2007年7月1日(日) 晴れ
見直し
しばし考える。問題は、彼の性格だ。
これまでの彼の言動を思い返す。「エッチする」と言わずに「セックスをする」と言う彼だ。ストレートさが、好ましい。これまでの彼の戦略も思い返す。彼の戦略は「人事を尽くして天命を待つ」型だ。出来る限り主導権を取り、最後は一枚を残すことが多い。総じて、真っ直ぐな性格だ。「それまで取っておいたカードで勝負して相手に何もさせずに嫌な勝ち方をする」型の己とはエラい違いだ。 逆に考えれば、主導権が取れないという時には、彼は引く。ならばこれだ。 出したのはクィーンのペアだった。案の定、彼はパスをする。やった、勝った。だが、次に控えていた男、別名「風雲児」が二のペアであっさり主導権を握る。「えっ?」と思う間もなく、出されたカードは七が四枚だ。革命だ。浅はかな目論見は崩れ去り、残されたエースのペアを握り締めて悔しさに耐える。 朝九時からの、大貧民だ。 2007年7月4日(水) くもり/雨 最後だけ
疲れた男四人が、街をさ迷っている。本が、無い
フットサルが終わって遅目の昼飯を食べている時、新刊本の話しになった。何でも、辞書を監修した大学教授が、「辞書に載っていない言葉」を公募して作った辞書が発売されたという。俄然、興味が沸いた。探してみようという流れになった。 問題は、ノリノリなのが二人だけだという点だった。 話を持って来た男と自分は、本を見たくてウズウズしている側だ。もう一人は仕方無しに付いて来ている。最後の一人にいたっては、「インクの臭いを嗅ぐと、便意を催す」などと言い出す始末だ。どういうことだ。 街で一番大きな書店に行ったが、売り切れだ。もう一軒回ったが、やはり無い。フットサルの疲れもあって、沈滞した雰囲気になる。三軒目に行くか決めかねて、相当歩く。 本が無い。後、便所も無い。 2007年7月12日(木) 晴れ リベンジ失敗、そして思い出の地へ
自転車で帰って来た筈なのに、記憶が無い。
久しぶりに会った友人と、二人で呑んだ。暑さも手伝って、ビールが進む。さらにその上カラオケに入り、真心ブラザーズ「ENDLESS SUMMER NUDE」と、氷室京介「KISS ME」を踊り狂った。とどめにはラーメンだ。その後自転車に跨ったわけだが、そこから先を覚えていない。 家まで、三キロ程の道のりだ。自転車に取ってそれ程遠い距離ではないが、決して近いというわけでもない。唯一思い浮かぶのは、ハンドルを切り損ねて「これは、危ないな。気をつけなきゃな」と思っている場面だ。思ってないで、休め。 打ち身、捻挫、擦り傷、切り傷、打撲、骨折、頭痛、腹痛、腰痛、歯痛、眼痛、痔、全て無しの健康体だが、全て幸運の賜物だと理解する。今後絶対酔っ払って自転車に乗るのは止めようと思う。 踊り狂ったのが最後の思い出です。は嫌だ。 2007年7月6日(金) 晴れ/くもり 急
シングルモルトのウィスキーを呑み比べていた。それがいけなかったんだろうと思う。
十キロ以上の道のりを自転車で帰ろうとして、ハンドル捌きが覚束いていないことに気が付いた。死ぬのは嫌なので、距離が近い実家に一泊することにする。 ふらふらで辿り着き、何とか自転車を駐車場に入れた。鍵を取り出し鍵穴に入れるだけで三分程格闘する。相当酔っている。抜き足差し足で二階に上がり、唯一寝るスペースのある親父の部屋に入る。座布団の上に倒れこんだ瞬間、寝ている。 夢現の中、親父が起き上がる音が聞こえた気がした。箪笥を開け、ごそごそやっている。やがて何かが体の上に掛けられた。 早くに帰らなければいけない用事があったので、早朝、起きた。親父はベッドの上で、昨日と同じ姿でフゴフゴ言いながら寝ている。 だが、掛けられていた毛布に、親父の優しさを見た。ただ、熱い。 2007年7月7日(土) くもり 寝込み
