2008年2月1日Fri. 晴れ
古・美

 引き戸を開けると、そこにいたのはパンツ一丁の青年だ。一瞬そのまま帰ろうかと思うが、思い止まって部屋に入った。戦闘開始だ。
 朝七時の温泉で、鼻歌混じりに浴場に向かった。当然、風呂一人占めを目論んでいたわけだが、同じ様な事を考えている奴はいる。ほぼ同時の入浴となった。
 青年の「いい体」に、早くも闘志が萎えかける。しかしこの勝負では、むしろ外の環境との緩衝材となる「脂肪」こそ有利だ。そう思い定め、湯船に入った。青年は内風呂、こちらは露天を選択する。
 結局、この選択が勝負を分ける。一見寒さで音を上げそうだが、湯の温度が外気の寒さで中和され、露天は少しぬるい程だ。対して内風呂は、長湯には熱過ぎる。露天から戻るとそこには、誰もいない浴場が広がっていた。
 湯船を泳ぎ回りつつ、口を吐くままに歌った。一人風呂万歳だ。クラッシュ「ロンドンコーリング」が響き渡る、朝の温泉だ。

2008年2月6日Wed.
生理には勝てない

 風のように生きようと思った。決心した。
 そんな風のような男が、公衆のトイレに入ろうとした。大の方だ。結構、切羽詰った感じだ。ところが、個室は全て塞がっていた。
 これは大きな分かれ道だ。個室は二つだから、長く待たされるかもしれない。最も近い他のトイレに行くには、五分はかかる。持つか。心配が心を過る。個室の気配を探るが、押し殺した空気が漂うばかりだ。今までなら迷うところだが、今日からは違う。よし、他を当たろう。風のように決断し、身を翻した。
 その時、個室の中から紙を手繰る音が聞こえ出す。続いて水を流す音だ。安堵して、個室の前に引き返す。
 ところがこれが出て来ない。
 待てど暮らせど開かない扉を前に、おろおろする。まさか第二ラウンド突入か、今から別のトイレに行くべきなのか。逡巡は止まらず、切迫感はいや増す。どうするどうする。
 風のようには難しい。ぎりぎりセーフだ。

2008年2月7日Thu. 晴れ
泡盛もり

 通りかかった駅の改札口で、ひょいと窓口を覗けば、初老の駅員は体操をしている。
 作家P.オースターは、偶然に対して相当の拘りがあるようだ。長編「ムーンパレス」なんか、全編これ偶然のような話しだし、エッセイ集「トゥルー・ストーリーズ」においても、実生活における偶然の記述が多い。阿佐田哲也(色川武大)には、その著作のそこかしこに「運」という要素が見て取れる。その考察は深い。少なくともこの二人は、偶然に対して敏感だ。果たして、偶然という事に、意味を見出すべきだろうか。
 通り過ぎる一瞬、初老の駅員がしていたポーズは、ゴリラのドラミング、いわゆる「ウッホッホ」のポーズだった。この偶然について、考えている。この偶然は、人生における何かの象徴なのか。意味はあるのか。
 恐らく、そうではあるまい。駅員は「ウッホッホ」のポーズを取りたかった。ただ単に、取りたかっただけだ。

2008年2月8日Fri. 晴れ
気付き

 鶴見さんの祖先は、やはり鶴を見ていたのか。もし見ていたとしたら、どれだけ、どんな風に見ていたのか。
 明治時代までは庶民には名字が無かったそうだし、例え鶴見さんが武士だったとしても、「名乗り始め」はあったはずだ。男がある日決心する。「よし、俺はこれから鶴を見るように生きよう、鶴見と名乗ろう」そうだったとしたら、これは事だ。田んぼの中に住んでいるから「田中」は至極真っ当だが、鶴を見ているから「鶴見」と名乗るのは、勇気がいる。一過性の出来事を、名字という永続性のあるものへと変える勇気だ。時間への挑戦だ。すごい。
 こうなってくると気になるのは、動詞系の名字だ。犬飼さんは、やはり犬を飼っていたのか。どれだけ飼っていたのか。そんなことを言えば、鵜飼さんはどうだ。伏見さんは伏せて何を見ていたんだ。藤巻さんは巻いたのか。ぐるぐる巻いたのか……。切りが無い。

