2007年8月1日(水) 晴れ
現代語訳
かねてより、落語では『紺屋高尾』が好きだと公言していた。でもあれって、萌えだ。
浩(久蔵)は、今日も雑誌の切り抜き(錦絵)を見て溜息を吐く。「はぁー、ジェシー・・・・・・」そう、浩はアイドル、ジェシカ・ミューラー(高尾)に惚れていた。だが相手は世界のトップスター(吉原の太夫)、適う筈がない。見かねた友人(お玉が池)が、クイズ番組で優勝すればジェシーにインタビューが出来るという話しを聞きつけてくる。浩はその日から、寝る間も惜しんで勉強する(三年働き)。英語も習う。結果、晴れてジェシーとの対面が実現した。浩は、あまりの感激に泣き出してしまう。「あら、また来日した時に会いに来て」そう言うジェシーに、浩は「実は・・・・・・」と、事情を説明する。話しを聞き終わったジェシー、頬に伝う一筋の涙を拭いつつ、「結婚して」・・・・・・って、おい!あり得ない話しだ。もの凄いファンタジーだ。
男って、三百年間阿呆だ。
2007年8月2日(木) 雨/晴れ
下ネタ気分
おっぱいは、カーナビだ。
以前ある女の子から、「男にとっておっぱいとは何なのか」と問われたことがある。以来その答えを、ずっと探し求めていた気がする。雨の日も風の日も、うひょうひょ言いながら踊り狂っている時も、頭の片隅にはこの疑問が残っていた。「そうやってのんべんだらりと日を過ごしているがな、お前はおっぱいが何かについてすら、分かってないんだぜ」そう誰かに言われ続けてきた。誰にだ。そして今日やっと、とりあえずの、一つの、結論を出す。これは、「男にとって」ではないかもしれない。あくまで自分に限定しての話しだ。だが、あえて「自分にとって」を付けずに言おう。おっぱいは、カーナビだ。
いや、つまり「高性能に越したことはないけど、車を買う時にカーナビでは選ばんよ」ということです。
「高性能おっぱい」
何を言ってるんだ。お前誰だ。
2007年8月3日(金) 晴れ
夜に公園
言葉は、集団内で伝染するものではなかろうか。
ある会社に行った時、そこで伝染していたのは「ホントですか!?」という言葉だった。
恐らく、会社内の人達は意識していないと思う。しかしよく気を付けて聞いていると、そこかしこから「ホントですか!?」という台詞が聞こえてくる。あちらで電話に出ている人事部長が「ホントですか!?」と言ったかと思うと、こちらでは経理と掛け合っている営業が「ホントですか!?」と返す。
悪い意味で使われているわけではない。
例えば「ホントですか!?いやー嬉しいなぁ、さすが斉藤さん」といった使われ方をしていて、「ホントですか!?おかしいなぁ、そんなはずないんだけどなぁ」といった風に使う人がいないのは、聞いていて清々しい。
それでもだ。「いや信じてくれって。ホントなんだってばよ」と思う心が止められない。
言葉は集団内で伝染する。ホントに。
2007年8月4日(土) 晴れ
宵サル
川沿いの道を漕ぐ。蝉の鳴き声以外、妙に静かな白昼だ。
本日の脳内会議の議題は、「江戸時代に行ったらどうするか」だった。何かの拍子に、江戸時代までタイプスリップしてしまった。さて、どうしよう。
大阪夏、冬の陣に便乗するとか、田沼意次に成り代わるとか、そういうのはめんどいので止す。吉原など、今は見ることの出来ない風物を見たいとは思うが先立つものが入用だ。
そうだ、自転車屋をやろう。
多分鉄は高いので、木製自転車を作って売りまくろう。花のお江戸の八百八町を、木製自転車で疾走する人達、「どいたどいたぁぃ!」そんな威勢の良い掛け声だって聞こえてくるというものだ。おっとこっちの曲がり角では、出会い頭でぶつかった二台が、喧嘩をおっ始めやがった。いいね、やれ、やれ!!
