2007年9月1日(土) くもり
おでかけ
 車を運転しつつ、助手席の姉と話す。
「ちょっと寒くなったわね」
「ねぇ」
「・・・・・・」
「一時期は四十度とか言ってたのにねぇ」
「そうね」
「・・・・・・」
「体温より上だったのね」
「だねぇ」
「・・・・・・」
「体温より上ってことはさぁ、外にでたら一日中誰かに引っ付いていられるのと同じってことだよねぇ」
「そうね」
「・・・・・・」
「上下左右、発熱したトモ(姪、一歳十一ヶ月の名前)が張り付いているわけね。気、狂いそう」
「・・・・・・」
 嗚呼、姉だ。

2007年9月3日(月) 晴れ
嵌り作家
「なるほどな」
 文庫本をパタリと閉じ、ほくそえむ。どうやら分かってしまったようだった。「青春物」について、分かってしまったようだった。
 読んでいたのは高野秀行著「幻獣ムベンベを追え」(集英社文庫)だ。コンゴはテレ湖にいるという怪獣『ムベンベ』を探しに行った、早稲田大学探検部の記録だ。すこぶる面白い。顛末は読んでみてのお楽しみだが、この本は最後、「その後のメンバー」で終わっている。映画「スタンドバイミー」が、少年達の「その後」を語る所で終わるのを見て以来どうも怪しいとは思っていたが、やはりそうだったのか。「青春物」の定義は、最後に登場人物の「その後」を語る事なわけだ。つまり逆を言えば、登場人物の「その後」さえ語れば、何でも「青春物」になる。
 「エロゲーを作る顛末とメンバーのその後」面白いかと思って書いたが、本当に「青春物」になりそうで困る。やはり「その後」だ。

2007年9月5日(水) くもり
熱帯
 蟻ときたら大したもんだ。
 もう一週間以上前になるが、ジャムを塗ったナイフをまな板の上に置いたことがあった。ナイフは洗ったが、迂闊にもまな板はそのままにしてしまい、朝気が付くと蟻が二三匹集っていた。以来、まな板付近に蟻が出る。
 もちろん、もうジャムは無い。何もないまな板の上を、小さな蟻がちょこまか動き回っている。つまり蟻達は、一週間以上も前のことを集団で記憶していて、またジャムがあるかもしれないと探しにくるわけだ。何故「蟻達」と複数形になるかといえば、まな板に出てきた蟻は「帰らぬ蟻」になるからですね。一体蟻達はどうやって記憶しているのか。
 蟻達の間では、『伝説の地』と化しているのではないかと想像する。「あの人間の家の中にはまな板という場所があり、そこにはジャムという素晴らしい宝が眠っている」と語り継いでいる。蟻の長老あたりがだ。
 こうして今日も、勇敢な若い蟻が帰らない。

2007年9月8日(土) 晴れ
龍虎図/雪村
 良く行くハンバーガー屋の二階席からは、商店街が見下ろせる。休日、狭い商店街の道路を行き交う人は多く、興味津々で眺める人間模様だ。
 ゲームセンター前のUFOキャッチャーでは、若い女性三人とおっさん一人という集団が、楽しそうに騒いでいる。しかし良く見ると楽しみ方にも差があって、人形が取れた取れないで楽しそうにしているのは女性三人組、おっさんはせびられてお金を払うだけだ。それでも楽しそうにしている女性陣を見ているだけで、おっさんも楽しそうだ。二割くらいは、寂しそうだ。
 かと思えば、自転車に跨ろうとした兄ちゃんが履いていたサンダルを派手にふっ飛ばし、八百屋の親父のケツにしたたかにぶつけている。さぁ兄ちゃん、交渉の腕の見せ所だ。
 ポテトを食いつつ手に汗を握る。地デジも、プラズマフラットハイビジョンもいらないやいと、強がる。