テレビを持っていない。動く画像を見るのは、実家に帰った時か、旅行先、あるいはふらりと入った定食屋の野球中継位なものだ。そんな人間が動画を見続けたらどうなるか。
予定がキャンセルになり、ぽっかり丸一日が空いてしまった。どうしようかと考えつつ、友人に勧められた面白動画を動画サイトで見ていて、嵌る。 「エクストリーム・アイロン」というその動画は、様々なスポーツをやりつつアイロン掛けをするという阿呆極まりないものだった。しかし、面白い。動画サイトでは、関連する動画をリストにして表示してくれるので、芋蔓式に次々と見入ってしまう。結局、途中の休憩も挟んで十時間、動画を見ていた。 その夜、熱が出る。頭痛や腹痛は無く、どうも風邪ではない。うんうん唸りながら原因を考えていて、動画に思い当たる。 動画熱だ。知恵熱みたいなものだ。きっとそうだ。 2007年7月8日(日) くもり 学び舎
熱との戦いは、一進一退だった。
午前九時、起床と同時に昨夜の熱がまだ引いていない事に気が付く。体がだるい。だがどうしても出かけなければならない用事で、午前十時に部屋を出る。 状態は悪化の一途を辿った。用事を済ませ、三歩歩いて溜息を吐くといった状態で帰りの電車に乗る。最寄の駅まで、眠って過ごす。 駅のホームに降り立った時、症状はほとんど感じられなかった。短時間でも眠ったのが良かったらしい。希望が湧く。これなら、今日のフットサルに行けるかもしれない。帰り着いて、さらに寝足す。 一時間後、いそいそと準備をし、フットサルコートに向かった。わーいわーいと浮かれつつ、闇雲に走り回る。 午後八時、布団をかぶって汗まみれで唸っている。蚊を退治する気力も無い。 熱がある時は、フットサルはするべきではない。新発見だ。 2007年7月9日(月) くもり 配達
今日頭の中で止まらなかったのは、宇多田ヒカル「MOVING ON WITHOUT YOU」だ。止まらないものはもう一つあって、「君臨すれども統治せず」という言葉だった。もっと正確に書くなら「〜すれども〜せず」という言い回しだ。
発端は、特売一パック十個百四十二円Lサイズ卵パックにある。 地元商店街で発見したその安卵を、やれ嬉しやと買い込んで来た。家に帰り冷蔵庫を開け中にそのまま突っ込もうとして、入らない。仕方無く、扉側の卵受けに何個か入れようとパックを一旦外に出した。その途中、二個の卵が零れ落ちる。冷蔵庫の中は一瞬にして、阿鼻叫喚の卵地獄だ。起こってしまったことの重大さに、しばし呆然となる。 「絶望すれども放置せず」、冷気を浴びながら雑巾で卵を拭き取っている時浮かんだのが、この言葉だ。英国王制万歳だ。 後「存在すれども目視せず」もある。蚊だ。 2007年7月12日(木) 雨/くもり 布団坂滑り
病院を出ると、雨は上がっていた。夕焼けが空の縁を、紫に染めている。
姉が倒れたという報を聞いて見舞いに行った。病室を訪れると、夕飯をがばがば食べている姉がいる。明日には退院するらしい。 姉が、椅子に腰掛けて院内食を食べつつ話しをする。自分は、ベッドに腰掛けて聞いている。どっちが病人だか分かりゃしない。 「明日退院だからさ、この辺のもの全部食べてね」そう言って姉は、ベッドの横にあった小さな冷蔵庫の扉を開けた。中には見舞いにもらったと思われる菓子類や食料が詰まっていた。おにぎりを食わされ、帰り際には麦茶のペットボトルと団子を持たされた。どっちが見舞いに来たのか分かりゃしない。 中学校で通学の時に使っていたバスに、久しぶりに乗った。席が空いていたので、昔通り、定位置だった車輪の上の席に座る。 窓から空を見上げる。鮮やかな紫の空は、段々と消えていった。団子が、美味い。 2007年7月15日(日) 雨/くもり/台風 めでたい友
姪が、親父の額に車を走らせている。
