2008年7月2日(水) 晴れ
外で、食べる
大盛りとは、掘り進むことよ。思わず海まで行って、波に向かってそう叫びたくなる。ともかく、大盛りだった。
目の前に出された容器には、肉が山になっていた。とある屋台で大盛り豚丼を頼んだ時のことだ。崩さないように席まで運ぶのにすら苦労をする。いざ食べる段になっても、細心の注意を払って溢さないように箸を動かさなければならない。食べれども食べれども、肉は減らない。下にある白米に到達するまでに、既に空腹感は失せている。 気が付けばそこに、小さな世界が出来上がっていた。肉で出来た山の下には白米の大地が広がり、その先には煮汁の海がある。すでに心の目には、そこに暮らす小人さん達の姿すら見え始めていた。 だがそんな小人さん達なぞお構いなしに肉と米の大地を掘り進む。この征服感は、何だ。 大モリと謳いつつ「ちょびっ」の蕎麦屋め、どうだ!見たか!と理不尽に誇る。 2008年7月4日(金) ? 駄象2.0
「夢をかなえるゾウ」という書名が駄象だったことに気が付いて、言い知れない興奮に包まれている。ベストセラーだ。日本で一番売れてい(た事もあ)る本だ。そんな所にも駄象は現れる。何と可愛い奴よと言いたい。
「ゾウだぞう」「ゾウなんだぞう」かつて幼い日々、誰もが口にした駄象達は成長と共に影を潜める。誰もが口にし、だれもが忘れ去る。悲しい限りだ。 しかし駄象は死に絶えるわけではない。無意識の闇の奥深くひっそと息吐き、再び陽の光を浴びる機会を静かに窺っている。そして時来たりなば「ダイビングはパンツ一枚じゃできないんだゾウ」だとか、「夢をかなえるゾウ」といった形で、我々の意識を内側から突き破って出現する。 多分、徹夜で会議していたのではと推測する。なかなか書名が決まらずに、思わず誰かが口走ってしまったのではないか。「夢をかなえるゾウ」それはどうか。 2008年7月5日(土) ? 観察
「面倒臭い」を乗り越えるものをこそ、人は「情熱(パッション)」と呼ぶのなら、では風呂に入るのは情熱なのかという問いが浮かぶ。もちろんだと答えたい。風呂に入る。それは情熱だ。
姪(二歳九ヶ月)は時々、入浴をボイコットする。何故なら、面倒臭いからだ。 風呂に入るには服を脱がねばならず、脱いだら脱いだで体を洗わねばならず、洗ったら洗ったで付いている泡を流さねばならず、終いにはまた服を着なければならない。それなら最初から服を着たままで何もしない方がいい。経済だ。そう考えるのは、道理だ。 しかし一方母親からしてみれば、衛生的にも体面的にも、我が子を洗いたい。ここに一つの対立が生じる。 この対立を如何にして解消するかといえば、「お風呂で遊ぼうか」の一言で足りる。 いそいそと服を脱ぎ、目を輝かして風呂場に突入する姪の姿に、情熱を見る。 2008年7月8日(火) ? 物語
注) 以下の文章は物語「ドン・キホーテ」のネタばれを起こす可能性があります。
ドン・キホーテ(セルバンテス作、岩波文庫、牛島信明訳)読了す。 ドン・キホーテは死の際に正気に返り、元の善良な郷士アロソン・キハーノとなる。風車に突撃し、羊の群れに戦いを挑み、バルセローナ全市に歓呼を持って迎えられた突風のような活躍は見る影もない。公証人を呼び、姪に全財産を譲る旨の遺言書を作り、『但し姪の結婚相手が「騎士道物語」を知っていた場合、全財産は慈善事業に寄付する」とまで言う。自らの行いを、徹底的に悔いる。 そんな元騎士にこれまで尽くしてきた従士サンチョ・パンサは言う。「この世で人間がしでかす一番でかい狂気沙汰は、別にたいした理由もなければ誰に殺されるってわけでもねえのに、ただ悲しいとか侘しいとかいって死に急ぐことですよ」 物語はここにおいて、奇妙なねじれを見せる。正気に戻り愁いで死にゆくか、狂気に縋り生きていくのか。自分なら、どうするか。 2008年7月10日(木) ? ふぁしょな、ぶる