2007年9月10日(月) くもり
降られる
 真っ暗な地底を疾走しながら玉を蹴りたくなっている、そんな午後だ。
 地下鉄に乗ってやることがなかった。
 まず景色が見えない。本も持ってこなかったし、周囲の広告も特に気を惹かない。午後三時過ぎの車内は人もまばらで、人間観察も飽きてしまう。しばらく通り過ぎるトンネル壁面の模様を眺めた後、昨日のフットサルの回想などを始めていた。
 覚えているのは断片的な場面だ。六試合をやったわけで結構な時間走り回っていたはずだが、印象的な部分しか思い出せない。左サイドを相手と競り合いながら上がっていってシュートを外したり、コーナーキックで良いボールが来たのにシュートを外したり、ゴール前で零れ玉が出た時シュートを外したり、そんな場面達だ。
 ムキーと叫びたくなる。練習しなきゃだ。
 シュートを打ちたい男を乗せて、地下鉄は走る。

2007年9月11日(火) くもり
わかめ煮
 まぁ髭を剃るわけだ。毎日々々、じょりじょりと、鏡の前で、清々しく、大胆に、かつ繊細に、注意深く、動から静に向かって、躍動感に溢れ、神は細部に宿りつつ、飽きもせず、こつこつと、時折微笑んで、猪木の真似も挟みながら髭を剃る。何だコノヤロウ。
 で、髭を剃る事とはあまり関係ない話しだが、鏡を見ていて気が付いたのは、自分の体でも、分からない事だらけだということだ。上唇の真ん中にあるくぼみって、何だ。
 最初に浮かんだのは、鼻水のガイドラインという線だった。鼻水が出た時に飛び散らないよう、溝になっているのかもしれない。だがそうすると、行き先は口だということになる。いくら何でもそれはあるまい。
 口を大きく開けて笑う時などの、「笑い代」かとも考えた。口が開く分使う肉を、余計に残してあるわけだ。
 鏡の前で一人にんまりと笑ってみる。五秒眺めて、「違うな」と悟る。

2007年9月13日(木) くもり晴れ
理由はある
 川端康成著『眠れる美女』(新潮社文庫)を読んでいる。G・ガルシア・マルケス『わが悲しき娼婦たちの思い出』(新潮社)からの流れだ。ノーベル文学賞繋がりともいえる。ノーベル文学賞って、馬鹿なんじゃなかろうか。
 『雪国』と『伊豆の踊り子』のみを読んで、川端康成を分かった気になっていた。噴飯ものだ。『眠れる美女』は、「睡眠薬で眠らされた裸の女の子と一緒に寝る(だけ)」という娼館に通い詰める老人の話し、併録の『片腕』にいたっては、冒頭いきなり女が「ハイ」とばかりに片腕を渡してきて、その片腕と一夜を過ごすという内容だ。わははは、何じゃそりゃ。「娘は私の好きなところから自分の腕をはずしてくれていた」じゃない。
 「満九十歳の誕生日に、うら若い処女を狂ったように愛して、自分の誕生祝いにしようと考えた」のマルケスといい、この人達は何を書いているのか。ノーベル賞恐るべしだ。

2007年9月15日Sat. 晴れ
アイ・コンタクト

 キウイを食べると喉が痒くなる男と、タイ料理を食べている。タイ料理を食べながら、「キウイを食べると喉が痒くなる話し」を聞いている。
 キウイを食べると喉が痒くなる男は、キウイを食べるとアレルギーで喉の辺りが痒くなるらしい。その事をずっと、普通の事だと思っていた。とろろが口の周りに付くと痒くなる。それと同じ様に、全人類共通で、「キウイという果物は食べると喉が痒くなるものだ」と思っていたそうだ。
 小学校を卒業し給食で出されるキウイを食べる事がなくなると、キウイを食べる機会は激減した。だから、大学生の時にある日ふと気が付き「キウイって、食べても痒くならないよね?」と母親に聞くまで、男は「キウイは食べると喉が痒くなる果物だ」と思い込んでいたそうだ。
 唐辛子が効いたタイ料理で口の中を燃えるようにしながら、そんな話しを聞いている。