「チョロQで遊ぼう」そう言い出したのは親父の方だった。夕飯が済み少し酒の入った親父が、姪を相手に遊び出した。生まれて一歳と十ヶ月の姪の「あしょぼ、あしょぼ」という呼び掛けに、応えた格好だ。食卓に座ってテレビを眺めつつ、横目でその様子を見る。 カーペットの上では、チョロQは上手く走らないようだった。「しゅぅーー」仕方なく親父は、自分で効果音を出してチョロQを走らせた。車は姪の足を登って行く。 きゃっきゃと笑っていた姪が、今度は自分がやると手を出した。親父がその手にチョロQを握らせる。姪は躊躇うことなく、随分と生え際が後退して広くなった親父の額に「しゅー」と言いながらチョロQを押し付けた。 胡坐をかいて座った親父の頭は、姪にとって丁度良い高さだ。手ごろだったのだろう。 車は、見事なコーナリングで生え際を走り抜けていく。思わず、吹き出す。 2007年7月16日(月) 晴れ/くもり 勝負
朝、弁当を作る時など、電子レンジでご飯を解凍したりするわけだ。
我が電子レンジは、いたってシンプルな作りだ。「解凍」か「あたためか」を選択するボタンがある。時間を決めるダイヤルがある。以上、電子レンジとして必要とされる最小限の機能を追及した、合理的な作りになっている。決して安物なわけではない。 別にライ麦パンを作ったり、あるいは猫を乾かしたりはしないのでこれで全く問題は無いが、ただ一つ難を言えば、音がうるさい。 レンジと言えば「チン」だ。それはすでに「チンする」という動詞にまで発展している程、当たり前のことだと思う。ところが我が電子レンジは、「ビー!」という音で、その活動の終了を知らせる。結構大きな音で、どれ位大きいかと言えば、早朝弁当を作っている時に鳴ったらお隣さんが起きる位大きい。 故に、今日も今日とて、剣先を見切る剣豪のように、ダイヤルの目盛りを見詰める朝だ。 2007年7月17日(火) くもり/雨 正解は、左右に一個ずつビニール袋を持つです。
最後に手に取ったのは、ビールのロング缶六本パックだった。勝負の始まりだ。
スーパーを出た己の姿は、右手に傘を持ち右肩掛けに手提げ鞄、左手にはビニール袋に入った生鮮食品類が二つという格好だった。雨は相変わらず降り続いている。信号が青に変わる。まずはいきなりの坂道に突入する。 当初のポジションが早くも、坂の途中で限界になる。左手が意志とは関係なく、開いていく。やはりビールの重さが大きい。「く、まずい」素早く左右の手を入れ替えた。だが、右手の握力もいつまでもつか分からない。 坂を上りきると、直線だ。なるべくここで距離を稼いでおきたい。だが、さらなる異変が襲って来る。手提げ鞄だ。あんにゃろうが、肩からずり落ち始めたのだ。両手が塞がった状態だ。地面は雨で水浸し、辺りに物を置けるような場所は無い。どうする!? 全身びしょ濡れになって部屋に帰りついたのは、約十五分後だった。完全敗北だ。 2007年7月18日(水) くもり/雨 高級住宅街
ここ二三日、練乳ミルクフランスを食べている。
練乳ミルクフランスをご存知だろうか。小振りのフランスパンの間に、練乳ミルククリームを挟んだパンだ。セブンイレブンで売っている。硬いパンを噛み千切ると、練乳ミルククリームの抑えた甘みがじわりと広がる。税込み百五円という値頃感も併せて、逸品だ。ふらりと入ったセブンイレブンで見つけて、以来、日に一度のペースで食べ続けている。 三年程前にも、実はこれに嵌ったことがあった。固い食感に、当時の記憶が甦る。まだ弁当を作っていなかった時期で、節約とダイエットを兼ねて毎日パンだけで済ませていた。あの頃と今とは、何が違うのかな。何が同じなのかな。と、遠い目をしつつ、練乳ミルクフランスを片手に街をさ迷う男が一人だ。 ただ一つだけ、確かに言える事は、あの頃はダイエットだったが、今は昼飯を食べた後だということだ。カロリー大爆発だ。 2007年7月19日(木) くもり/雨 縦ノリ横ノリ
財布を忘れて何が悪いと言いたかった。