太陽照りつける真昼に人通り少なく、頭は暑さで朦朧とするばかりだ。
2007年8月5日(日) 晴れ
誰もいない公園にて
「あちーなー、殿」「暑いねぇ」「ほんとあちーなー。殿、ジュース買って来て」「い、嫌だよ。外、暑いよ」「だから、冷たいジュース買って来てって言ってんの。コーラね。なんか侍っぽいやつな」「なんだよ侍っぽいやつって」「いーから!早く!」「だ、だいたいさぁ、そういうのって家臣の役目じゃないの」「はぁ!?お前何言ってんの。誰のお蔭で『殿』とか呼ばれてると思ってんの?俺たち家臣のお蔭だよ。あーあ、もうやる気なくなった。もー家臣辞めようかなぁ。あーあーー!」「わ、分かったよぉ、行くよぉ・・・・・・」「三分以内ね。三分過ぎたら腕立て」「えっ?」「あ、やばい。もう五秒経過。はい六、七、八・・・・・・」「え?ええ!?」「やばい、殿、やばいって。早く早く!!!」
今日はそういう曲を作りました。ノブ君とまこちゃんと、作りました。楽しかったです。曲の題名は『殿!ダッシュ!!』です。
そんでその後、ビール呑んで寝た。
2007年8月6日(月) 晴れ
無い袖
まずは、歌手の「Cocco」について聞いて来た友人からのメールに、「国土交通省」略して「国交省」のことを書いて返信している辺りから、おかしくなっている。
次にギターを取り出し、夜だからミュートをかけ小声で(この辺はまだ理性が残っている)歌いまくる。汗水漬だ。
一時間ばかり歌った後、ようやく満足してギターを置く。その後何故か洗濯をし出す。洗濯機が回り始めたのを確認して、今度はネット麻雀だ。もちろん大敗を喫するが、気にせずどんどん挑戦する。
座り込んでマウスを操る耳に、クィーンという音が飛び込んでくる。麻雀を止めて、ハンティングになった。部屋中の電気を点け、蚊を追い回しつつ、奇声を上げながらばっちんばっちん手を叩く。で、いつ寝たのかの記憶が無い。
一人酔っ払いの記録だ。朝には、しわくちゃの洗濯物を干す。
2007年8月7日(火) 晴れ
自由研究は、ちょっと迷う
毎年、震える程怒っていた。いや今も、考えれば考える程腹が立つ。自分でもどうかしているんじゃないかと思う。でも、我慢ならない。夏休みの宿題って、どういうことだ。
夏休みに宿題を出すのは即刻中止にすべきだと言いたい。だって「休み」だ。「休み」の時に、「勉学」を「強要」するとはどういう神経だ。その癖、奴ら、二言目には「けじめを大切にしなさい」などと抜かしやがる。けじめがないのはどっちだ。
どうして「休み」の時にまで、精神的な圧迫感を加えようとしたがるのか。恐らく、慣習でしかない。無駄だ。百歩譲って、学力向上のためとしよう。三十一日、一日だけで片付けるもので、学力などつくものか!
全国の小学生諸君!放棄せよ!宿題など放棄せよ!そして遊べ!心ゆくまで真剣に遊べ!!君達にはその権利がある!!
