2007年5月1日(火) 晴れ
いずれにせよ
 昨晩寝たのが午前一時で、今日起きたのは午後三時だ。時間が飛んでいる。
 寝床で、一昨日、昨日の自転車ツーリングを思い返した。二日間で二百六十キロ以上を走っている。普段大した運動もしていない身には、相当な距離だった。疲れが濃い。
 思えば最後の三十キロ辺りから、疲れの兆候は見えていた。それはペダルを踏みながらの、こんな会話にも表れている。
「ねぇ、今やってるのって、何レンジャー?」「・・・・・・フリンジャー」「何それ」「現場を押さえられた野郎が叫ぶの。フリンジャー!!」
 もう大爆笑だった。どちらも「レンジャー」が「リンジャー」に変わっていることにすら気が付いていない。馬鹿になっている。
 他にも、『呑み屋で吐きそうなキムタクの真似』で、うひゃうひゃ言っている。こんな奴らが夜自転車に乗って向かってきたら、まずは逃げるね。
 またやりてーなと思いながら、作る夕飯だ。

2007年5月2日(水) 晴れ
海辺
 生まれて一年と八ヶ月になる姪に、最近怖いものが出来ているようだ。
 一つは雷だ。意外だったが、雷が鳴ると姪は泣き出す。恐らく、周り中暗くなって分けの分からない音が鳴るというのが怖いらしい。ゴロゴロ聞こえると、しきりに抱っこしてくれとせがむ姪がいる。姪馬鹿としては、役得なこと、この上ない。
 他に駄目なのが、叔母の家にある豹の置物だ。遊園地のお化け屋敷には平気で入るくせに、その置物の半径一メートルには近付けない。何故だ。
 そこを見逃さないのが叔母で、姪が何の気なしそちら方面に向かうと、「あら、ちょっと悪戯しちゃお」とか言って、心底わくわくした表情で後を付いていく。しばらくすると「ガオー」という声が聞こえ、続いて起こるのが姪の泣き声だ。叔母、当年取って六十五歳だ。やるなと言いたい。
 トラウマって、こうやって出来るのだろう。

2007年5月4日(金) 晴れ
お疲れ様
 ハッピーバースデー、トゥー、ディアー。聞けば、今日が誕生日だと言うではないか。
 野郎二人で呑んでいて、そういえば誕生日なんだよという話しになる。杯を合わせ、この世に生まれた幸せを祝った。まったく、目出度い限りだ。
 思えば四月にも、男友達と二人切りで誕生日を祝っていた。うどんを啜りつつ「あーそうなの。おめでとさん」と言った記憶がある。女の子と祝うとか、そういうのはもういいじゃないか。野郎二人の誕生日は、面白い。
 誕生日であろうがなかろうが、本日も「アブない刑事」の話題で盛り上がっていたことは、是非とも書き記しておかねばなるまい。「冷たい太陽(エンディングの歌です)」の歌唱法について語れる、そんな友人を持って幸せだ。
 もうこの際男友達の誕生日には、全員立ち会うかと思う。例え彼女と二人で祝おうとしたって、許さない。仲間に入れろと言いたい。

2007年5月5日(土) 晴れ
公園
 最近禁じていたが、街に出たついでにリニューアルした大型書店に入ってしまった。予想通り物欲の権化と化す。本、全部くれ。
 堀江敏幸の新刊が出ている。二、三ページ読んでみて、いつものように一文が果てしなく続き主語が何処に着弾するか分からない大陸間弾道ミサイルのような文ではなくなっていることに驚く。スパスパ切れる唐竹割りな文章で、サクサク読める。読みてー!
 高橋源一郎の新刊は、三十分間立ち読みだ。冒頭から、「言葉」についてひたすらに掘り下げていく。痺れる。読みてー!!
 その高橋源一郎が元ネタに使っていた、ガブリエル・ガルシア・マルケスの「百年の孤独」が隣に並んでいた。「百年の孤独」だけではなく、マルケスの全小説が新潮社から出たようで、開いた鼻の穴が閉まらない。ふんふん鼻息を荒げつつ値段を見ると、いずれも二千円を上回っている。足りねー!!!
 財布の中身が二百円とは、どういうことだ。

