラザー」の精神をもっと大事にしていきたい。「お前など兄でも弟でも、ましてやトムでもない」そう言われようともだ。
歴史ある街に、小観光旅行に行った。六人でだ。神社仏閣を巡り、名物を食べ歩く。自然、「今の仏像Nにそっくりじゃねぇ?」といった感想を言い合ったりする。聞いていると、これが何かに似ている。思い当たったのは、マーヴィン・ゲイ「WHAT'S GOING ON」のイントロだった。
たくさんの人が英語で、ピースフルに、「ヘイ、ブラザー、調子はどうだい?」などとがやがや言い合っている。その中をベースとサックスの音が静かに流れ出すというイントロだ。良いイントロでこれが似ていた。仏像の感想の前に「ヘイ、ブラザー」を入れたい。
やはりな。やはりラヴそしてピースだ。そのためのヘイブラザーだ。これからは心の中だけでも、万の枕詞にヘイブラザーを付けよう。そう決心したのは、風の強い日だった。
2007年2月6日(火) 晴れ
美味
店の中は薄暗かった。長年に渡り晒されてきた煤で、壁に貼られたメニューは黒ずみ、所々が読めない。「酎ハイ」が「ハイ」になっている。客は始め、我々を含めて二組だけだった。それでも二つの七輪から出る煙で、開店直後の店内は次第に煙り始めている。
友人と二人、ホルモンを焼いていた。
もちろん、ホルモンの他にも豚トロやラム、ハラミも焼いていた。しかし、意識の上ではあくまでホルモンだ。ホルモンが主役だ。
炭火で熱せられた七輪の網で、白い肉がジューという音を立てる。脂が滴っている。肉の側を八割、脂が付いている側は暖める程度焼く。あつあつのそれには塩と胡椒が振ってある。山葵だけを付けて口中に放り込む。弾力のある噛み応えだ。脂の旨みがこれでもかと広がる。山葵の刺激が舌に心地良い。例え眼鏡にまで臭いが付こうと、後悔は絶無だ。
今更だが、今日という日は「ホルモンを焼いた」以外に、言うべき言葉はないと思う。
2007年2月8日(木) 晴れ
音符
「必要になる」とは嫌な響きだ。そう思ったのは、夜中にコンビニまで出かけた時だった。浮かんだのはこんなフレーズだ。
お前は後十年の内に、過酸化水素水が必要になる。
まずは頭の中身を心配しろと言いたくなるかとは思うが、思い付いたものは仕方ない。どうやら過酸化水素水が必要になるらしい。
もちろん、嘘だ。何の根拠もない。過酸化水素水など必要になるはずもない。だが、どこからともなくやってきたこの言葉は、妙に頭の中に残った。なんだか放っておくと、本当に過酸化水素水を求めて彷徨い歩く将来を迎えそうな気がする。「すみませんが、そのー、ちょっとばかしかさんか・・・」「寄らないでよ、気持ち悪い!」みたいな台詞まで思い浮かぶ。供養の意味も込めて、ここに書いておく。ってか過酸化水素水って何だ。
「必要になる」は嫌だ。しかし、その前に頭の中身を直す必要がある、って嫌だなぁ。
2007年2月10日(土) くもり
ハイ
最近、毎日走っている。ランニングという奴だ。近所の公園をくるくる回る。距離にしたら三キロ位だと思う。始めはイヤフォンをしていたのだが、ここ一週間程は素耳(?)だ。鳥の声が聞こえ、通り過ぎる人達の会話が耳に入る。そして浮かぶのは雑念ばかりだ。
『昨日の呑みは、おもろかった。カラオケで歌った「聖闘士星矢」、気持ちよかったなぁ。お、椋鳥。始発の駅まで歩いたけど・・・、あ、今何か嫌なこと思い出した。あ、そうだ、あの店、昨日前通ったあの店。あそこ、昔女の子連れて行った。そんでいかにも「まぁ、この店常連なんだけどさ」みたいな顔して入ろうとしたら、「サンダルの方の入店はお断りしています」って言われた。うひゃー、恥ずかし、恥ずかし。ちょっと息を整えて落ち着こう。ふっふっはー。お、なんかこれ、いいグルーヴじゃね?ふっふっはー。ハイ、ふっふっはー・・・。』
それが楽しい。
2007年2月11日(日) 晴れ