久しぶりに引っ張り出したジーンズだった。穿き古して、所々に穴が開いている。朝、出発限界の時間帯にそいつを穿いてしまった。「えーい、ままよ」と家を出る。しばらくして気付く。トランクスが見えている。
本日のマイアンダーウェアは、青だ。原色に近く、濃紺のジーンズとは明らかに違う。駅近くで気付き、すでにもう引き返せない時間になっている。そのまま電車に乗り込んだ。 片手は吊り革を握り、片手はさり気なく穴の上に置きつつ、「さてどうしたもんか」と考える。しばらくの沈思黙考の末、「みせパン」という言葉が頭に浮かんだ。そう、これはわざとだ。ファッションなんだ。このチラリズムが今ナウいんだ。どうがんばっても、己すら騙せない言葉で、心を偽る。 で、仕事場で背後に人の気配を感じる度に「すわ、見せパンか!?」、上司に呼ばれる度に「見せパンのことか!?」ってんで、お前は手負いの獣か。 2008年7月16日(水) 晴れ 面白さと伝達
総司令官はエスパーで、なおかつ哲学者でもあるけれど、実は敵であるところの宇宙人に操られ始めていて、そんでその総司令官のライブから始まるんだよと友人は言う。頭は大丈夫なのかと、心配になる。
友人と、野郎二人呑みをしている酒場で最近見た映画の話しになった。友人はかねてより「スターシップトゥルーパーズ」の大ファンだと公言して憚らなかったが、その第三作目が公開になっているらしい。それが面白いと言う。どんな話しかと聞けば、「総司令官は〜」と語り始めて、これがきれいさっぱり分からない。 ジャンルがSFだということもあるが、映像が全く思い浮かばない。エスパーで哲学者って、何だ。宇宙人に操られている奴のライブって、何だ。素っ頓狂過ぎる。 しかし友人の熱心さは本物だ。その口振りから心意気は、心意気だけは伝わる。その落差に、やがてこみ上げる笑みだ。 2008年7月25日(金) 晴れ ねんいち
交尾をしながら飛び回っていた虻に、帽子の上に止まられる。腹が立つ事この上ない。
野外フェスで、場所取りをしていた。前日入りした甲斐もあり、木陰、見晴らしよし、飲食ゾーン近しと三拍子揃った場所が取れた。よしよしとほくそ笑む。 後はビールを買って来て、仕事で前日入りが出来なかった友人を待つばかりという状況で、どこからともなく虻が出現する。 番で飛び回る虻は、何故か別の場所に行かない。ぶんぶんいいながしばらく辺りを回っていたが、そのうちお尻同士をくっつけ始める。あろうことかそのまま、人の帽子の上止まった。 この野郎!破廉恥極まりないとはまさにこのこと、人の頭上でセックスをするな!といく分欲求不満気味に怒り狂っていると、実際に会うのはほぼ一年ぶりとなる友人、来る。 快晴の下、とりあえず乾杯となったわけで、怒りも忘れて、ビールが旨い。 2008年7月30日(水) 晴れ 夏の記憶
そういえば、常に野菜が流れている川があったなと思い出す。十年以上カヌーに乗っていて、十回位は下った川だ。行く度に野菜が流れていた。
それは胡瓜であったり、トマトであったり、時には、野菜ではないが、夏みかんだったりした。 流れてくる場所はいつも決まっていた。カーブ毎に現れる瀬の連続も終わり、流れが穏やかになった辺りだった。河岸に、場違いな工場が見える場所だ。 瀬を漕ぎ抜ける緊張も解け、のんびり伸びでもしながら流れに身を任せていると、傍らをぷかぷか流れて行く物体がある。いつもある。よく見ると、それが野菜だ。 何故に?誰が何のために?そういった疑問には一切答えることなく、野菜達は流れていった。ひたすら流れていった。 野菜が流れている川について思い出した。それは夏の記憶だった。 |