その代わり、「夏休み、つまんなかった」なんて言ったらぶっ飛ばす。
2007年8月8日(水) 晴れ
諏訪湖に住む竜
問題です。西東京市南は、京都から見てどっち?正解は南東だ。
西東京市南、こういった婉曲な表現は好きだ。歴史があり、良いと思う。まず京都の東に東京が出来る。やがて東京は首都として発展し、存在感を増す。その東京の西にある街が、ある時西東京市と呼ばれるようになる。必然として、西東京市の南の地区は「西東京市南」になるわけだ。
以前、とあるスポーツのチームを結成した。チーム名を決めようと喧々諤々、二時間に渡る議論をして、結局決定した名前は「脱ドム宣言、何故今グフなのか」だった。田中康夫元長野県知事が全盛の頃で、彼の標語「脱ダム宣言」にひっかけたわけだが、捻り過ぎてもはや関係者以外、誰にも分からない。でも、好きな名前だった。この名前を聞く度、あの二時間の議論を思い出す。婉曲万歳だ。
西東京市西、「それは京都のことじゃないのか」そう言われても、それもありだ。
2007年8月9日(木) 晴れ
タイヤ代えて気持ち良く
夜、茹でたてのスパゲティに卵を落としウスターソースをかけただけという優雅な夕食を摂っていると、宇宙人と目が合った。
すわ!いかん!!このままでは誘拐されて、左手首の内側に正体不明の金属を埋め込まれてしまう!と腰を上げかけたが、考えて見れば六畳半の己の部屋に、宇宙人など入り込む余地すらない。よくよく見れば、それは蛍光灯の入っていたダンボールだった。
家庭用の直管蛍光灯を思い浮かべて欲しい。それを電極の方、つまり見える面積が最小になる方から見てみる。するとどうだろう。丸い輪の中にさらに二つの丸い電極が見えるはずだ。ダンボールには何故か、その電極の絵が描いてあった。この三つの丸が、宇宙人の輪郭と、二つの大きな目に見えたわけだ。
事情が分かり安心して座り直したが、今度は別の不安が頭を過ぎる。「遂にどうかしちゃったんじゃないか?」がその不安だ。
仕方も無く、冷蔵庫を開けてビールを探す。
2007年8月10日(金) 晴れ
先取り
片道一時間、往復二時間の距離を自転車で通っていることが、ばれた。その瞬間から『自転車の人』になり始めている。
暑さのせいなのは分かっている。挨拶が「おはよう」「こんにちは」から、「暑いね」になっている昨今だ。二時間も汗水漬で自転車を漕ぐ印象は強い。だがそれにしても、全てが自転車に結び付けられるようで、困る。
例えば「夏フェスに行って来た」と言ったとしよう。すると返されるのが「自転車で!?」だ。夏フェスよりもまず、自転車かどうかが問題になる。何せ『自転車の人』だからだ。いわば「従属要素の侵食」とも言うべき現象が起こっている。何よりもまず『自転車』があり、そこに『人』がぶらさがっているわけだ。お土産を渡したとしても、「自転車で持って来たお土産」だ。
「昨日フットサルやったんですよ」「自転車で!?」いずれはそうなる。きっとそうなる。少し楽しみでもある。
2007年8月11日(土) 晴れ
曖昧な日本語の私
昨夜友人と呑んでいて、『老人と海』の話しになった。改めて思ったのは「アメリカ小説にはやたら数字が出てくる」だ。「千五百ポンドはこえるという代物だ。(中略)三分の二とれるとして、一ポンド三十セントで売ると、いくらになるかな?(福田恆存訳)」じゃない。答えは三百ドルだ。算数の問題か。
ここから「アメリカは移民の国で、各民族共通の『単位』で記すことが・・・・・・」なんて方に行きたくもなるが、そうではなくて今日は数字だ。アメリカ小説には数字が多い。ならば日本の小説に数字を導入すればアメリカっぽくなるんじゃないか。さらには、各人が読んで想像する数値を入れれば、小説の印象が個人でどう違うかまで分かるんじゃないか。
「国境の全長二十三キロのトンネルを抜けるとそこは県庁所在地の降雪量累計が二メートル五十センチの地域だった」ご存知『雪国』に、自分の想像する数字を入れてみた。こうして見ると、とりあえずトンネル長過ぎだ。
2007年8月12日(日) 晴れ
会う
喉の痛みで知る。昨夜は死にかけていたわけだ。
ほろ酔い気分というところまで呑んで、友人と別れた。ただし、うどんと天丼のセットを最後に食べている。お腹の方はパンパンだ。
帰りの道すがら、それでも何か物足りない気がしてくる。もう酒も飯も欲しくない。しかし炭水化物のダブルパンチが重過ぎて、どうもすっきりしない。そうだアイスだ。冷たいアイスでさっぱりしよう。そう思い付いた。