故中島らも氏曰く「照れ轢かれ」
どう書こうか迷っている。二人の人物とすれ違ったというだけの話しだ。しかし伝えるのが非常に難しい。まぁやってみようと思う。
二人の男とすれ違った。一人目は交差点を渡る途中、二人目は渡り終わった直後だ。
二人は、全く同じ表情をしていた。
双子だった、あるいは同一人物だったなどというオチではない。一人は眼鏡をかけた神経質な顔、もう一人は短い髪をワックスで固めた自己主張が強そうな顔だった。そのどちらもが、今車に轢かれて吹き飛ばされ、周囲の人全員が「やったな」と凍りつく中、実は全く無傷で、立ち上がったのはいいが状況が分からず、自分が注目を集めていることだけは気が付いて慌て、「どーもお騒がせしました」といってぺこりと頭を下げた時に浮かべるような、照れ笑いを浮かべていたのだ。もちろん、周囲で交通事故など起こっていない。
話しはまぁ、これだけだ。蛇足ですが、人って同じなんだなと思ったのです。
2007年2月12日(月) 晴れ
「ワールドイズマイン」または「コータローまかりとおる」参照
絶対「ご老人」がいる。
一幅ウン億円の掛け軸が掛かっていて、床の間には日本刀が置いてある、書院造の部屋にいる。着物で年増の美人女将を侍らせている。お膳で和食を食っている。そんで、平伏している背広姿の「偉い人」を前にして、悠々と酒を呑んでいる正体不明、年齢不詳、しわくちゃ顔の和服の老人こそ「ご老人」だ。
「ご老人」は言う。盗聴法案を作れ。住其ネットを作れ。国民に背番号を振れ。国旗国歌を徹底させろ。愛国心を教育しろ。自衛隊の海外派遣をさせて、実績を先に作ってしまえ。個人情報保護法を作れ。共謀罪を作れ。人権擁護法案を作れ。憲法九条を変えろ。後、最近、納豆納豆うるさいけど、あれに便乗して「マスコミは真実を報道しなさい法案」を作っておいて、で何かことが起こったら、マスコミを黙らせるのに使えるように・・・って、細かいな、おい!
全然威厳なくなっちゃった・・・。
2007年2月14日(水) 雨/くもり
感謝
帰ってきて、紅茶を淹れた。みみっちい話をすれば、この紅茶は「沸かしなおし」だ。
作っておいた紅茶を、ペットボトルで保管している。飲みたい時は適宜、カップ一杯分をここから汲み出し、薬缶で温めて飲んでいるわけだ。わざわざ薬缶に水を入れてから作るのより圧倒的に早いし、第一経済だ。
紅茶を持ってPCの前に座る。電源を点け、食事代わりの『田舎パイ』の袋を開けた。
『田舎パイ』はもらいものだ。一昨日遊びに来た友人(男)が、置いていってくれた。栗、黒豆、落花生の三種類がある和風のパイだった。何かの会合のもらいものらしいが、こちらとしてはありがたいことこの上ない。
友人のサイトなどを何の気なしに巡っていて、愕然となった。「バ」の字すら忘れていたが、今日が何の日かが書いてあった。
もう一度説明するならば、片手には「何かの会合土産のパイ」、もう片方には「沸かしなおしの紅茶」だ。パイ食っても一人。
2007年2月15日(木) 晴れ
日光には、映える
朝、空を見上げると快晴で、ボテ夫(サボテン、金鯱、でかい、直径四十センチ程)を外へ出す。共に暮らし始めて四ヶ月半だ。
冬の水遣りは月に二回とのことなので、切り良く月頭と半ばにあげている。つまり今日は水遣り日だ。薬缶でどぼどぼと水を注いだ。しかし毎回、この分量が分からない。
ホームページを巡ってみると『軽く』などと書いてある。料理レシピの『少々』と同じ感覚だと勝手に解釈し、自分流で『軽く』やっているつもりなのだが、どうなのだろうか。どうだ?と傍らにいる本人に聞いても、むろん答えはない。まぁ始めて来た時より多少棘などあらぬ方向を向いてきた気がするが、それ程不満はなさそうなので良しとする。
自分で「おお愛しのボテ夫」などと言い始めるような気がしていたが、今までのところそんなことはなく安心する。感覚としては、「道具を出さないどらえ○ん」のようだ。