2007年5月6日(日)
趣味悪三
 「ライオンっているじゃん」「いねー」「いるって!」「あー、いるいる」「あれ一頭で、蛇の一生分の肉なんだって」「あ、そう」「ちょっとさ、なんでそんな態度冷たいの。これがユウとかだったら、絶対態度違うじゃん」「ああ。『へーそうなんだ!』ってなる」「何で俺だけ態度違うの?ひどくねぇ?」「だってお前だし」「ひどくねぇ?」「デブだし」「デブじゃねーよ。死ねよ」「うぜー。だいたい蛇ってどの位の寿命があるんだよ」「分かんないけど、半分で、十年くらいだって」「え?」「だからライオン一頭の半分で、十年くらい生きるんだって」「それって二十年じゃん」「え?」「だから半分で十年生きるんだったら、全部食えば二十年ってことだろ!」「あ、そうか」「そうかじゃねーよ、デブ」「ひどくねぇ?」
 ハンバーガー屋のカウンター席で、またも『覗き聞き趣味』を爆発させている。新高校一年生同士の会話だ。君ら、面白過ぎるぞ。

2007年5月7日(月) くもり
妄想
 白洲正子著「かくれ里」を読んでいて、気になる記述が目に付いた。
 「山国の火祭」の章に、原地という場所の火祭りについて書いてある。「松あげ」という祭りだ。灯籠木(とろぎ)と呼ばれる二十メートル程の木を立て、そのてっぺんの籠に薪を入れておく。で、その籠に向かって皆で火種を投げ込み、火を点ける行事らしい。
 どう見てもこれは『玉入れ』だ。
 運動会で、よくやるあれだ。怪しい怪しいとは思っていたが、あれは祭りだったのか。
 そうなってくると運動会という行事は事だ。どの競技も何かルーツがあるように思えてくる。例えば「大玉送り」なんかが危ない。
 白洲正子によれば、「古代の祭りは、いつも信仰と実用をかね」たそうで、「松あげ」の煙は害虫駆除になったのではないかと解いている。ならば「大玉送り」は刑罰だろう。
 罪人が入った玉を村人全員で崖っぷちまで送る行事だ。全く、油断も隙もありゃしない。

2007年5月8日(火) 晴れ
いろいろ、うまくない。
 自転車を直しに出して、変なことになった。
 タイヤは擦り切れ、ホイールが曲がり、ブレーキは効かず、チェーンは伸びていたが、まぁ大丈夫さと思って、連休中にツーリングへ行った。相棒のパンクを直すために立ち寄った自転車屋の親父が、こちらの自転車を見て絶句する。ツーリング中は無事だったが、数日後パンクするに至り、修理を決心した。
 足回りがぴかぴかになった我が自転車と対面する。さっそく跨ったが、今度はギアがおかしくなっている。浮かんだのは、こうだ。
 「おい、直ったは良いが、今度はギアがおかしくなってるよ。困るよ」「いやでもお客さん、今日じゃなくて明日なら大丈夫かも知れませんよ」「何でい。今日が駄目で明日なら良いって、そんなギアが、あるかい!」「いえほらお客さん、良く言うじゃないですか『今日は日(比)が悪い』って」
 まず直さなきゃいけないのは、頭だ。それは分かってるんだが、ギアも直してくれ。

2007年5月9日(水) 晴れ
紺屋高尾が好きです
 最近、落語を聞き始めた。
 図書館に、結構充実したCDコレクションがあったのがきっかけだ。談志、円生、志ん朝といった辺りから入っている。テレビで時々見るあの顔を思い浮かべているにも関わらず、談志の「宮戸川」というちょっとエロい話しでどきどきするのは、どうしたわけか。
 困った事はすぐ影響される己の性格で、日常生活に時々入り込む落語の影に怯える暮らしが始まりかけている。
 自転車屋に修理を頼んだが、どうも説明がはっきりしない。「まだるっこしいな。はっきりしろぃ!」と一喝する円生の声が頭に響く。逆に呑み屋で、自分の言っている事が無茶苦茶になっていると気が付いた時、「ってんで、わけが分からない」と志ん朝口調で言いたくなっている己がいる。
 一定年齢以上の方しか見られないようなDVDを鑑賞中に、「いやだよォ、お前さん」と裏声で談志が・・・・・・。落語地獄だ。