自転車に乗り始めて随分経つ。原チャリと正面衝突したり、酔っ払って石垣に激突したり、おじぃちゃんを轢きかけたり(いや、ほんとすみません。二度とやりません)、「やっちまった」ことはたくさんあるが、未だに「やっちまう」のが、財布を忘れることだ。 何せ目的地に着くまで、財布を確認する必要が無い。通常、切符を買ったり何なりで、財布の有無は確かめられる。近所に歩いて買い物に出た時に忘れたならば、家まで取りに戻れば良い。ところが、自転車だとそうはいかない。家から十キロ以上離れた地点で、財布がないと気付いた日にゃ、一体どうしようかと思う。 しかしだ。別に構わないと言えば構わない。一日何も買わなければいい。お金に毒された我が身を、一日位清めてみればいいだけだ。 で、鳴る腹を抱えつつ、缶コーヒーの自動販売機をじっと見たりするわけです。 2007年7月20日(金) くもり 帰り道の、実験
料理を作っている時の脳内劇場が最近暴走し始めていて、困る。
「料理の名前なんて関係ない、お前はそう言ったな」突如、そんな声が鳴り響く。もちろん、脳内でだ。うわ、始まっちまったとは思いつつ、包丁を動かす手は止めない。 「では、聞こう。もしチンジャオロースの漢字が、『珍蛇男、呂、押忍!』だったら、お前は食べる気になるのか!?」「そ、そんな馬鹿な。たかが漢字を変えただけなのに、食欲が全く起こらない!」「まだまだ修行が足りんな」「くそー、○山め」 着物を着たいかつい顔のおっさんと、背広を着た醤油顔の息子の、料理を介した親子喧嘩は、どうやらおっさんの側の勝利で終わるようだった。どっちでもいいから、人の脳内でやるのだけは止めて欲しいと願う。だが、おっさの高笑いはこだまし続けている。 しかも、作っているのは胡瓜のサラダだ。チンジャオロースは、どっから出てきたんだ。 2007年7月21日(土) くもり 刻め、バイタルサイン
夏、野外ライブに行って思うことは、蝉だ。
曲が終わる。最後の一音が晴れた空に散っていく。良い曲だった。良いパフォーマンスだった。腰が自然に動いてしまった。 小さくなっていく音量の中でそう思うわけだが、その瞬間スピーカーの音と入れ替わるように聞こえてくるのが、蝉だ。ヴィーンヴィーンと力の限り鳴いている、蝉だ。奴ら、負けるということを知らないのか。 ライブの音量は、でかい。曲の最中には、隣の人と話すのも一苦労といった有様だ。当然セミ達の鳴き声だって聞こえなくなるはずだ。だがどうやら、奴らは鳴き続けているらしい。自分の鳴き声が周囲に聞こえるかなど関係ない、ということか。鳴きたいから、鳴く。蝉、恐るべしだ。格好が良い。 後、会場中が聴き入る様な名曲の最中にもミンミン鳴いている奴らの姿に、人間の都合とは無関係に進行する、「自然」を見た。 にしても、良いライブだ。 2007年7月22日(日) 雨/晴れ 食いまくり呑みまくり浴びまくり
他人の赤児を抱く。
昨年末に式を挙げた友人宅に遊びに行った。海岸近くの住まいなので、夏の浜辺でバーベキューをやろうという素適企画だ。奥さんと旦那が準備で手が放せず、その間、三ヶ月になる娘さんを抱いている事になる。任せておけと言いたい。今こそ、姪で鍛えた『抱き』の技術を、思う存分発揮する時だ。 肘の内側でで頭を固定し、足の間からもう一方の手を入れる。覗き込むと、つぶらな瞳がこちらを向く。恐らく、まだあまり良く見えてはいない時期だろう。だが、人の顔は目で追うようだ。友人夫婦の視線がこちらを向いていないことを確認して、とっておきの面白顔をしてみせる。 しばらく、「何だこのけったいな生き物は」というような顔でこちらを見ていた赤児の顔が、歪み始める。やがて鳴り響く、おひゃーという鳴き声だ。抱き職人、敗北だ。 飛んで来た父親が抱いて、ぴたりと収める。 2007年7月23日(月) くもり ということでテーマ変更『What You Don't Have You Don't Need It Now』