それはどうなんだ。
2007年2月16日(金) 晴れ
自分が大きくしたわけでもないのに
友人がボテ夫(サボテン、金鯱、丸い、でかい)を見に来る。近所のうどん屋でズビズビ麺を啜っている時に自慢になっていない自慢話しをしたら、「ほほーじゃぁ見せてもらおうか」ということになった。変な奴だ。
「これは、でかいなぁほんとに」
という第一声を聞いて誇らしくなってしまうのは、やはり『育て主馬鹿』とでも言うべきか。その後友人は「でかいでかい」を連呼し、さらに育て主心をくすぐる。
育成状況なんかを簡単に話し終え、「たこ焼きが食いたい」と言い出した友人を連れて、駅前のたこ焼き屋に移動した。そこでも友人のサボテン褒め殺しは、「アルファー波が出ている」と言った魅力的ワードを散りばめつつ、話しの随所に飛び出してくる。
さすがにこいつは何かあるなと思う。思い当たったのは、うどん屋の梅酒だ。普段ほとんど酒を飲まない友人が、うどん屋で呑んでいたのを思い出した。サボテン酔いか。
2007年2月17日(土) くもり/雨
ホモではない
最近いかん。怒り過ぎだ。いや別に怒るのがいけないわけではない。理由が阿呆過ぎる。
新婚ほやほや(二ヶ月)の友人夫妻と夕食を共にした。そのアツアツ振りにコンニャロとなっている。しかも自分から話しを聞いておいてだ。お前は阿呆かと問い詰めたい。
昨日は別の友人の前で、「硫黄島からの手紙」の渡辺謙の物真似をやった。それに関連して批判され、ムッと来る。いいじゃねーかよー、やりたかったんだよー。という心の叫びはあるが、基本的に大人気なさ過ぎる。『この物真似は、中止にしましょう』。
友人夫妻と別れた後の駅のホームで、反省した。電車が来るまでは五分ほどある。イヤフォンを耳に突っ込み、再生のボタンを押せば、流れてきたのは馴染みのメロディだ。そんなねー、このー先でー、出会ーう、感動もー、まだーあるとしてぇ♪ってんで、やはりここぞという時は中村一義だった。踊った。
よし。ケツの穴、広げていくぞ。さぁこい。
2007年2月18日(日) 雨/晴れ
寂しい奴
川を愛している。将来は川を嫁に迎えようかと思う。末永くお幸せにだ。そう思ったのは、河口まで十九キロの道のりを、自転車で走っている時だった。
結構大きな川の、河口の町に用事があった。手ごろな距離だし晴れたしで、川沿いを自転車で行くことにする。
始めは向かい風だったが、十分程で風向きが変わった。快調だ。音楽を聴きながら、一番重いギアで距離を稼ぐ。休日なので人出がある。ジョギングをしている人がいる。親子連れがキャッチボールをしている。犬の散歩が一番多い。かもめが飛び、雨上がりの空に夕日が映えた。好き過ぎる。
この特別さ加減は何なのだろうか。いつもカヌーの時に感じる感覚だ。開放感とのんびり具合が絶妙に良い。愛してしまっている。
どうしよう。どうすれば川を嫁に迎えることが出来るのだろうか。嗚呼、日本の法律が、愛の敵さ。
2007年2月20日(火) くもり/雨
逆ろさんじん
「不味い」という物でも、割と食う方だとは思っていた。以前いた会社の食堂は不味いと評判で、実際ラーメンの中に金だわしの針金が見つかったりする。中々ファンキーだが、食う場所はそこしかなかった。社長以下全員がげんなりする中、実は普通に食えていた。
野外でカレーを作る。人参の皮を剥かなくても、特に文句はない。「うまいねぇ」心底そう言ってラーメン屋を出る。「うまいけど、化学調味料がすごいね」と返す友人の言葉にびっくりする。そういう事が度々ある。
最近になってやっと、鈍感なのか、と思い始めた。同じ物を食って不満を述べている友人の横顔を見て、その思いを強くする。
