2008年3月1日Sat. 晴れ
歩く歩く呑み
中世ドイツでは、どうも大変な事になっているようだ。ちくま文庫「ハーメルンの笛吹き男」の中で、著者、阿部謹也は書く。「こうしてかなりの職人がこの安易な道に走ると、当然親方の娘が足りなくなる」一体これはどういう事だ。
もの凄い要約をするならば、当時の弟子(徒弟)にとって、親方の娘を娶るのが出世への一番の近道だったらしい。社長令嬢を狙うビジネスマンみたいなもので、珍しい話しではない。しかしこう書いてみるとどうだ。「こうしてかなりの勤め人がこの安易な道に走ると、当然社長の娘が足りなくなる」いくらなんでも娶り過ぎだ。
一つの出来事がいかに後世に伝わり、社会状況の中で伝説化していくかを丹念に見ていく本書は、頗る面白い。
親方の娘は足りなくなっていき、「そうなると今度は未亡人が対象となった」らしい。足りなくなる未亡人だ。娶り過ぎだ。
2008年3月3日Mon. 晴れ/雨
もーえろよもえろーよー、脂肪よもーえーろー♪
暖かくなったので、久しぶりに自転車を持ち出した。冬眠から覚めた熊の気分だ。
スポーツバイクの愛車「ジョンニ号」は、ブランクを感じさせない走りをみせる。朝の幹線道路の渋滞を尻目にすいすい横をすり抜けていく快感を、ほぼ三ヶ月振りに堪能する。
途中、おしゃれママチャリに乗った女の子を追い抜かした。「お先に失礼、お嬢さん」公道のジェントルメィンとして(心の中で)詫びつつ、横を通り過ぎる。で、次の信号で並ばれる。「おや、またお会いしましたね」と(心の中で)挨拶し、信号が変わると同時に飛び出したが、おかしな事に、その後止まる信号毎に追いつかれる。「奇遇ですなぁ」だったのが「ハハハ、お嬢さん、中々お速い」に変わり、最後の上り坂では「どうぞお嬢さんお先にいって下さい。レディーファーストは紳士の嗜み」に落ち着いた。
冬眠の熊というよりは、単なる運動不足の親父じゃねーかという突っ込みは、聞かない。
2008年3月9日Sun. 晴れ
音後
最近の鳩はなっていない。公園でビールを呑んでいる時、誰からともなくそういう話しになった。野性味を忘れている。捕まえる事なんか簡単だ。やってみるか。止せばいいのに、そういう話しになった。
おっさん三人で鳩一匹を囲む。ビールのつまみのナッツでおびき寄せられた鳩は、ふと気が付けば三方を塞がれ行き場無しだ。おろおろと歩き回る鳩に向かって、おっさん三人がにじり寄る。「どこへ行こうと言うのかね」何処かで聞いたような台詞をほざきつつ、包囲の輪は狭まっていく。もう、手が届く。
「わんわんわんわん」その瞬間、背後のベンチで犬の鳴き声だ。見れば、ベンチの上に置かれたナッツの袋本体に向かって、犬が突進してくる所だ。慌ててベンチに駆け戻る。鳩に夢中で犬の接近に気付かなかった。野性味がないのはどっちなんだと言いたい。
後、いいおっさん達が何をしているんだとも言いたい。
2008年3月13日Thu. 晴れ
目
乾きかけのティーシャツを見ている。ハンガーにかかったティーシャツは、首の周りを触ればもうほとんど湿気を感じないが、へその辺りから下はまだ濡れたままだ。室内で干してあるから、風当たりなんかはほとんど関係がない。何故下ばかりが濡れているかと考えると、つまり重力のせいだと気付いた。
もしここで、微細な繊維の一本々々まで見分ける事が出来たら、重力に引かれて下へ下へと伝い落ちて行く水滴が見えるはずだ。その眺めは、海へと注ぐ川の流れのようなものか。いや、毛細管現象で上へと動く流れもある。人間には感じられないような空気の流れで、飛び散って行く水もあろう。それはそれはダイナミックな光景が、展開されるに違いない。
だが悲しい事に、そんな能力は持っていない。目に映るのは、ハンガーに吊るされ、静かに乾いていくティーシャツだ。
乾きかけのティーシャツを見ている。
2008年3月16日Sun. くもり
おっさん
「一、ニ、さぁん!、四、ごぅふ……」目の前では、着々と数が数え上げられていく。三の付く数字と三の倍数の時にはアホになる、五の付く数字と五の倍数の時には犬になるという寸法だ。居酒屋の席に座って友人が実演するそれは、確かに笑う。しかし本物はさらに面白いという。また知らなかった。お笑い芸人「世界のナベアツ」を、また知らなかった。
「なんでだろう」から「そんなの関係ねぇ」まで本物を見た事が無く、知識でしか芸に触れていない。新たにもう一つが加わったわけだ。悔しい。面白いものを知らないのは、悔しい以外の何物でもない。じゃぁさっさとテレビを見やがれという話しで、返す言葉も無い。
そんな話しを別の友人にした所、「じゃぁこれは知ってる?グーググーググーグー、コォー!!」と、突然叫び出す。
世の中どうなっているんだと、唖然とする。
2008年3月20日Thu. 雨
ルサンチマン。でも、株式自体は、良いんだ。何だ?何が問題?第三者に売れる事か?それじゃぁ、誰も株を買わない?脳から血が出る……
まったくもって、精神年齢の低さを実感する。居酒屋で株式の悪口を言っていて、「おめーはそういう仕組みを変えようと行動してんのか。後、給料、株式会社からもらってんだろ」と突っ込まれる。ぐぅの音も出ないとはこの事か、と思う。
本音で勝負しなければいけない、と反省した。いい子ぶっていたと、自責の念しかりだ。つまり株式の悪口を言うのは「おめーがギャンブル感覚で(あるいは無自覚に)金かけて、破産しようが首くくろうが知った事じゃないがな、そのせいで、バブルだとか、『残業代なくそう』だとかで、オレ様に迷惑をかけるな、他ならぬこのオレに!!」という動機なだけだ。「そういう仕組みのお陰で、この社会は成り立ってんだよ」という大人な見方が出来ない。子供だ。精神年齢十八歳だ。でもまた言っちゃいそうだ。困る。
で、その後「びびっと来なきゃ、恋じゃない」と演説をぶつ。もーほんと、十六歳だ。
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