で、コンビニに入ったまでは良かったが、げに恐ろしきは酔っ払いだ。その後、立て続けに三本、棒アイスを食っている。限度と言うものを知らないのかと言いたい。
朝起きると食道に異物感と痛みがある。最初は分からなかったが、どうやら昨夜食ったものが喉まで出て来ていたらしい。幸いその先まで行かなかったようで、窒息は免れた。
アイスでだって、人は死ぬ。胃酸の強力さと、己の阿呆さを噛み締める。
2007年8月13日(月) 晴れ
一日ずらし
フットサル仲間とパスを回して遊んでいる。内の二人が、旅の話題で盛り上がっている。
「今度、萩いくぜ」「いいねぇ」「後、石見銀山」「お、世界遺産!いいねぇ。俺、熊野古道なら行ったけどね」「熊野古道かぁ。あそこも行って見たいね。すげー神秘的だっていうじゃん」「いや、良かったよぉ。つっても、ちょこっとしか歩いてないんだけど。あ、でも那智の滝はすごかった」「え、何それ?」「いや、すごい滝があるのよ」
ふらふらどっかに彷徨い出ることだけは、得意だ。那智の滝の光景を思い出しつつ、話に一枚噛む。
「行った行った。あそこは、すごいね」「お?だよね。『でかい!』って感じだよね」「そうそう、女の人のあそこに見えるんだよね」「え・・・・・・?」「そうなんだ・・・・・・」
良かれと思って出したパスは繋がらない。これか。これが上手い奴との違いか。
後、もてる奴との違いか。
2007年8月14日(火) 晴れ
映画デー
人の死ぬ時に立ち会ったことはない。だから分からないのが、「言い残してガクッ」だ。
「私、幸せでした・・・・・・」「正子?正子ぉ!?」というような死に方を、テレビドラマや映画などで時々目にする。だけど人は、本当にこんな死に方をするだろうか。
もし本当にするなら、大変申し訳ない。ただ、どうにも釈然としない。生命って、もっとしつこいもののような気がする。道端に落ちている蝉を、死骸だと思って蹴ると、びっくりする位の大きさで鳴き出すことがある。あの感じが、生命のしつこさだと思う。
後、周りの人間の対応も納得がいかない。「正子ぉ!!」じゃなくて、人工呼吸の一つでもしたらどうだと、どうしても言いたくなってしまう。「あの時は受けたなぁ」「私も必死だったのよ」「わはははは、『必死』じゃねーよ」といったような後日談を作る位の気概で、行動するべきじゃないか。
現実は、どうなのか。
2007年8月15日(水) 晴れ
馴染みつつあり
おっさんにとっては、扉を開けると肩で息をした汗達磨がいたわけだ。
約一時間半の道を、仲間との待ち合わせ場所まで急いだ。連絡してあるとはいえ、集合時刻に遅れている。移動手段は、もちろん自転車だ。気合を入れてペダルを踏む。
途中、異常に頑張るママチャリのおねーちゃんとデッドヒートを繰り広げる。こちらは一応スポーツタイプの自転車だが、おねーちゃんはタンクトップの背中が汗でびっしょりになるのも構わずに、立ち漕ぎでぐいぐい坂道を迫ってくる。もの凄い気合だ。抜きつ抜かれつしながらも、平地でのスピードにものを言わせて何とか勝ち越す。待ち合わせ場所の、夜にはお酒も出す喫茶店に辿り着いた時には、汗が止まらない。店の前に立つと、ウェイターのおっさんが中から扉を開けてくれたわけだが、さぞびっくりしたことと思う。
で、その店でしているのが、自転車旅行の計画だ。どれだけ乗れば、気が済むのか。
2007年8月16日(木) 晴れ
準備日
久しぶりに『駄象』を見た。何だかちょっと嬉しい。
自転車で街中を走っていると、交差点の手前に一軒のダイビングショップがある。その壁に書かれていたのは、こんな駄象だった。
「ダイビングはパンツ一枚じゃできないんだゾウ」横には、ダイビング用具一式を身に付けた漫画チックな象の絵だ。見事な駄象だ。
人生の初期段階では、駄象は結構な頻度で登場する機会があった。「象だゾウ」「象なんだゾウ」まだ言葉を覚えて間もない頃、こんな駄象達に、確かに出会っていたはずだ。
だがしかし、大人になるに連れ、駄象達は姿を消していく。「つまらない」以前の問題で、意識に上ることすらなくなってしまう。それは寂しいことだ。たまには、駄象がいたっていい。壁に大書きされた象の絵に、そう気付かされた。
ただ、そのまま赤信号の交差点に突っ込みたくはなる。
2007年8月17日(金) 晴れ
何セル?