2007年9月19日Wed. くもり
地元の車窓から

 混雑した電車内で青年が自己啓発書を読んでいる。肩越しに一緒に読んでしまい、凹む。
 まず「目標を立てよう」ときた。どうやらその自己啓発書は山登りに例えることが好きなようで、まず「登る山を決めよ」と書いてある。道理だ。それがなくては始まるない。
 だが、次に続く文章で、精神は暗黒面に突き落とされる。「必要になるか分からないものを準備するのは、時間と労力の無駄です」と書かれている。思わず「はい、すみません」と謝って東北東に逃げ出したくなる言葉だ。初めての野外泊にパジャマを持っていった、遠い昔の事も思い出す。
 他にも「十年先の自分を思い浮かべて」や、「あなたの今の環境を分析してみましょう」といった言葉に、打ちのめされながら電車は走る。思えば遠くに来たものだ。
 青年はといえば、おもむろにマーカーを取り出し「それが登山の達人です」という言葉に、黄色い線を引き始める。それはどうだ。

2007年9月22日Sat. 晴れ
早朝疾走

 夕方六時から呑み出して、解散したのは朝の五時だった。お決まりの、呑み屋→徹夜カラオケという流れだ。久しぶりに集まった友人達で、内の一人と実は同じビルで働いていることが判明し大盛り上がりしたり、婚約を祝ったり、他人が歌っているラルク・アン・シェルに無茶なハモりを入れたりしていたのは、鮮明に憶えている。だがどうしても思い出せないのは、いつ呑み屋からカラオケ屋に切り替わったのかだ。
 多分、時空を越えていたのだろう。
 もし連続した時間軸に位置する事象なら、これ程までに記憶がないわけがない。懐かしい友人達が集まり、皆の気持ちが一つになった時、一夜限りの奇跡が起こった。そう考えたとしても、アインシュタインだって許してくれるさ。
 「日本酒とワインをちゃんぽんで呑み始めた時、やばいとは思ったんだよねぇ」唯一素面だった男はそう語る。一体何の事やらだ。

2007年9月23日Sun. 晴れ
カラオケ尽くし

 うどん屋の前にはおばちゃんだ。こ洒落たうどん屋の店先に、おばちゃんはいたわけだ。
 飯でも食って帰ろうか。そういうことになった。野郎三人で街をふらついている時だった。刻限があり、酒を呑むのには中途半端な時間が三人の前には横たわっていた。近くに以前行ったことのあるうどん屋があるのを思い出し、そこに向かうことにした。
 店内に入ろうとして「いっぱいだよ」の声が飛ぶ。見ればテラス上の待合にいる家族連れと思しき一団の中、六十ニ三といった風なおばちゃんがこちらを向いている。どうやらその一団も席が空くのを待っているらしい。時間も迫っているし、三人は「どうも」と言ってうどん屋を後にした。
 その背中に歌が届く。「うぇいそー♪」独自な節回しで歌っているのはおばちゃんだ。良い声だ。三人の足は速まるばかりだった。
 後で友人に「ウェイトソーロング」だったと解説を受けた。どれだけ待っていたのか。

2007年9月30日Sun. くもり
ケーブルカー

 男二人、車の中でジュディマリを歌う。
 ジュディ・アンド・マリーはロックバンドだ。女性ヴォーカル一人と、ギター、ベース、ドラムスの三人の男性メンバーで構成されていた。一時、中学高校の学園祭ではこのバンドのコピーをやる奴等が、必ず一組はいた時代があった。女性ヴォーカルの可愛さと、楽曲の確かさがそうさせたのだろう。
 車は山中を快適に飛ばしていく。これから温泉に入ろうという寸法だ。秘湯という名に相応しい、緑が濃い山の中へ入って行く。本当にこんなとこに温泉なんてあるのかと言いたくなる程だ。源泉掛け流しだという噂だ。お肌もすべすべになるというものだ。
 「か・え・るちゃーんも、う・さ・ぎちゃーんも、わーらーあって、く・れ・る・のぉー♪」車内では、野太い絶叫が響き渡っている。
 野郎二人でジュディマリを歌い、お肌をすべすべにさせて何が悪いと言いたいわけだ。




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