そうなると問題なのは、美味い物だ。不味い物が食えるのは、多少はプラスかもしれないが、「美味い」が本当は「美味い!」なのだとすると、すごく損した気分だ。んで、今まで食った美味い物を思い出しつつ食べるぺヤングソース焼きそば、これが美味い。
2007年2月22日(木) 晴れ/小雨
あつし
蔡の人、君子は、若くして仁徳あり、学びて之を良くし、武を以って並ぶ人がいなかった。長じるに連れ官位を得、出世の道も順調であったが、流行の病に倒れた。医者の見立てでは、明日の陽を見ることは無いという。友人達は嘆き哀しみ、病床を見舞おうと集まったが、君子は人が変わった様に粗暴に振る舞い、手が付けられ無い。「何故、俺が死なねばならん」そう言って、枕や花瓶、果ては包丁まで投げ付けてくる。友人達の一人に、李行という若者がいる。君子とは紅顔の頃から机を並べて学んだ仲である。その彼が顔を見せても君子は、「お前も俺を笑いに来たか」と怒る。李行が溜息を吐いて言う。「あの聡明で温厚な君子も、自分の命が危ういという時には、こうも変わってしまうものか。もうそっとしておくしかあるまい」。
っていうような意味かとずっと思っていた。「君子危うきに近寄らず」のことだ。
今日突然、本当の意味が分かる。阿呆だ。
2007年2月23日(金) 雨/晴れ
希望
朝起きる。「布団から出たら凍死するんじゃなかろうか」という時節は過ぎたが、それでも寒い。しばらく万年床でうずくまるも、しぶしぶ這い出す。窓から見る外の天気はどんよりしている。よく聞けば雨音が聞こえる。
薄暗い室内で、珈琲を淹れる。お湯が沸く間にパソコンの電源を入れると、数分間の空白の時間が出来た。だが、「パンと玉葱、それに大和煮の缶詰があるなぁ。サンドイッチでも作るか。でもめんどいな。朝メシ抜くか」と不毛な考えに浪費してしまう。作った珈琲を片手に、パソコンの前に座る。で、ニュースサイトを開く片手間に一昨日買って取り込んでおいた音楽を流し始めたらこれだ。
『最後なんてないのに、自らからドン引くなって。』
やるぞー!もーパンでも何でも持ってこーい!といきなり調子は最高潮だ。中村一義所属100S、ニューシングル、絶賛発売中だ。と、何のしがらみもないが宣伝する朝だ。
2007年2月24日(土) 晴れ
朝の行列
ボテ夫(サボテン、金鯱、丸い、でかい)の育て方を調べるため、栽培方法が書いてある本を読んでいて、酒を止めようかと思う。こんな文章があったからだ。
「夜間に出てきますから、除去するか、ビールを好むので、皿に入れておけば、集まって来てアル中死してしまいます」(小林浩著『サボテン・多肉植物』成美堂出版)
そうか、死ぬのか。
何気なく読んでいて、ぎょっとしてページを繰る手を止めた。思わず小見出しを確認する。サボテンの害虫であるナメクジについての記述だ。さらりとした書き方が、一層恐怖感を引き立てる。集まって来て、死ぬ。簡単な話しだ。「アル中死」という略語もすごい。「アルコール中毒で死ぬ」なんてだらだら書くだけ、字数の無駄だ。
「夜間に出て」きた「ビールを好む」奴らが、「集まって来てアル中死」する。
夜七時半の呑み屋街で叫んでみたい言葉だ。
2007年2月25日(日) 晴れ/くもり
しめチゲ
瑞々しい女の子と出会った。
机の上には、キムチやチヂミといった、いかにもな韓国料理が並んでいる。だが、それら全てが美味い。キムチにはいくつもの複雑な味わいがある。チヂミはふっくらとした食感の海鮮だ。マッコリが進む。
韓国料理店にいた。卓を囲んでいるのは四人だ。野郎三人と、件の女の子という構成だった。女の子は友人の友人で、良く呑み、良く食べ、良くしゃべった。楽しい。野郎共は、ツッコミを入れるのに忙しいという有様だ。
ところが、話しの途中で突然、彼女が謝ることがあった。「それでね、その先輩が、あ、ごめん」気が付かなかったが、口から何かが飛んだらしい。別にお構いなくといったことを言おうとした矢先、驚くべき言葉が、彼女から発せられた。