2007年5月10日(木) 晴れ
のぎ
 生活に音楽があるって、イイね。
 酔っ払ってカラオケで絶叫している時にイヤホンを無くし、五千円近く出して買い直した事実を、曲げて書いてみた。生活に音楽があるのは良い。
 約二週間ぶりに、携帯オーディオプレイヤーで音楽を聴いている。そんなに時間が経ったわけでもないのに懐かしさを感じるのは、何故だ。とりあえずという感じでポンポン楽曲が放り込んであるので、ランダムで聴いていると意外な曲が出てくる。二週間ぶりに聴いた始めの曲が、たま「さよなら人類」だったことは、書き記しておきたい。
 音楽を聴いていると、やはり同時に本は読めないなと気が付く。ここ二週間は電車の中では本を読んでいたが、音楽が戻ってきて本を読む時間が減った。川端康成を読んでいる時に、ゆこりんこと小倉優子の曲が流れると、やはり読めない。
 後道で踊るのも復活した。これは良くない。

2007年5月11日(金) 晴れ
再び
 ハンバーガー屋やドーナッツ屋といった、飲食店のチェーン店がない街を見付けた。何故ならそこは、そういう街だからだ。
 周囲の人口が少ないということなら良く分かる。客がいなければ利益は出ない。経営する側からしてみれば、そんな所に出店するわけはなく、道理だ。だが、今回見付けた街は、大都会のど真ん中だった。
 見る限り、道沿いにはお洒落ショップが並んでいた。服屋、靴屋、小物屋、喫茶店、パン屋・・・・・・。自転車でへとへとになりながら辿り着いた街だ。ちょっと腰を掛け、茶の一杯でも飲もうかと安いチェーン店を探していた。だがあるのは、一杯飲んだら己の三日分の食費が飛んでしまうような店ばかりだった。とても汗だくヒゲが一人で入れるような雰囲気ではない。「お茶が飲めないなら、珈琲を飲めばいいじゃない」と言われている気がする。何ーアントワネットだ。
 しかしそれも仕方あるまい。そういう街だ。

2007年5月12日(土) 晴れ
多分、もうちょっと別の意味もあるのかと思いますが・・・・・・
 「朝湯は身代を潰す」という言葉がある。体から生じる生理を的確に表した言葉で、納得する。
 熱い風呂に入れば、気が抜けるのが人の生理だ。熱湯に入れば、「くはー」と言う。ぼんやり天井を見る。歌を歌う。タオルで意味も無く顔を拭う。「良い湯だねー」と呟く。「ご覧のスポンサーは」は「ゴランノス、ポンサー」に聞こえるなぁと考える。などするわけで、気は抜け切っている。
 上がってからだってそれは続く。あろうことか腰に手を当て、牛乳をパックで飲んだりする。全裸だ。誇らし気だ。こんな奴に金を稼げと言ったって、土台が無理な話しだ。
 いくら理性が頑張ったところで、風呂には気を抜かす魔力がある。理屈じゃなく、生理だ。よく言ったものだ。
 川沿いの露天風呂に肩まで浸りつつ、そんなことを考える。山の端からは、現れたばかりの太陽だ。