2008年2月9日Sat. くもり
うどん

「舎弟喫茶か」「ああ、舎弟だ」
 降り頻る雪は、一向に止む気配を見せなかった。ハンドルを握る相棒は、慣れない雪道での運転のためもあるのか、真剣な表情で前方を見つめている。信号で止まった前の車のテールランプがゆっくり近付き、相棒の顔を赤く照らす。
「いけるな」相棒は、ゆっくりと呟いた。
「がたいの良い、いかつい顔の男を集める。服はスーツ。入り口の両脇に並べて、入って来た瞬間に、『姉さん!お勤め、ご苦労様でした!』……か。いけるな」
 相棒が転がすように発する言葉は、都会の夜の闇に溶けていくようだった。信号が変わり、車はゆっくりと動き出した。
「それが女性向けだ。男性向けには『姉御喫茶』もある」
 過ぎ行く夜の街に目を向ければ、そこには誰もいない。こんな夜に、人は街に出ない。
「それは単なるSMだな」相棒が答えた。

2008年2月14日Thu. 晴れ
ぎぶみーちょこれーと

注)以下の文章は食に関するもので、不快感を感じる要素があるかもしれません。嫌いな方は読み飛ばして下さい。

 一人、カレーを食っている時だった。ふと、福神漬けとは何だろうと思った。思ってしまっていた。途端に、脳の岸辺へ怒涛の如く答えが打ち寄せる。
 福神漬けの正体は、豚の副腎だ。元々は沖縄の料理で「ウチミナー」と呼ばれていた。本場では半年程は漬け込む。戦前は、沖縄と鹿児島の一部でしか作られていなかったが、戦後の食糧難の時代に全国へと広がった。それまで捨てていた内臓を活用しようとしたわけだ。普及するに連れ、名前も「ウチミナー」から「副腎漬け」、やがて「福神漬け」へと変化した。小説や映画で、闇市の酒場の光景としてよく登場するが、実際は衛生状態が酷く、食べられたものではなかったらしい。
 もちろん、全部嘘だ。
 全部嘘だが、「豚の副腎だ」と思い始めると、もういけない。食っているカレーに付いている福神漬けを見て、げんなりする。
 一人で考え、一人でげんなりする。

2008年2月18日Mon. 晴れ
イエス呑み→サル→公園

 現在の農薬は、人体に有害だ。最近頓に騒がれている。じゃぁ無害な農薬はないのかと問われれば、実はある。今、現在、既に、悪影響の無い農薬は存在する。アルコールだ。アルコールは殺虫、殺菌作用に優れ、しかも自然状態ではすぐに揮発してしまう。理想的だ。ただ高い。費用対効果があまりにも低いため、農薬足りえていないだけだ。だから、安価なアルコールを開発するわけだ。それさえ出来れば天下だ。中国市場など、待ってましたとばかりに食い付く。安価なアルコールだ。安価なアルコールなんだってば。という話しを、読書する振りをして聞いている。
 相変わらず、ファーストフードのお店での盗み聞きが面白過ぎる。宗教の勧誘があり、別れ話しがある。そして今日はビッグビジネスのアイデアだ。
 「これは、誰にも言うなよ!」と熱弁を振るっていたので、インターネットで全世界に公開してみた。酷い。

