2008年1月1日Tue. 晴れ
明けまして、おめでとうございます

 友人宅の玄関前で、携帯電話を鳴らす。着いたぜ、今行く、そんなやり取りを交わした。
 気持ち良く晴れた正月らしい夜空の下、少し待つ。小学校からの付き合いだ。ここでこうやって待つのは何回目位だろうと、考える。「あーそびーましょー」と叫んでいた時と、やっていることは変わっていない気がする。
 程なくして友人が出てきた。「おめでとうございます」「どーも、おめでとうございます」何が目出度いのかよく分からないまま、律儀に挨拶を済まし、近所の酒場へ向かう。
 カウンターに座り、新年初ギネスで乾杯した。うぐうぐうぐと、苦味と冷たさが沁みていく。そんな年始めだ。
 その後「宝くじが当たったら、カウガールの店『カウカウ』を開く」という、マスターの今年の目標を聞く。「カウガールたまんないよね」熱弁を振るうマスターだ。そんな年始めだ。カウガール、たまりません。
 今年もよろしくお願いします。

2008年1月6日Sun. 晴れ
静けさや

 親父と二人きりでいる午後、鼻の下から血を流した。すんすんと鼻を嗅ぐと、空気に鉄分の臭いが混じる。右の人差し指で鼻下を擦ると、指に血が付く。思わず「血がでた」と呟く。
「鼻血か?」
 正月特番のゴルフを見ていた親父が、最近は耳も遠いのに、そういうことだけは聞きつける。
 「いや、さっきヒゲ剃った時に切っただけ」
 そう答えたわけだが、この微妙な恥ずかしさは、何だ。
 親父は何も言わず、女性ゴルファー対決を見つづけている。こちらはこちらで、何もない素振りで、予定通り、ジョギングに出た。
 年賀状を出しにポストへ向かう。走り抜ける住宅街には車通りがなく、正月特有ののんびりさが良い感じだ。
 ハッハッと白い息を吐きつつ、鼻下を拭うと、もう血は乾いている。

2008年1月7日Mon. 晴れ
この場を借りて、お詫び致します。すまん!

 年賀状の返事を書いていて、住所を間違える。「東京都」の「東」の字が、「車」になっている。見栄を張り、必要以上に堂々と書いたため、もはや直せるレベルではない。そして年賀状の余りはこれで最後、時刻は一月七日午後九時過ぎだ。背水の陣にも程がある。
 そもそも元日に来た年賀状の返事を、七日に書く時点で間違っていないか。いいおっさんが「東」の字が書けない事自体に問題はないのか。疑問は次々に沸きあがってくるが、やっちまったもんはしょうがない。人間、未来を見据えて生きねばならん。
 ならば未来でもエ○ビデオでも何でもいいから見据えて、とっととコンビニまで走りやがれコンチクショウという向きもあろうが、ちょっと待って頂きたい。コンビニで売っている年賀状は、大抵三枚一組だ。必要な一枚のために、不要な二枚を購入するのか。それが問題だ。最低な逡巡だ。
 結局、メールで済ませる。最悪な決断だ。

2008年1月9日Wed. くもり
おめでとうの次の日

 「ちくしょー、もててーなー!」そう叫びたくなったとしたら、人は一体どうすればいいのか。「ちやほやされてー!」そう絶叫したくなったとしたら、何をするべきか。
 周りは静かに黙って仕事をしている。〆切は間近だ。普段では考えられない程の量をこなさなければならない時期で、静かな中にも張詰めたものがある。
 カタカタとキーボードを叩く音だけが響く。
 昨晩は小さな新年会だった。久しぶりに会った友人と杯を重ね、終電で寝過ごすという失態をやらかしている。寝床に着いたのは午前四時だ。眠くはない。眠くはないが、頭のてっぺん辺りが、何か普段とは違う感触になっているのは確かだ。
 自分の気持ちに正直になるべきではなかろうか。叫びたいなら、叫んでもいいんじゃないか。キーボード上の指がふと止まる。
 三秒後、指は再び動き出した。辺りは、やはり静かだ。

