カブ(原付)で四国から東京までを旅した。冬に。その事を記そうと思う。 今、全てを終えて思うのは、寒かったという事だ。土地々々の名産物を食べ、珍しい光景に出会い、友と語らった。しかしそういった物事はこの旅において一切瑣事だ。全てを正確に記すなら、寒い中土地々々の名産物を食べ、寒い中珍しい光景に出会い、友と語らった時は寒かったという事になる。 極言するならば、これから始まるのは寒さの記だ。ただただ寒さの記だ。二0一0年十二月十九日、阿呆が一匹、東京を出る。 東京から徳島に向かうフェリーの甲板から、遠ざかる大都会の夜景を眺めている時、まぁ寒かった。 吹き抜ける風は遮る物のない海上を駆け抜け、その身に沁み込ませた寒気をこれでもかとお見舞いしてくる。 しかし、阿呆一匹にとって、その寒さが自分の身にこれからどれ程影響を与えるのかなど、思考の埒外にあった。何故なら阿呆は、その時浮かれていたからだ。これから始まる旅に、一人で、静かに、だが確実に浮かれていた。 発端はこうだ。 毎年末、合宿を行う習慣があった。中学校時代の仲間男六人が、二日か三日、ゲームをし、酒を呑み、騒ぐという集いを、毎年飽きもせず続けていた。 もう二十年程にもなるその集いに、今年は一つの革命的な出来事が起こった。自家用車の登場だ。メンバーの内の一人が自家用車を購入し、それに乗って出掛ける事が可能となった。六十年代か。 文明開化もかくやと浮かれ騒ぐ中、いつも冷静沈着なRから一つの問題提議がなされた。「でもあの車って、五人乗りじゃね?」そう、メンバーが購入した車は、五人乗りだった。合宿参加の人数は、六人だ。一人余る計算だ。そこで阿呆が登場する。 「じゃぁオレ、原チャで行こうか」 ほとんど何も考えずにそう言ってしまっていた。あろう事かその時、肝心の原動機付き自転車すら持っていなかったのにだ。 「ついでに高松のWにでも会って来るかな」 重ねていた。考え無しの発言を重ねていた。同じく中学校時代の友人で、今は香川県は高松に住むWに会い、そこから東京に戻る途中で山梨県河口湖湖畔で開かれる合宿に合流しようというわけだ。何が「ついでに」だ、ばか者。 その後紆余曲折を経て決まったプランは、以下の通りとなった。 ・まず、徳島までフェリーで渡る ・別途、友人ゆきじるし(仮)が車で陸路を香川まで走る(件の自家用車だ) ・高松で合流し、Wに会い、その後適当に河口湖を目指す ・ゆきじるしは途中先行して一旦東京に戻り、残りのメンバーを乗せて河口湖で再合流する アポロ計画もかくやという緻密なスケジュールだ。高松から「適当に河口湖を目指す」って何だ。しかし阿呆の頭の中では、これが完璧なスケジュールという事になっていた。 さらに阿呆には、この旅の裏目標が設定されていた。 麺を食う。 普段ラーメンばかり食べて脂肪を蓄えている阿呆にとって、日本は天国だ。各地にご当地ラーメンがあり、香川のうどんを筆頭にラーメン以外の麺類も溢れ返っている。そいつを道々食っていこうというわけだ。 そんな野望を胸に、阿呆は甲板に立っていた。頭に過ぎるのは最初の上陸地、徳島の名物「徳島ラーメン」の事ばかりだ。 しかしもう一度書く。この旅において、ラーメンは瑣事だ。これは寒さの記だ。この旅行記に何か一つでも意味があるとすれば「冬に原チャリで四国から東京までを走るのは、寒い」その一事だけだ。しかし神ならぬ身にとって、そんな事はまだ分かる筈もなかった。浮かれた阿呆を乗せてフェリーは進む。夜の海の波を切り裂いて、徳島を目指す。 |