アイルランドが生んだロック野郎四人組U2の歌に、「Beautiful Day」がある。アルバム「All That You Cant't Leave Behind」の冒頭を飾っている。シンプルで、そぎ落とされた音の連なりと歌詞は、『貴方が置いてこれなかった全ての物(dai訳)』というアルバム名が示す通り、そこに「あってしまうもの」を表しているようで、大好きだ。具体的な話をする。こんな歌詞がある。「What You Don't Have You Don't Need It Now」だ。日本語に訳せば「貴方が(今)持っていないものは、貴方に取って必要なものではない(dai訳)」位の意味だろうか。我々は生きているし、今生きているならば、今持っていないものは必要の無いものだ。道理だ。人生の折に触れ、そっと歌いたい歌だ。
財布を忘れた時なんかが、そうだ。財布を忘れた時なんかが、そうなんだ。 2007年7月24日(火) くもり じっと目を見る
最近発見した特技は、「遠い目をした自分の姿を鏡で見ることが出来る」だ。
鏡で、自分が、「遠い目」をしている所を見られるだろうか。恐らく無理なのではあるまいか。何故なら、「遠い目の自分」を見ようと鏡に目を向けた瞬間、それはすでに「遠い目」ではなくなってしまっているからだ。この難問を解決するためには、我が幼少の日々を語らねばならない。 小さい時、食卓の後ろにテレビがあった。ご飯を食べながらテレビを見ていた自分は、必然的に左右の視力がばらばらになった。左目が良く、右目が悪い。その結果、近くの物は右目で見る癖がついてしまった。 で、ある朝髭を剃っていて気が付いたのは、右目で目の前の鏡に映る左目を見ている時に、左目で見る自分の姿は、「遠くを見ている」ということだ。この特技は、どうだ。 書いてみて分かったのは、誰でも出来そうだということだ。 2007年7月26日(木) 晴れ 前夜祭。忘れ物。
男が一人汗まみれでフライパンを握っている。上半身は裸だ。下半身にはパンツ一枚だけを身に着けている。男は心底嬉しそうだ。何が彼をそうさせるのか。作っている料理か。
フライパンの中身は、何の変哲も無い炒め物だ。茄子とキャベツ、それだけだ。男はそこに茹で上がったばかりの麺を絡め、『男のスパゲティ気まぐれ風』を作ろうとしていた。この料理が、男を喜ばせているのか。いや、折からの暑さと換気の悪い部屋、そして強火の火から発せられる熱気のせいでびっくりする位汗を流している男だ。原因の一つである炒め物で、これ程までに嬉しそうな顔をするとは思えない。見よ、腰まで振っている。 よく見ると、男の傍らには完全パッキングされたザックが置いてある。ということは、男は腹を拵えてから出かけるつもりだ。それこそが、男の喜びの原因と見て、間違いは無い。何処だ。何処に行くんだ。 野外フェスに、行ってきます。 2007年7月27日(金) 晴れ MUSE
前方には巨大なステージが設置されている。ステージの左右にはスクリーンがあり、「俺とお前は生きるために戦う」と英語で歌うバンドの姿が映し出されている。ステージから百メートル程離れた場所には、音響コントロール用のブースが設置されており、その間は人で埋め尽くされている。皆、踊っている。踊っている人はそこだけではない。音響ブースの後ろに広がる広大な空き地はやはり人で溢れ返り、その中にもちらほらと立って体を揺らしている人の姿が目に付く。夜の闇の中、ステージからは色とりどりの光が放射され、スピーカーからは大音量で音が鳴り響く。異様な光景だ。例えば自分が野生の熊だったとして、この野外ステージの光景を見たとしたらどう思うか。何せ猿っぽい奴らが何万と、くねくねくねくねしているわけだ。帰って蜂蜜を舐めるしかないんじゃないか。