2008年1月10日Thu. 晴れ
DSブーム

 運ばなければいけない荷物を必死にトランクに詰めていると、後ろで見ていた後輩の女の子に「daiさんって、『ぷよぷよ』上手そうですよね」と言われる。ぷよぷよとは、上から降ってくる四種類の「ぷよ」を、上手く組み合わせて消していくパズルゲームだ。対戦もできる。トランクの隙間に荷物を積め込んでいく様が、そのイメージと重なったのだろう。一応「めちゃくちゃ上手いよ」と答えておいたが、「めちゃくちゃ」では済まない思い入れを言外に込める。
 何せ、「ぷよぷよ」しか取り柄がない。後輩には言っていなかったが、己の全存在=「ぷよぷよ」だ。一週間ほぼ毎日「ぷよぷよ」だけをやっていたこともある。廃人だ。
 「今度DSで対戦しましょうよ」無邪気に言う後輩に「いいよぉ」と返事する内心で、「ソフトも見たくなくなる位にしてやろう」とほくそ笑む。小さいにも程がある。

2008年1月11日Fri. 晴れ
快気祝

 朝、ぎりぎり感いっぱいの鬼のような形相でコートのボタンかけをしつつ全力疾走している場合を除けば、まぁだいたい毎日そんな感じだが、近所の駅まで音楽を聴きながら歩く。イヤフォンを耳に突っ込んで携帯オーディオの再製ボタンを押すと、流れててくるのは昨夜聴いていた音楽の続きだ。夜、家に帰ってくる時も大抵は音楽を聴いているので、当然と言えば当然な話しだが、困るのは、音楽が昨晩の気持ちまで連れて来る事だ。
 前の晩、何か良い事があってルンルン気分で家路を辿り、かかっていた曲もルーリード『ワイルドサイドを歩け』みたいな時なら良い。男二人で呑み、「どうして俺達彼女ができないのかなぁ……」「なぁ……」などとぼそぼそ話し、自棄酒だけは進み、しかも帰りに聴いた曲がYUKI『ふがいないや』とかだった日にはどうすればいいのか。
 「にやにや笑ってる、ふがーいなーいや、いやー!」などと、朝から言われる。凹む。

2008年1月13日Sun. くもり
モツ鍋探し

 新年明けて、初めての試合だ。相手は菱形の陣形を組み、速いパス回しで攻めて来る。こちら側としては、相手の菱形の内側にさらにもう一回り小さな菱形を作るような形で、前線からじわりとプレッシャーをかけて相手のミスを誘い、甘いパスなどが出た場合、カットしてカウンターを狙っていきたい。一瞬でも気が抜けない緊迫した状況だ。
 で、そんな中、状況とは全く無関係に後ろの方で一人、コケている。
 パスが来たとか、来そうだったとかいうわけでもない。普通に、マークした相手に付いて歩いていて、コケた。
 一瞬、ベンチも審判も含め、その場にいた全員の頭上に「?」が浮かび、時間が止まったようになる。何食わぬ顔で、起き上がり元のマークに戻った。「何事もなかった」事になって、時間は再び流れ出す。
 初フットサルからして、こんな感じだ。多分、今年一年も、こんな感じだ。

2008年1月15日Tue. 晴れ
心配

 「鼻血が止まらないので休みます」その急報が流れたのは、まだ仕事も始まって間もない、午前九時三分の事だった。
 仲間内の一人からの連絡だった。「鼻血が止まらないそうだ」連絡を受けた上司は、我々に確認するかのように、重い口調で同じ言葉を繰り返した。
 まず浮かんだのは「すごい言い訳だ」だった。腹痛だとか、身内の不幸だとかにしておけばいいのに、何故敢えて自ら困難な道を選ぶのか。正直、そう思った。
 だが、一概にそうだとも言えない。安易な言い訳に走らないという事は、本当に、鼻血が止まらないのかもしれない。だとしたら、事だ。全くのイメージだが、本当に鼻血が止まらないなら、相当重大な病気な気がする。どうなのか。分からない。全く分からない。
 ただ一つ確かなのは、真剣な顔でティッシュを鼻に詰めている同僚のイメージだけだ。
 微妙な不安を抱えつつ、明日を待つ。

2008年1月16日Wed. 晴れ
B級しんぼ。鼻血は無事で一安心です。

「今度は、こっちのか○あげクンを食べて見て下さい」
 よれよれの背広を着た醤油顔の男は、そう言ってもう一方のから○げクンを差し出した。
「こっちのって、別に同じ○あげクンでしょう……。う、うまい!?ジューシーさが全く違う!」「ほんとだわ。さっきのからあ○クンはパサパサして食べ難い位だったのに、今度のは噛むと口の中に肉汁が広がる感じ!」
 優等生のような振りをして、実は全然仕事をしていない女が解説のような感想を言う。
「同じからあげ○ンでも、油の温度、揚げ時間、その日の天候、店員のやる気……、様々な要素で全く違う食べ物になってしまうんです。かつて魯山人は、『からあげク○を食べれば、その○ーソンの全てが分かる』と言」うわけねーだろ、こんちくしょう!!
 久しぶりにコンビニの揚げ物を食べると、久しぶりの脳内劇場が始まった。
 頼むから、静かに食わせてくれ。