机の上に何かがひょいと投げ出された。「ほい、これうちの田舎土産」そう言ってOさんは忙しそうに去っていった。見れば四国の銘菓、一六タルトだ。懐かしいなぁと思いつつ、包装を破いて一口齧る。その途端、忘れていた愛媛の思い出が、もわっと一遍に甦る。
映画「がんばっていきまっしょい」を見ておもむろに「青春十八切符」を握り締めたのは十年近く前だ。気が付くとロケ地巡りをしていた。映画に出てきたというだけで、他には何も無い海岸でテントを張った。雨が降っていた。その雨の冷たさまでも思い出す。妙に現実感がある。他にも、すでに廃業していた旅館に押し掛けた時の失礼っぷりなど、今考えれば冷や汗ものだ。何を考えていたのか。
もうこうなったらいっそ、そういう小説でも書こうかと思う。お菓子を一口齧ると、過去が一気に甦る。なかなか良い出だしだ。題名は『失われた恥を求めて』でどうだろう。
とりあえず、文学に謝れと言いたい。
2007年8月18日(土) くもり
くまビール
峠を越え、体力の限界の果てに、新しい日本語を発見する。「つぶみ」ってなんだ。
見た目はビールそっくりのノンアルコール飲料「こどもののみもの」を作っているのは、サンガリアという会社だ。発想が面白く、なかなかやるなとは思っていたが、同じ会社から「つぶみ」シリーズが発売されていたとは知らなかった。「つぶみオレンジ」や「つぶみマンゴー」がある。言いたい事は良く分かるが、「つぶみ」は日本語にはないだろう。
自転車旅行の初日だった。名物を食い、観光もし、浮かれ気分で出発したのは昼の一時だった。午後五時、鬼のような上り坂の峠を越えた後の一行に覇気はない。全員ふらふらで、山道の途中にある酒屋の前で休憩になった。また上り坂になっている道を前にして暗澹となりながら、何の気なしに、並んだ自動販売機を見ていて、「つぶみ」を発見した。語感の素適さに、頭が新鮮になる。
飲もうとは思えない。
2007年8月19日(日) くもり/晴れ
人生最大の下り
「今日からお前、『バカンス』な」そう言われた。まったく、不本意極まりない。
昔の刑事ドラマでは、各キャラクターに渾名があった。それは例えば「ジーパン」だったり「山さん」だったりしたそうだが、あれは皆に渾名が付いているから許されることであって、例えば、渾名が付いているのが一人だけだったら、それは単なる『変な奴』だ。
「山田、安達。お前らは付近の聞き込みだ。木田と田辺は黒龍会をあたれ。俺は萩野とガイシャの近辺を洗ってみる。あ、それとバカンスは拳銃の出所を探ってくれ。では解散」「ちょっと待って下さい。俺だけ『バカンス』って・・・・・・」「以上だ。解散」そんな刑事ドラマ、嫌だ。
自転車旅行二日目、霧も濃い山道を登ろうという時に、『バカンス』という渾名を付けられた。何で俺だけ渾名なんだ。サーフトランクスにTシャツ、足元はサンダルという格好で山道に佇みながら、そう思った。
2007年8月20日(月) 晴れ
また是非
イメージは先行する。牛タンはタン塩だ。
自転車旅行最終日に、仙台まで辿り着く。ゴール地点だ。最後は、名物「牛タン」を食って終わりにしようじゃないかという計画なわけだ。ところがこの計画に、さほど魅力を感じない自分がいた。
自転車でほど良く腹を減らし、牛タンにビールで乾杯する。最高じゃないか。そう仲間達が盛り上がる中、一人乗り気ではなかった。何故なら、『牛タン』のことを、舌、丸々一本が出てくるステーキのようなものだと思っていたからだ。肉はもちろん大好きだが、舌一本を食い切る自信はない。おまけに何だかグロテスクだ。そう思っていた。
午後四時、半端な時間の中、やっと開いているお店を見つけ、出てきた『牛タン』を見てびっくりする。これは、タン塩じゃないか。しっかり切り分けられた肉が、こんがりと焼き上がっていた。全然、舌ではない。
ビールが進む。牛タン、最高だ。
2007年8月21日(火) 晴れ
爆発語