「ほら、アタシ瑞々しいから」
そう言って、彼女は話しを続けるのだった。
瑞々しいにも程がある。
2007年2月26日(月) 晴れ
蒸鶏肉御好焼風
食べるものがたくさんあると、心が豊かになる。いや、本気で。
最近、家ではスパゲッティが主食だった。別にそれに不満は全く無いのだが、今日久しぶりに米の飯を炊いてびっくりする。嬉しい。
始めは何だか分からなかった。鍋の蓋を開け、立ち込める湯気の後ろに白米の山を見て、心が躍る。茶碗によそい、おかずが待つ食卓へと運ぶ途中でまだ喜んでいる。そこで気が付いたのは、つまりまだご飯が残っていることが嬉しいということだった。
スパゲッティは一回切りの食べ物だ。いやもちろん、麺が残ることはある。しかしその麺を食べるには、やはり茹でなければならない。一方ご飯に通常炊き直しはしない。やるとすればレンジで温めるくらいだろう。その「いつでもいいのよ、あなたの好きな時でいいのよ」という姿勢に、もうめろめろなわけだ。
ご飯をおかずに、ご飯を食べようかと思う。いや、本気で。
2007年2月27日(火) 晴れ
豊か
炒飯を炒めている時に思い浮かんだのは、一人の友人の顔だった。なんだか死別したような書き方だが、ピンピンしてますよ。
Mというその友人は、自称料理名人だ。だがあくまで「自称」であって、まだその真価を見たことがない。奥ゆかしい性格なので、奥ゆかしい性格なのであって、わざわざ三度書く程の奥ゆかしい性格なので、一緒に泊まりの旅行などへ行っても、中々包丁を握ってくれない。決して、「うまいこと逃げるな」などとは思っていない。
中でも中華料理にはうるさいと言う。「中華は火力が命ダネ」、笑みを浮かべてそう嘯く。その笑顔が浮かんできて消えなかった。
ジャーンと爆発音のような音を立てて玉葱を炒める時も、酒に火を入れてアルコール分を飛ばす時も、皿に盛り付けている時も「中華は火力が命ダネ」だ。分かってる、分かってるんだ。一人身悶えする。
中華は火力が命だ。
2007年2月28日(水) 晴れ
ルーツ
敗戦直後というのは、一体どういう期間だったのだろうか。
開高健著「破れた繭」を読んでいて、オヤっと思う。氏の自伝的小説だ。前半生を描いているのだが、阿佐田哲也(色川武大)の、やはり戦後すぐの記述から受けるものと、似たような印象を受けた。闇市があり、建物はバラックで、皆腹を空かせていて・・・、そういう光景は知識としてある。だが、その時の空気感が、文章で読むと独特だ。
「うごくことだ、手と足を使うことだ、回転しつづけることだ」この文章は、主人公がパン屋で働いている時に闇市でのパンの売買を見て思うことだ。自伝的な小説ということで作者を重ねて見てしまうと、どうもその後の氏の行動に、長く影響しているように思えてならない。そして、こういう考え方を好きな自分がいる。
阿佐田哲也と開高健、好きなものの生まれた先に、敗戦直後がある。何故だ。
2007年2月28日(水) 晴れ
めでたい
テキーラを呑む。クイッと一気に呑み下し、後からカットされたライムを齧る。喉越しと、瞬間的に広がる酸味が命だ。一杯目を呑んだ後でお腹の中が暖かくなる。三杯目あたりでそろそろあやしい。
時々行くバーのバーテンSさんが、勤務中に誕生日を迎えた。常連のカオリさんが、それを見逃す筈がない。「一杯おごるわよ」ということになった。「テキーラで」という一言が、後を追って付いて来る。
で、いつの間にかその場のメンバーで、テキーラの一気呑み大会になっているのは、どういうわけだ。楽しいじゃないか。結局瓶で二本のテキーラを呑み尽した。潰れかけの友人を連れて、その夜は退散する。一番呑んでいる筈のSさんが、顔色一つ変えていないのにはさすがだと感心した。
しかし後で聞いた所によると、四時から後の記憶はないらしい。その営業は大丈夫なのかと思う。恐るべしはカオリさんだ。
|