踊り狂いながらも、ふと醒める。脳の一部が、熊になる。 2007年7月28日(土) 晴れ/雨 イギー・ポップ
ステージ上のおっさんの言葉に、「ん?」と思った。
おっさんはもう六十歳だ。アメリカ人だが、日本で言えば定年退職の年齢だ。仕事をする部下に向かって「昨日の全米オープン、見た?やっぱウッズは凄いね、ぶれない。仕事もやっぱりああじゃなきゃいけない・・・・・・」などとゴルフと人生について語り出し、うるせーなーと思われていてもおかしくない。それが上半身裸で、歌い踊り狂っている。ステージから落ちたりしている。 そのおっさんが、曲の途中で妙なことを言い出した。どうも「さぁ来いよ。俺をフ○ックしろ」と言っている気がする。 その途端、ステージ上に観客が殺到する。 フェンスを乗り越え、警備を振り切り、何百という人がおっさんを目指して走り寄る。もみくちゃにされながら、おっさんは歌う。 もう何というか、「元気なおっさんだ」としか言えない。 2007年7月29日(日) くもり/雨 フェルミン・ムグルサ
スーパーで買った一パック七百八十円也の日本酒「鬼殺し」、そいつをお互いの紙コップに注ぎ、まずは乾杯だ。芝生に敷いたレジャーシートに座り、つまみ代わりに魚肉ソーセージを齧りつつ、「いやー今年も良かったねぇ」と話す。といってもまだ昼の十二時過ぎだ。まだまだこれからの時間だ。
そんな二人の耳に、いい感じのリズムが届く。どうやら前方のステージで、何か始まったらしい。ん、チャ、ん、チャと裏から入るギターのカッティングが心地良い。「踊ろうか」「踊ろう」そういうことになった。 前方に着いた時、すでにそこはやわくちゃだった。腰を振る人、腕を振るにいちゃん、足を振るねーちゃん、肩車されながらリズムに合わせてお父さんの頭を叩く子供、もう何でもありだ。当然、二人も踊りました。心ゆくまで飛び跳ねました。さっき呑んだ「鬼殺し」が体内にじんわり浸透していくのが分かり、もう頭はリズム一色になってゆきます。 2007年7月30日(月) 晴れ ワトソン君
「初歩的なことだよ」
自転車のホイールを外しながら呟いた。 「不可能を消去していった末残ったもの、それが如何に奇妙なものでも、それこそが真実なわけだ」 タイヤをずらし、チューブを取り出す。 「夜ぱんぱんだったタイヤが、朝になるとへなへなになっている。つまりこれは、パンクをしたということだ!」 チューブを膨らませ、耳を近付けて一周させる。シューという音が聞こえる場所がある。良く見ると、小さな穴が開いている。自分で自分の推理力の鋭さが恐ろしい。 「この穴こそが全ての元凶さ。さぁ、これから穴が開いたその原因をお目にかけよう!」 チューブの穴の位置を確認し、それに対応したタイヤの場所を探る。 いや、自転車のパンクを直すのは、推理小説に似ているなとふと思っただけです。 で結局、原因は不明だ。とんだ迷探偵だ。 2007年7月31日(火) 晴れ 昼の驚き
みんな、空(そら)を使え!
例によって元ネタは、糸井重里主催「ほぼ日刊イトイ新聞」だ。遠州弁では、とぼけることを「空を使う」というらしい。「何食わぬ顔ですっとぼける人」は「空使い」だ。「魔法使い」になるには、どっかの駅のなんとか番ホームから出る列車に乗って、夢と魔法とハリウッド特撮技術一杯の学校で学ばなければいけないらしいが、空使いにはすぐなれる。なるしかあるまい。 久々にヒットした言葉で、つい興奮してしまった。しかし「空にはそういう使い方があったのか」という驚きが、未だ収まらない。これからは立派な空使いを目指して、誠心誠意努力していこうと思う。 「書類の提出期限を忘れていた」なら、空を使え。「初キスで乳を揉もうとして怒られた」なら空を使え。「表紙を放屁と言ってしまった」なら空を使え。うーん、素適過ぎだ。 競馬の用語でもあるらしい。 |