自分の中の「全国太郎ランキング」において、岡本太郎が猛烈な上昇を続けている。「もりもりっと」のせいだ。
岡本太郎著『自分の中に毒を持て』(青春文庫)を読んだ。芸術家、岡本太郎による、人生越し方指南といった内容だ。時々「お前さん?お前さん!?」と言いたくなる部分もないではないが、総じてさすがだ。無茶苦茶を言っているようで、妙に納得させられる。
しかし内容もさることながら、文中時々出てくる一つの表現が気になってしょうがない。『もっと徹底的に自分と闘ってみよう。すると、もりもりっとファイトがおこってきて・・・・・・』この「もりもりっと」がどうにも頭から離れない。
久しぶりに見た言葉だった。だが、妙に新鮮だ。凄まじくパワーがある。
自分でも使ってみようと、密かに企む。「腹減ったな。スパゲティ食いたいな。もりもりっと」そんな具合だ。何か、違う。
2007年8月22日(水) 晴れ
一人ライブ
歌の歌詞を、間違って覚えていることが時々ある。歌詞カードを見て、長年間違っていたことに気が付いたりするわけだが、何だか間違った方に愛着が湧いており、味があるように感じられる時もあるから、厄介だ。
『くるり』というバンドの歌に『ランチ』がある。三拍子の静かな曲で、独特な哀しさが感じられ、好きだ。その歌詞を間違って覚えていた。正しくは『久しぶりに珈琲をたてよう/未来の事を話したい』だが、これを『久しぶりに「珈琲をたてよう」位の事を話したい』だと、ずっと思っていた。
「なるほどなるほど、日常的なコミュニケーションを欲しているわけか」と思っていたのが一転、「未来か!そりゃ重要だ!」に変わったわけだ。しかし未だに、この歌を口ずさむ時は後者の方で歌ってしまう。例えば、自転車に乗って全力疾走しながら、「くらいのぉー♪」と絶叫してしまう。
いやー。振れる袖があるのは、嬉しい。
2007年8月23日(木) くもり/晴れ
何食わぬ顔
人間は、単純だ。岡本太郎著『自分の中に毒を持て』を読んだ影響が、覿面に表れ始めている。
『自分の中に〜』の終盤は、太郎による恋愛論だ。曰く「それはある一瞬から始まる。/目と目が最初に出会った瞬間、何かを感じ魅きつけられる」といった、魅力的な文章に満ち満ちている。
パソコンのキーをかちゃかちゃ叩きながら、そんな言葉を思い出していた。するともう、「魅きつけられ」た気に陥ってしまっている自分がいる。とある女性を思い出し、その出会いを思い出し、目と目が合った瞬間を思い出す。そうか、あれは恋だったのか。
妄想はどんどん膨らみ、デートに誘うメールの文言まで考え始めている。「今、パソコンのキーを叩いていて、君の事を・・・・・・」書くな書くな。
影響受け過ぎだ。純情可憐な乙女だ。
顔はおっさんだ。
2007年8月24日(金) くもり
後、ホワイトストライプス「ICKY THUMP」もかかりまくり
最近、昼間にラジオを聞く環境にいる。かかっているのは毎日同じ一つのFM局だが、この一局が問題だ。どうやら、デジタルオーディオプレイヤーの中身を見られているらしい。好きな曲ばかりがかかって、困る。
サザンや、スピッツ「夏の魔物」といった曲がかかるのは、定番だし夏だしで良く分かる。クラムボン「サラウンド(昔、携帯のCMで使われていた)」や、ボブ・マーリー「NO WOMAN,NO CRY」、オアシス「WHATEVER」といった辺りも、まぁマイナーに定番だろう。しかしザ・ラーズ「THERE SHE GOES」やナタリー・イン・ブルーリア「TORN」辺りで「ん?」と思い、タテタカコ「えのぐ」が流れるにいたって確信した。デジタルオーディオプレイヤーの中身を見られているわけだ。
全く失礼な話しだ。見るなら見ると言ってくれれば良い。昼間から踊り出しそうになりながら、そう思う今日この頃だ。
2007年8月25日(土) 晴れ
出発前