2007年5月14日(月) 晴れ
釜飯
 烏の鳴き真似をしていると、姪が泣く。
 最近保育園に通い始めた姪(一歳八ヶ月)の所に遊びに行くと、元気一杯だった。だが昼寝をしていないらしく、不機嫌でもある。
 眠たいなら寝りゃーいーじゃねーかと毎度思うのだが、眠る気は皆無だ。そのくせ情緒不安定になり、食器を放り投げたりし始めている。姉が不在のため、寝かしつけてみる。
 布団の敷いてある部屋まで、騙し騙し連れて行った。二階にあるその部屋には、すでに西日が差し込んでいる。烏が鳴いている。
 「もう遊ばないよ」と示すため、先に布団へ寝転がった。興味を引こうと烏の鳴き真似をする。こちらで鳴くと、遠くで本物の烏が鳴き返す。他に物音は聞こえない、黄昏時だ。
 動きを止めてこちらを見ていた姪が、突然わっと泣き出した。そのまま抱きついてきて、泣きながら眠りに落ちていく。
 黄昏時に寂しさを感じるのはいつからだ。姪にしがみ付かれながら、そう思う。

2007年5月16日(水) 晴れくもり
paperbackwriter
 店内で流れていたのは、ビートルズ「ペイパーバック・ライター」だった。
 階下のレジからトレイを持って上がってくると、特徴的なベースラインが耳に飛び込んで来る。中々趣味の良いハンバーガー屋だ。
 最近良く聞くなと思う。それも道理で、考えれば携帯オーディオプレイヤーに放り込んである曲だった。腰を振りつつカウンターの席に座り、ノートを開いて書き物をした。
 本国英国でのリリースは、六十六年五月だ。ざっと四十一年前の曲になる。親父がLPで持っていたのを覚えている。それをCDで買い直したのも、知っている。何故なら、そのCDを親父の棚から引っこ抜いて持って来たのが、自分だからだ。親父、すまん。
 恐らく四十年間、世界中の喫茶店やらハンバーガー屋やらでかかっている曲だ。それだけではなく、レコードやらテープやらCDやら、果ては電子データとなって今も増殖中だ。
 ハンバーガーを食べながら気付き、慄く。

2007年5月17日(木) 晴れ
埋め立て
 食べている最中には、しゃべれない。単純なその真実を思い知るのは、いつもその時になってからだ。
 例えば、初めてのデートだ。ちょっと奮発し、夜景の見えるレストランを予約する。イタリア料理のコースだ。ワインも、舌を噛みそうな名前を一夜漬けで覚えて完璧にする。後は素敵なおしゃべりを楽しむだけというその時、前菜に出てきた蛸がなかなか噛み切れない。「これ、むぎゅ、おいしいけど、もぎゅもぎゅ、中々、ぎゅぎゅ、噛み切れないね」「ほんと、もぎゅ、そう、ぎゅぎゅ、ね、もぎゅ」素敵なおしゃべりどころの騒ぎではない。
 そんなことを考えたのは、今日突っ込めなかったからだ。物が口に入っていて、言うべきタイミングを逃した。「あたし中学から一日一食なんだよね。あ、後酒か。でね、しかも偏食なの・・・・・」という話しだ。
 さり気なく、中学で酒か。

2007年5月18日(金) 晴れ
でっちあげ
 左利き話しに、花が咲いていた。食事の時だけ左手で食べるので、誰かと一緒にものを食べるとこの話題になることが多い。ラーメンを食べながらノートを取れるんだぜ、などと良く分からない自慢をする。言った瞬間ふと、この前酔っ払った時失くしてた記憶を思い出した。友人が左手で箸を使っている。
 中学以来の友人と昔、利き腕を交換したことがある。お互いの前では、友人は左手、自分は右手で箸を使おうという取り決めを結んだ。先日その友人と呑んだ。また例によって記憶があやふやだが、まさかまだ守っているとは思わなかった。小鉢からつまみを取る手付きは手馴れたものだ。もしかしたら、そのまま箸を扱う時だけ、左利きになったのではあるまいか。
 すまないと思った。取り決めのことどころか、酔いに任せて当夜の記憶自体を忘れていた。全く以って反省する。今度からは、ちゃんと右手でビールのジョッキを持とうと思う。