2008年1月17日Thu. 晴れ
ダブルブッカー

 最近、毎日のように通っている蕎麦屋では、胡瓜が切れていない。
 いわゆる「立ち食い」に毛が生えたような店だ。別に蕎麦粉にこだわりがあるとか水が超深層水だとかそういうのは全くないが、旨いのだから仕方がない。毎日暖簾をくぐり、毎日冷しタヌキを頼んでいる。
 で、この冷しタヌキの胡瓜が切れていない。
 冷しタヌキの胡瓜といえば、通常細長い短冊状、もしくは棒状だ。事実その店でも半分以上はそうなっている。にも関わらず、中に必ず、端まで切り切れておらず櫛のような形になっている胡瓜が混ざる。毎日だ。必ずだ。
 気になって調理風景を横目で見ていたが、すでに切ってあるものをタッパーから取り出すだけで、実際包丁を入れている所は見られない。仕込みか。仕込みの時に何かあるのか。
 胡瓜が切り切れない理由が、何かある。絶対ある。早朝の仕込み時に、忍び込もうかどうしようか、思案し始めている。

2008年1月20日Sun. 晴れくもり
ねずみ呑み

 男の指が、カウンターの上に広げられた紙片に、次々と雑多な情報を書き込んでいく。機種名、番号、名前……、最後に男は、使用月数という欄に七十三と記入した。ほぼ六年だ。六年、同じ携帯電話を使い続けていたのか。感慨が深い。携帯電話の、機種を変えようという話しだ。涙無しには語れない。
 発端は、土曜日の朝かかってきた一本の電話だった。見慣れない番号を不信に思いつつ出ると、甲高い女の声がしゃべり出す。「この度なんちゃらサービスの停止に伴いまして……」要するに、「お前のケータイは古くて使いものにならん」という事を言っている。
 電話を切って、手の中の愛機を見る。いつも通り控えめに、今日の日付を映している。「お前、リストラされちゃったぞ……」そう語りかけても、健気に沈黙を保ったままだ。自分のリストラ話しを、自分で伝えたばかりだというのにだ。可哀想過ぎる。
 サービス停止は五月だ。最後の蜜月だ。

2008年1月21日Mon. 晴れ
悩みどころ

 夜の街は、欲望に満ち溢れている。通りを歩けば、そこかしこに誘惑の魔手だ。ツルツル顔のあいつが「私何だって出来るわ。テレビだって見せてあげる。ねぇだから私を見て」と訴えかけてくる。かと思えばこちらでは「あなたに聞かせる音楽なんて、二ギガバイトしかないんだからね!」と、ツンツンデレデレ言い放つピカピカ顔もいる。そんな中、手の中にあの娘を抱え、俯き加減で歩く。
 求めているのは、ほんの些細な事だ。ちゃんとコミュニケーションが出来(通話とEメール)、元気でいてくれれば(防水、耐ショック)それでいい。たったそれだけの事なのに、街に無数に溢れる奴らの中に、そんな娘は一人もいない。ただ一人、手の中で静かに息づくこの娘だけが、望みを叶えてくれる存在だ。なのに、この娘の余命は後四ヶ月だという。冬の夜空が、涙で滲む。
 昨日に引き続き、携帯電話の機種変更の話しだ。どうしたものか。

2008年1月24日Thu. 晴れ
Get Up,Stand Up

 とにかくまぁ風が寒かった。首に巻いたマフラーの、毛糸の網目の隙間から、冷気が寒天のように入り込む。その位寒かった。
 「物を書くとはつまり過去を改めて意識的に現在に立ち現れ直す行為……さみーなぁちくしょう!!」直前までいたドーナッツ屋で読んでいたのが高橋源一郎著『日本文学盛衰史』だったので、こんな思考だったが、そんなちゃちな物など一発で吹き飛ばす冷気だ。
 思えば影響され易い子だった。『007』を見て、玩具の拳銃を手にトイレの隅に隠れているのを親父に見つかり、「お前はすぐ真似だなぁ」と言われて以来……って、寒いんだ、この野郎!物思いに浸る余裕もない。
 ぶるぶる震えつつ、しようがないので携帯オーディオを操作して歌える曲を探した。ノリで乗り切ろうという寸法だ。
 裏から入るレゲェのリズムに合わせて「お前の権利の為に立ち上がれ」と英語で歌う歌声を聴きつつ、何とか家まで帰り着く。