2008年2月22日Fri. 晴れ
コン

 駅の改札口では切符を買う。「ピッ」とやって通る電子マネーを使う事に、抵抗がある。
 便利さは認める。一々切符を買っているより、通り際に「ピッ」の方が、どれ程楽か知れない。しかし、それでも何か嫌だ。
 あの「囲い込まれている」感が嫌だ。お金の便利は、どこでも通用する事だ。日本円の流通範囲ならば、日本円に価値を認める所ならば、北海道だろうが沖縄だろうが東南アジアの安宿だろうが食い物を買おうがインターネットの利用料だろうが、全て通用する。ところが、電子マネーはそうはいかない。電車なら電車(と一部の店舗やサービス)以外、利用できない。それが嫌だ。後、そんなことはありえないが、例えばICカード毎に番号を付ければ、そいつがどこへ行き何を買ったか一目瞭然になる。そういう可能性が出来る。それが嫌だ。お金の「軽やかさ」がなくなってしまう。
 で、友人を待たせてもたもた切符を買うお前は軽やかかと問う。全然、軽やかではない。

2008年2月23日Sat. 晴れ強風
ギター奏者の記

 風の強い日、三人の男達は口々に「デデデデ、デン。デ、デデデデ、デン」と呟きながら、街を歩いていた。それは、とても風の強い日だった。
 男達はスタジオから出てきたばかりだった。一人の男はギターを鳴らし、一人の男はベースを弾き、一人の男はドラムを叩いていた。
 男達が三人で音楽をやるのは、その日が初めてだった。練習していた曲もたった一曲だった。YMOというグループの「RYDEEN」という曲だった。シンセサイザーがメインのテクノの曲だった。シンセサイザーがメインのテクノの曲なのに、ギターとベースとドラムスだった。二時間、その一曲しか演奏しなかった。にも関わらず、男達の口からは「デデデデ、デン」が止まらない。
 飛び上がれば元の場所に着地できないんじゃないかという位の風の中、男達は何処へ行くのか、誰も知らない。ただ風が「デデデデ、デン」というフレーズを運び去るのみだ。

2008年2月27日Wed. 晴れ小雨
「傘、持っていけ」

 同じ言葉を二度繰り返す事に付いて、書こうとしていた。
 ハイは良い返事だ。が、ハイハイはどうだ。愛情一杯は良い。だが、愛情一杯一杯になると、どうにもいけない。そういった良く知られた事例をまず書く。で、最後に「今日見つけたのは『あっつあつ』だ。これは熱いからこそ許されるのであって、もっと温度が低ければ大変な事になる。『ぬっるぬるのうどん』そんなうどん、嫌だ。エロい」そう落ちを付けようと考えていた。ところがその内、言葉を二度繰り返す事が止まらなくなる。
 「リラクゼーション」という看板を見れば、「りっらりら」という言葉が、頭の中に木霊する。すでに面白くもなんともない。まずいと思って横を向けば、「にんにく料理」の文字だ。にんにんにくにくにんにんにくにく……と果てしなく繰り返す。途方に暮れる。
 前からおっさんが歩いてくれば「おっさおさ」で、それはちょっと面白い。

2008年2月29日Fri. 晴れ
紹介

 二日程前、何もしていないのに鼻血が出た。べろの上には口内炎が出来ている。今日は、左乳首がティーシャツに擦れるだけで痛くなった。そろそろ死ぬんじゃないかと思う。
 まぁそんな中、考えるにつけ不思議なのは痛みだ。痛みって、何だ。
 神経に関係があるのは知っている。神経が刺激されると、痛くなる。らしい。つまり、神経に何かが接触していると、痛いと感じるということだ。しかしだ。神経って、常に何かに接触しているだろう。
 傷口が出来て、神経に直接何かが触れれば痛みを感じる。一見もっともな説明だが、別に傷がなくても、体内で、神経は周りの筋肉やら血管やらに触れているんじゃないか。そこの所はどうなっているのかと言いたい。「自分以外の何か」だと反応するのか。でも自分の指で傷口に触れれば痛い。自分って何だ。
 しゃべるだけでも痛い口内炎の痛みとともに、考えている。分からない。




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