2007年5月19日(土) 晴れ
ラーメン紀行
 一緒に旅に出て、十年来の付き合いなのに新たな一面を発見する。友人は結構、負けず嫌いだ。
 六十キロ程先に、金運に御利益のある神社がある。そこまで行こうという話しになった。自転車のツーリングだ。
 自転車に関しては大先輩にあたる友人に付いて走る。後ろから他人の走りを見ると、自分との違いが良く分かる。例えば自分は、後ろにトラックなどが近付くとすぐに道を譲るへたれだ。だが友人は悠々と走る。クラクションを鳴らされると、むしろ車道に寄る程だ。
 負けず嫌いだったのかと思う。普段そんなそぶりを見せないので、意外だった。からかったりする時は困り顔だが、実は心中憤怒の形相を浮かべているのではなかろうか。
 神社に到着し小銭を清めた。清められたそのお金で、その場で結果が分かる公営の籤を買う。友人が五百円を当てる。自分はスカだ。何食わぬ顔の下に、勝利の笑みを見た。

2007年5月20日(日) 晴れ
わはははは(一部付け足しました。すまね)
 目の前で、物語が組み上がっていく。面白い。ちょっと、いやかなり悔しい。
 ベトナム料理屋で食事中、何故か「将棋とコミュニケーション」という主題で、物語を作ろうという話になった。友人が語り出す。
 精神的な病気にかかったヒロインは、他者とのコミュニケーションが取れない。彼女が唯一外界と向かい合うのが、父親から教わった将棋の対局だ。ヒロインに思いを寄せる主人公は、それまで将棋などやったことが無い。だが、ヒロインの心を開くため、将棋を習い始める。駒の動かし方から始めて、主人公は次第に上達していく。そんな中、ヒロインの過去も明らかになる。ヒロインは対局で、父親が生み出した幻の盤面を再現していた。全てを知った主人公は、ヒロインとの対局に臨む。白熱する勝負は終盤に向かい、遂にヒロインが言葉を発する。
 「王手!」その場にいた三人が同時に叫んでいた。そして笑う。「王手!」じゃない。

2007年5月22日(火) 晴れ
とりゃ
 たるみが忍び寄っていた。奴らはなかなか表に出てこない。気が付いた時にはたるんでいるから、厄介だ。
 久しぶりに街へ出て、欲望の赴くままにラーメン屋の暖簾をくぐった。だが夜も遅めだ。かなりこってりした味付け、でカロリーは高い。脂肪になること確実な食事だった。スープまで飲み尽くした後、思い至る。意識がたるんでいたとしか言い様がない。
 思い起こせば、兆候は見えていた。日中にはイヤホンの先端を失くしている。先日買い直したばかりのイヤホンの、耳に突っ込むゴムの部分がいつの間にかない。「まあいいや、代えもあるし」そう思って大事には受け止めていなかった。今思い返してみれば、あれはたるみの表れだった。いかんことだ。
 家に帰り、とりあえず走る。何はともあれ、肉体のたるみだけでも取っておこうという寸法だ。汗をかきつつ呑むビールがまた旨い。
 駄目だ。たるみ切っている。

2007年5月23日(水) 晴れ
ウヰスキー
 朝五時から足をクルクル回す。
 昇り始めた太陽に向かって、自転車を漕いだ。自転車に乗るという行為は、取りも直さず足をクルクルすることだ。最近になって分かった。一分間に七十回位回すのが目安らしい。先だって自転車が不調だったのは、己の漕ぎ方にも問題があったようだ。自転車屋のあんちゃんとチャリンコ通の友人に、同じアドバイスを受けた。それを踏まえて、走る。
 河沿いの道に、ほとんど車は無い。日中ではできないような走り方をする。車道の真ん中を行く。橋を、端の歩道を通らず、ガードレールで区切ってある走り易い車道で走る。
 多少雲はあるものの、天気は良好だ。新聞配達のにいちゃんが、ポストからポストへ渡っていく。総菜屋の前を通れば、仕込みだろうか、肉を焼く香ばしい匂いが一瞬香る。
 などと、のんびりしていたは始めだけだった。約束の時間があり、最後は全力でクルクル回した。朝五時から、汗みずくだ。