2008年1月27日(日) 晴れ
 画面の中では、十九世紀英国婦人が「私の話しを信じてくれない人と、結婚なんて出来ないわ」と言っている。もっともだ。「話し」とは根本的に保証がない。もし「話し」を共有しようとするなら、信頼は大前提だ。頷きつつ続きに見入る。だが婦人は次に「ホームズ氏に相談してくれないなら、婚約を破棄します」と駄々をこね始めた。それはどうだ。
 英国グラナドテレビ版「シャーロック・ホームズ」を見ていた。夜中何者かが三階の窓の外に見えた・・・・・・気がする。というのが、婦人の主張だった。婚約者の紳士が「寝惚けてたんじゃないか」と言った後での、上記の会話だ。確かに心配になる女性の気持ちも分かるが、だからっていきなり探偵を雇えと迫るのは如何なものか。自分の蝋人形を作らせて犯人に撃たせるような探偵も探偵だが、依頼人も依頼人で、凄いことになっている。
 このぶっ飛び具合が堪らない。まだ犯罪が、個人の頭脳で解決できた時代の物語だ。

2008年1月28日(月) 晴れ小雨
相変わらず面白し
 どうもいけないとは思っていたが、止まらない。ハンバーガー屋で近くの席に座った男三人の話題に、一々口を挟みたくなっている。
 一人がしゃべり、二人が専ら聞いていた。所々メモまで取っている。「生き方」についての話だった。どうも「無償の奉仕」を信奉している人のようだ。善行は回り回って自分に戻る。そう言う。年の頃は三十半ばといった所だろう。細身だが精力に溢れている。聞いている二人はもう少し下の年齢か。
 別に語っている人に文句はない。信念は人それぞれだ。文句があるのは聞いている方だ。ふんふん頷きながら聞いているが、何か言うべき事があるだろう。とりあえず「『ハンバーガー屋で席を立った時に椅子を直しておく』って、それが善行ですか?」は、言っておかないと駄目なんじゃないか。
 で、そう憤っている後ろから、「微分♪積分♪イイキブン♪」と、試験勉強中の大学生の呟きが聞こえる。自分の小さを反省する。

2008年1月29日(火) くもり
朝の風景
 近所の公園には小山がある。小山に登るのは、男達だ。
 恐らく昼間は、子供達が遊ぶ楽しい小山だ。最高部の高さは四メートル程だろう。土で出来たお椀型で、トンネルが掘り抜いてある。問題は、昼間の正しい姿を知らない事だ。朝まだ日も昇り切らない時刻、球蹴りに行く時に見るその小山には、必ず男が佇んでいる。
 散歩途中の、定年以降と思しきおじさん、おじぃさん達が代わる代わる小山に登る。それはもうどっかに順番待ちの行列があるんじゃないかという位、切りなく登る。そして必ず頂上に立ち、遠くを見る。疑問は尽きない。何故男性だけなのか。女性の散歩も少なくはないのに、何故男ばかりが小山に登るのか。あるいはそこから何が見えるのか。見据えられた視線の先に、男達は何を見ているのか。
 全て疑問は内包されたまま、今日も男達は小山に登る。一緒に登りたくもあるが、そこから見る景色は、やはりまだ早い気もする。

2008年1月30日(水) 晴れ
「せんきゅーひゃくえっくす年!!世界は核のほのおに・・・・・・」千葉繁万歳
 危ない所だった。すっかり忘れていた。原爆って、まだある。
 文庫本の中では、中国の文学者やら将軍やら毛沢東やらが、「日本万歳」を繰り返している。一九六十年の話しで、つまりそれは「日米安保反対運動万歳」という事だ。
 開高健著「過去と未来の国々」を読んでいた目を上げると、そこはほぼ五十年後の地下鉄の中で、浮かんだのは「原爆はまだあるな」という言葉だった。当時の中国と日本とアメリカと、今の日本と中国とアメリカの変化はさておき、一発で都市一個(あるいはもっと広大な範囲)をふっ飛ばす兵器は、当時も今も変わらずに存在する。かつて、全部使えば生物は死滅すると言われていたあいつらだ。
 時々、以前地の底で見た滝を思い出す。洞窟の中の滝だ。何の脈絡も無く、「あの滝はこの瞬間にも落ち続けてるんだなぁ」と思うわけだが、まぁ核兵器だって、今もある。何処かの基地の中で、何かを待ち続けている。




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