テレビをぼんやり見ていると、夥しい数の女の子が競技場らしき所に出てきて、踊り始めた。チアリーディングという奴だ。「お前は、何だ!?」と、いきなり哲学的に問われてもしどろもどろになってしまうが、「お前の対極にあるものは何だ!?」と問われた場合、それはこのチアリーディングだと、迷わず答えられる自分がいる。
まずあの「セイッ!」という声が出せない。長淵剛をシャウトしながら自転車に乗っている身だ。物理的に出すことは可能だろう。だが精神的に駄目だ。どうしても恥ずかしい。皆一緒に、「セイッ!」なんて言えない。
後は踊りだ。絶対に、皆が整然と踊る中自分の居場所を求めて右往左往する。その姿が目に浮かぶ。何度練習したってそうなる。
自分に対極なもの、それがチアリーディングだ。でも密かに、憧れたりもするのです。
蕎麦屋のテレビを見ながら、小声で「セイッ」と言ってみる。
2007年8月26日(日) 晴れ
元ネタ分からない人は、ごめんなさい。
「ユパ様、この子私に下さいな」そう問われて思わず「う、うむ。構わんが・・・・・・」と鷹揚に頷きかけたが、慌てて「あげるかい!」と打ち消した。何故なら、友人が乗っているのは、自分のカヌーだ。
夏の川面をたゆたう。カヌー経験は二回目となる友人は、自艇を購入しようかどうか迷っているようだった。遊び相手を増やそうという目論見もあり、さり気なく「買い」の方向に話しを持っていこうとしていたが、友人の突然の逆襲に思わず負けそうになってしまった。宮崎駿を使うとは、卑怯極まりない。ユパ様と言われた日には、あげないわけにはいかないじゃないか。あげないけど。
「カイにクイ!私を覚えてる?」友人の暴走は続く。あらぬ方を見ながら、二匹のトリウマに頬擦りする真似だ。あげないよ。
終いには、乗っているカヌーを「テト」と呼び出す始末だ。いやだから、あげないってばよ。
2007年8月27日(月) 晴れ
も
宮沢章夫が好きなわけだ。それはつまり、「資本論という難解な本を読む姿を一冊の本にする」(「『資本論』も読む」WAVE出版)というような、『視点』が面白いと思うからだ。あまり一般的にはなり難い。
『一般的にはなり難い』という括りで見ていくと鴉紋洋も好きだし、音楽で言えば空気公団なんてバンドもある。いずれも自分の血肉となっているような作品を作っている。
例えば江戸時代なんかにも、『一般的にはなり難い』作家、音楽家が、当然いたと想像する。「やっぱ、『曽根崎心中』最高だよね」と言われる中、せっせとマイペースに「ある日瓦が頭に落ちてきて全てのものに『も』の字が見えるようになっちゃった男の話し」を書いてる人だっていたかも知れない。そういうのが読みたいと、ふと思った今日だ。多分残ってないだろうけど、読みたい。
『ラスコーの壁画』を横目で見つつ描かれたミミズの絵、そういうのだって見たい。
2007年8月29日(水) くもり
夢を見る前に、現実を見よう♪By真心ブラザーズ『素晴らしきこの世界』
流れてくるラジオを聴いている。話題は、「世界の富豪のお金の使い方」だ。皆まだまだ甘いなと言いたい。ブルネイの国王が誕生日に国民へプレゼントをしている以外、大した使い方をしてない。大概、女か株だ。金の使い方というものが分かっていない。使い切れない程の金を持ったらどうすればいいか。
やはりロケットだろう。宇宙だ。と言ってももちろん、「無重力を体験する」などというちゃちな話しではない。そんなもの一億二億のはした金ですぐ叶えられる。自分でロケットを飛ばす。これに尽きる。ロケットの中には蘚苔類やら線虫やらクマムシやら、極限環境に強い生物をしこたま積み込んでおく。こいつを来る日も来る日も火星に向けて飛ばすわけだ。やがて人類が火星に降り立つ時にはそこに線虫とクマムシがうじゃうじゃうじゃと・・・・・・。NASAに怒られたら止めます。
月末に届く光熱費その他の請求書を前にして、宇宙に思いを馳せる。
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