2007年5月24日(木) 晴れ
希望
 今日は何故か、静かな美容院だ。
 入店してから、「前と同じ位に」と言った定型の受け答えを除くと、「すごいりんごの香りですね」としか言わなかった気がする。眠かったということもあるが、新鮮だった。
 担当してくれたのは、三十代と思しきドレッドのあんちゃんだ。初めて見る人だ。要望を聞き髪を切り始めると、集中して手を動かす。作業が早い。二三、長さなどを確認しつつ、十分程でカットを終えてしまった。こちらがほとんど目を瞑っていたということもあるが、おしゃべりはなかった。しかし集中しているのが分かるためか、気詰まりは無い。
 シャンプー台に移り、髪を洗う。ふと感じた香りを、そのまま言葉に乗せた。「すごいりんごの香りですね」自然に出たその言葉が、今日美容院で交わした唯一の会話になった。
 で、返ってきた返事が「いや、これ洋梨なんですよ」だ。『果物』は、合っている。
 静かな美容院で、髪を切る。

2007年5月26日(土) 晴れ
テーマ変更「Do The バカ To The World」
 季節は確実に夏に近付いている。目を覚ますと、日差しが熱い。
 起きてすぐ、窓を開け放った。恐らく部屋の中が相当に酒臭い。朝の五時まで呑んでいた。半分寝ながら部屋まで帰り着き、そのまま瞬間的に眠りにおちたのが六時位だ。日はすでに中天を越えている。
 二割程しか働いていない頭でパソコンを起動する。ニュースなどをチェックしつつ、一昨日買っておいた中村一義率いる100Sのニューアルバムを聞いた。
 そうか。最近馬鹿が足りなかったんだなと思う。
 ネット麻雀で振り込みまくるのは、馬鹿足らずだったからか。道理でおかしいはずだ。馬鹿なのだから、馬鹿が足りなくなったら大変だ。今年三匹目の蚊を撃退しつつ、「Do The バカ To The World」と歌った。
 良い陽気だ。

2007年5月26日(土) 晴れ
復活
 二時間自転車で走り、三時間フットサルをやって、二時間かけて家に帰る。荒行だ。
 最近、自転車が楽しくてならない。自分の力ではないのに、「俺って早いぜ、ふふ」とほくそ笑むのが堪らない。なおかつ、複雑だが、その速さを生み出しているのは自分の足だということが、達成感だ。しかし時と場合を考えろと言いたい。
 フットサルが終わった時点で、もうへとへとだ。腿が震えている。最近やっているジョギングのおかげで、試合中自分としては動けたが、改めてこれから自転車で帰ることを思うと慄然とする。しかし、来てしまったものはしょうがない。サドルに跨り、ペダルを踏んだ。
 家の近くのハンバーガー屋で、この文章を書いている。気を抜くと、寝る。だが、どうやら何かを越えたようだ。まだこれからどこまでだって走れる気がしている。
 明日が、怖い。

2007年5月27日(日) 晴れ
おっぱいと、カッパドキア
 どうだこの野郎と、ギターを掻き鳴らした。カホーンという、椅子に似た打楽器を叩いている友人と目が合う。「いいね」「このノリだね」「ビールうめぇ」「明日月曜だってよ」「マジで?嘘じゃねぇ?騙されてねぇ?」「いや、まじまじ」「ご覧のスポンサー?ゴランノ、スポンサー?」といった情報が、瞬時にやり取りされる(ような気に、自分はなる)。
 公園でビールを呑みつつ音楽、という素適企画だった。以前一回やって味を占めているが、やはり素適だ。周りの方に迷惑千番かとは思うが、阿呆音が晴れた空に響いていくのを止められない。ビールの缶が積み上がっていく。
 途中から、近所に住む別の友人を加えて宴は続いた。最後はぴょんぴょんジャンプして、空いた缶を潰して回る始末だ。夕闇の中、二次会に突入する。
 どうだこの野郎と、ビールを呑む。

2007年5月28日(月) 晴れ
たつ
 素晴らしい筋肉痛だ。起きられない。
 二日前にフットサルをやった。影響がこうも大きく表れるとは、予想外だ。昨日はほとんど普段と変わりなかったので、油断していた部分もある。改めて、年齢という奴に、思いを馳せる。
 馳せてばかりいてもしょうがないので、ボールを持って近くの公園に行った。三キロ程ドリブルをする。やけくそだ。
 油が切れかけたロボットのような動きでしばらくやっていると、やがて痛みは気にならなくなってくる。一時的なもので、運動を止めれば復活するし、無理は逆効果だと分かっているが、それでも爽快だ。調子に乗って、「見よ、この華麗な足捌き」とばかりにボールを跨いだりもする。フェイントのつもりだ。四股を踏んでいるわけではない。
 自分の中でロナウジーニョになっていると、遊びと勘違いした散歩中の犬に、ボールを奪われる。

2007年5月29日(火) 晴れ
言語は単に、皆が使うということだけで、言語なのですなぁ
 とある企業の広告用印刷物には、「私はそれを愛しています(進行形)」という意味の英語が、決めの文句として使われていた。良く見ると、英語だけではなく各国語で、同じ意味と思しき文句が刷ってある。確認できただけでも、中国語、仏語、独語が見えた。だが、日本語の文章だけが無い。
 日本用の広告だからだろうか。あえて日本語を使わないのは、ありそうなことだ。ならばやはり気になるのは、他の国だった。この企業は国際的だ。もしかしたら他国では、日本語で同じ文章が載っているかもしれない。
 「ほんまそれ、好きやねん」だったらどうしよう。「私はそれを愛しています」という文章は、普通の日本語ではない。かといって関西弁になると、どうもニュアンスが違う。あるいは「わて、好きですえ」はどうか。「わしゃ、好きじゃ」の可能性も捨て切れない。
 「おいどん、愛しているでごわす!」だったらことだと思う。

2007年5月30日(水) くもり
破壊
 時々、『お、同じ遺伝子』と思う顔に出くわすことがある。
 「おはようございます」と挨拶を交わして、ひょいと顔を見た。どこかで見たことがある顔だ。しばらく考えて、学生時代のアルバイト先にいた常に不機嫌なおっさんに、どこか共通する要素があることに気が付いた。
 決してそっくりだというわけではない。ちゃんと見れば、別人だということは一目で分かる。だが全体的な佇まいから、どうしても連想が働いてしまう。時々そういう現象が起こる。全くの別人同士なのに、二人を結びつける連想が働く。同じ遺伝子を持っていると、勝手に決め付けている。
 おっさんは、いつも間違って(苦くもない普通の)虫を噛み潰した後のような顔をしていた。笑えよ、と二三度思った記憶もある。
 今日会ったのは良く笑う人だったが、実は心中不機嫌じゃないかと疑ってしまう自分がいる。酷い。

2007年5月31日(木) 晴れ
予定、調整
 予想通りだった。予想通り、駄目駄目だ。
 毎日のジョギングのついでに、フットサルのボールを持って行く。今更ながら、リフティングでもして少しでもへたっぴを直そうという魂胆だ。ぽけぽけボールを蹴っていると、三歳位の男の子がじーっとこちらを見ている事に気が付く。
 公園内の道を、リフティングで端まで行こうとしていた。子供はその道の脇に立ち、目の前を通り過ぎるヒゲ面を嫌と言う程見続けている。緊張するなという方が無理だ。
 おまけに、通り過ぎる際に母親が言った台詞がこうだ。
 「まぁくんも、サッカーやる?」
 恐らく、この瞬間に未来のJリーガーが誕生しただろう。まぁくんが無言で頷くのは、目の隅で捉えられた。
 で、当然の如くボールが、明後日の方向に飛んで行く。まぁくんとやら、現実はこうだ。
 晴れた空に浮かぶ、ボールが一つだ。




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